美保飛行場
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概要
美保飛行場(米子空港)は米子市中心部から約11km(バスで30分)の弓ヶ浜半島中心部に位置する。風光明媚な観光地に恵まれた環境にあり、鳥取県西部・島根県東部の空運を担うのみならず、山陰観光の空の玄関口としての役割も果たしてきた。
滑走路長は2,500mで、一部は中海に突き出すような形で配置されている。着陸帯の幅は300mであり、計器着陸に対応している。 滑走路に面して北側に航空自衛隊の専用エプロンやハンガーなどの施設が立ち並び、滑走路の管理や航空管制などは航空自衛隊が行なっている。そのため、山陰の飛行場において唯一航空管制が行われている。 また、航空自衛隊エプロンの一角や東側の空港エプロン周辺に国土交通省関連の複数の施設が置かれ、2011年には第八管区海上保安本部美保航空基地と称される海上保安庁の航空機を格納する施設や事務所が東側エプロンに増設された。
空港ターミナルビルは航空自衛隊美保基地の東側にあり、国内線・国際線で区画を分けて使用している。ボーディングブリッジは3基を有する。ターミナルビルに接するエプロンには大型ジェット機用2バース、中型ジェット機用1バース、小型ジェット機用1バース、プロペラ機用1バースがある。
2001年度からの再延長事業[4]は、滑走路東側の県道47号線、JR境線、市道を500m迂回させる大規模なもので、境線には最寄り駅として米子空港駅が設けられた。 供用開始は2008年度目標だったが、境線の付け替え方法が地下化から迂回へ紆余曲折した関係で、1年ほど延びた。
統計
利用者数
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年間利用客数は、国内572,122人、国際52,142人(2016年度)[5]。
利用状況
旅客数
以下に定期便とチャーター便を合計した乗降客数を示す[6]。マウスポインタを棒グラフに合わせると、該当年度の数値がポップアップする。
- 国内線
- 国際線
沿革
- 1939年(昭和14年)3月 - 舞鶴鎮守府美保海軍航空基地の建設を開始。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 美保海軍航空隊として開設。
- 1945年(昭和20年)11月12日 - 連合軍接収(イギリス連邦占領軍、その後アメリカ占領軍)
- 1954年(昭和29年)11月 - 極東航空により、米子~大阪線就航[7]。
- 1955年(昭和30年)6月12日 - 航空自衛隊立川基地(現:陸上自衛隊立川駐屯地)から「臨時美保派遣隊」が移駐。C-46型輸送機を配備。
- 1956年(昭和31年)2月 - 旧米子空港ターミナル施設完成。
- 1958年(昭和33年)5月 - 大阪(伊丹)への定期便就航。
- 1958年(昭和33年)9月15日 - アメリカ軍より日本政府に返還。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 航空自衛隊「美保基地」となる。「臨時美保派遣隊」を「輸送航空団」に改称、隷下にC-46型輸送機を配備する「輸送航空隊」を編成。
- 1961年(昭和36年)7月15日 - 航空自衛隊「輸送航空団(現:航空支援集団)」隷下に、「教育飛行隊」を編成。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 全日本空輸による東京(羽田)への定期便就航[8]。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 航空自衛隊「輸送航空隊」を「第401飛行隊」と改称。
- 1969年(昭和44年)6月 - 運輸省告示第167号により航空自衛隊と民間の公共用飛行場に指定。
- 1969年(昭和44年)12月15日 - 航空自衛隊美保基地にYS-11型輸送機を配備。
- 1973年(昭和48年)3月 - 新滑走路1,500m×45m(07/25)供用開始。旧滑走路1,200m×45m(09/27)閉鎖。
- 1977年(昭和52年)2月15日 - 航空自衛隊美保基地配備のC-46型輸送機が退役。
- 1978年(昭和53年)2月 - 第八管区海上保安本部美保航空基地(Air Station)を設置。初期配備はBell 212型回転翼機×1。
- 1978年(昭和53年)3月31日 - 航空自衛隊「第401飛行隊」が小牧基地へ移動。「第3輸送航空隊」を新編、「教育飛行隊」を「第403飛行隊」と改称。
- 1979年(昭和54年)3月3日 - 航空自衛隊美保基地にC-1型輸送機を配備。
- 1980年(昭和55年)10月 - 現米子空港ビル完成。
- 1984年(昭和59年)12月 - 東亜国内航空(後の日本エアシステム)により、福岡線就航[9]。
- 1988年(昭和63年)1月 - YS-11型機がオーバーランする事故が発生[10]。
- 1991年(平成3年)4月23日 - 中日本エアラインサービス(後のエアーセントラル)による名古屋(小牧、2005年2月から中部)への定期便就航。(2011年1月4日まで)
- 1992年(平成4年)5月25日 - 外国航空会社の乗り入れ解禁第1便が大韓民国から到着[11]。
- 1994年(平成6年)2月16日 - 航空自衛隊美保基地にT-400型練習機を配備。飛行開発実験団が運用試験を開始。
- 1995年(平成7年)6月1日 - 航空自衛隊美保基地に輸送機等のパイロット養成を目的にした、T-400型練習機を装備する「第41教育飛行隊」編成。
- 1996年(平成8年)3月28日 - 滑走路を2,000mに延長、米子空港ターミナルビル増改築完工。
- 1996年(平成8年)4月 - エアーニッポンによる新千歳空港便が就航(週3便運航、1999年8月まで)
- 1996年(平成8年)2月 - 第八管区海上保安本部美保航空基地にベル 412型回転翼機を配備。
- 1999年(平成11年)2月 - 第八管区海上保安本部美保航空基地にビーチクラフト B350型固定翼機を配備。
- 2000年(平成12年)5月 - ターミナルレーダーの運用開始。
- 2001年(平成13年)4月 - アシアナ航空による韓国・ソウル(仁川)への定期便就航。
- 2007年(平成19年) - 日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域(一時共同使用)として在日米軍に提供される(施設・区域名: 美保飛行場、Miho Air Base, FAC 4168)[12]。
- 2009年(平成21年)2月 - 第八管区海上保安本部美保航空基地にAgustaWestland AW139型回転翼機を配備。
- 2009年(平成21年)12月17日 - 滑走路を2,500mに延長、供用開始[13]。
- 2010年(平成22年)4月 - 愛称を「米子鬼太郎空港」とする[2]。命名式は4月26日。
- 2011年(平成23年)3月 - 第八管区海上保安本部美保航空基地にボンバルディア DHC8-Q315-MSA型固定翼機を配備。
- 2013年(平成25年)12月20日 - スカイマークの中国地方初路線として、成田、神戸、神戸経由茨城便が就航[14][15]。
- 2014年(平成26年)10月1日 - スカイマークの羽田、成田、新千歳便が休止。
- 2015年(平成27年)9月1日 - スカイマークの神戸、那覇便が休止、空港内カウンターも撤収[16][17]。
- 2016年(平成28年)9月14日 - 香港航空による香港(赤鱲角)への定期便就航[18]。
- 2016年(平成28年)10月23日 - 韓国・ソウル(仁川)への定期便運航がエアソウルに移管。
- 2017年(平成29年)3月27日 - 航空自衛隊美保基地にC-2型輸送機を配備。
- 2018年(平成30年)3月27日 - 陸上自衛隊美保分屯地が米子駐屯地の分屯地として開庁。中部方面航空隊中部方面ヘリコプター隊第3飛行隊、中部方面管制気象隊第4派遣隊等を配置。
- 2019年(令和元年) - 米子空港ターミナルビル増改築工事完了。
- 2020年(令和2年)1月11日 - 吉祥航空による中国・上海(浦東)への定期便就航
- 2021年(令和3年)10月29日 - 航空自衛隊の第41教育飛行隊(T-400)が浜松基地に移動[19][20][21]。同日、航空自衛隊初のKC-46A空中給油・輸送機が美保基地に到着[22]。
- ^ 航空自衛隊美保基地 鳥取県境港市小篠津町2258
- ^ “【鳥取・平井知事講演録(下)】米子鬼太郎空港開港の日、原作者の水木しげるさんが取材陣にまさかの発言 鳥取地震前日の講演内容を紹介します”. 産経ニュース. (2016年11月1日) 2019年12月30日閲覧。
- ^ 境港湾・空港整備事務所-美保飛行場(米子空港)滑走路延長事業
- ^ 『管内空港の利用状況概況集計表(平成28年度速報値)』(PDF)(プレスリリース)国土交通省大阪航空局 。2017年10月11日閲覧。
- ^ “暦年・年度別空港管理状況調書(PDF形式)(平成29年8月29日版)” (PDF). 国土交通省. p. 93 (2017年). 2017年10月11日閲覧。
- ^ 『境港市三十五周年史』(境港市・1991年3月31日発行)415頁「境港市三十五周年史略年表」(これに「一九五四 昭和二九 一一月 米子 - 大阪間に極東航空就航」と記載あり)
- ^ “米子空港、東京便就航55周年記念セレモニーを10月1日開催。ANAの歴代CA制服ファッションショーなど”. トラベルWatch. (2019年9月27日) 2019年12月30日閲覧。
- ^ 『境港市三十五周年史』(境港市・1991年3月31日発行)435頁「境港市三十五周年史略年表」(これに「一九八四 昭和五九 一二月 米子 - 福岡間、東亜国内航空(日本エアシステム)によって空路開設」と記載あり)
- ^ 『境港市三十五周年史』(境港市・1991年3月31日発行)439頁「境港市三十五周年史略年表」(これに「一九八八 昭和六三 一月 米子空港YS機オーバーラン事故」と記載あり)
- ^ 『経済日誌』 山陰の経済 1992年7月号 (山陰経済経営研究所) (1992年7月)。pp52
- ^ 平成19年防衛省告示第214号
- ^ 米子鬼太郎空港 - 鳥取県
- ^ a b “スカイマーク株式会社による米子鬼太郎空港への新規就航について”. 鳥取県. 2017年10月11日閲覧。
- ^ “スカイマーク、米子就航 14年4月から札幌や那覇にも”. Aviation Wire. (2013年12月20日) 2019年7月18日閲覧。
- ^ a b スカイ最終運航 米子空港、1年8カ月で幕 日本海新聞 Net(archive)
- ^ “スカイマーク、米子路線から撤退へ 採算悪化で整理”. 産経ニュース. (2014年12月19日) 2019年12月30日閲覧。
- ^ “米子空港に15年ぶりの国際定期便 香港便、観光振興強化へ”. 産経WEST. (2016年9月15日) 2019年7月18日閲覧。
- ^ “空自輸送機部隊の大改編 第41教育飛行隊が美保基地から浜松基地に移転 教育部隊の集約がねらい”. zakzak. (2021年10月22日) 2021年10月30日閲覧。
- ^ “第41教育飛行隊、美保基地から浜松基地へ移動”. 航空新聞社. (2021年10月19日) 2021年10月30日閲覧。
- ^ “第41教育飛行隊の浜松基地移動について”. 美保基地ホームページ. 2021年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月30日閲覧。
- ^ “空自初のKC-46A空中給油・輸送機、美保基地に到着”. Fly Team (2021年10月29日). 2021年10月30日閲覧。
- ^ “中国地方の空港概要(平成28年度版)” (PDF). 中国運輸局. p. 22 (2017年3月). 2017年10月11日閲覧。
- ^ ANAウイングスの機材・乗務員による運航含む
- ^ a b c d “スカイマーク、米子から撤退へ 神戸・那覇線、来年9月にも運休”. SankeiBiz (2014年12月20日). 2022年3月26日閲覧。
- ^ “スカイマーク米子撤退が映す地方空港の煩悶”. 東洋経済 (2014年10月25日). 2017年10月11日閲覧。
- ^ “美保基地における陸自輸送ヘリコプターの配備について”. 中国四国防衛局 (2014年9月). 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月21日閲覧。
- ^ “中部方面総監部 美保基地及び周辺におけるCH-47の飛行訓練等について” (PDF). 島根県 (2017年7月31日). 2017年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月11日閲覧。
固有名詞の分類
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