弓術 歴史

弓術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 01:00 UTC 版)

歴史

初期(平安初期頃)の弓術
左腕に“鞆(とも)”を嵌めている
初期の笠懸鎌倉時代
江戸時代の礼式の整備された弓術

起源(縄文時代~古墳時代)

弓矢の歴史は石器時代にまで遡る。石、簡素な造りの弓が用いられた。日本では縄文時代草創期(13000年〜10000年前)には既に登場し、狩猟道具として使用される。塗りに装飾を施した弓が狩りとった獲物と共に埋葬されるなど、呪術的・的用途に使われた形跡が既に見られる。弥生時代に入ると狩猟生活から稲作へと人々の生活が変化、それに伴い土地源確保のため領地争いが盛んになり、戦いの場で弓矢も武器として使用される。この時弓矢により強い威力を求めた改良がなされ、長尺、弓幹下側を握る弓となる。古墳時代には魏志倭人伝の記述から既に和弓の原型が見て取れる。

古代(飛鳥時代~平安時代初期)

飛鳥時代、『日本書紀』に「朝嬬に幸す。因りて大山位より以下の馬を長柄杜に看す。乃ち馬的射させたまふ」、他にも「騁射」「馳射」との記述があるなど神事としての騎射の原型も読み取れ、また飛鳥時代末期には文武天皇により『大射禄法』が定められ[3]、展覧されたとの記述もある。『続日本紀』には奈良時代には盛んに騎射が行われていたとの記述がある。室城神社の『矢形餅の神事』[4] などは起源が奈良時代まで遡り、既に弓矢の霊妙な力が信じられていた様子が窺える。古代までにはなんらかの弓術、礼式の形はあったと考えられるが、しかし史料も乏しく史実としての古代の弓射の実体は解っていない。またこの頃から存在していたという流派が伝承などで見られるが、史実としては後世の創作である可能性が高い。従って当時の流派の実在や、その発祥起源も不明である。

中世~近世(平安時代~江戸時代)

この数百年の間に和弓の構造は大きく進化(詳細は和弓#歴史欄参照のこと)江戸時代初期には堅帽子ゆがけの発明ゆがけ項参照のこと)、さらに技術面では「角見」「弓返り」の技術が発明される等、この時期に弓術は現在の弓道に繋がる大きな進歩を遂げる。

平安時代10世紀頃、武家が登場した後、馬術・弓術(併せて騎射)は武芸として弓馬の道とも言われた。馬術・弓術は実戦武術としての稽古も盛んに行われるなど、戦国中期までは戦での主戦力であり非常に重要となった。また、弓矢は邪を祓う力があるとされ、霊器・神器として、精神性の高いものとして扱われていた(現在でも破魔弓として信仰の名残や各地で弓道、流鏑馬神事が行われている)。鎌倉時代には「騎射三物」と言われる、流鏑馬犬追物笠懸が武芸の一つとして、また行事ごとにおいて盛んに行われたが、室町時代安土桃山時代と時代が進むにつれ一時的に衰退する。戦国後期に「弓」が戦場の主戦力から後退するが、依然「弓射」は武芸として、心身鍛練の道として流派と射術は発展していく。江戸時代に入ると流派単位の活動が盛んになる。江戸初期には三十三間堂の軒下(長さ約120m)を射通す「通し矢」が次第に盛んとなっていった。寛文9年(1669年星野勘左衛門(日置流尾州竹林派)によって総矢数10,242本・通し矢数8,000本、貞享3年(1686年和佐大八郎(日置流紀州竹林派)によって総矢数13,053本・通し矢数8,133本という大記録が生まれる。江戸中期、徳川吉宗により一時衰退していた流鏑馬が奨励され、以降、復興した流鏑馬が全国の神社等で神事として行われる。

明治維新~終戦・戦後

1914年

明治維新後は幕府の崩壊、各制度が廃止され武術は武芸としての目的を失う。文明開化、欧化思想の中で武術そのものが『時代遅れ』とされ、弓術もその例に漏れず衰退の一途をたどり、大衆の意識では『弓』と言えば賭け弓等の娯楽性風俗の弓を指す程までにかつての弓術は影を潜める。その世相の中、一部の弓術家らは各々自宅道場を開く等、根強く弓術の存続に力を注ぎ、やがて武芸において再認識がされるなど次第に庶民の間でさらに武術が普及・見直され、明治28年(1895年)当時の武術家有志により大日本武徳会が結成され、弓術も奨励され心身鍛錬を目的として学校教育に取り入れられる等普及を図る。大正8年(1919年)に弓術は弓道へと改称、弓道含め各武道の普及は日本の内地(日本国内)に留まらず外地(日本が統治する国外の土地)にまで及んだ。ただ、当時の歴史的世相を反映して、武道は次第に国家の影響を受けるようになっていったとされる。

武徳会の目的の一つに剣道形柔道形などの体系化があり、弓道もそれに習う形で射法統一が試みられた。昭和9年(1934年)様々な流派を代表する弓道家や武徳会弓道部役員が集まり、武徳会本部で射形統一が話し合われ、喧々囂々の議論の末「弓道要則」を制定した。しかし、流派関係者や文化人からの批判が相次ぎ、新聞紙上でも論争が起きて「的射法」とまで揶揄されるまでに不評であった。武徳会が政府外郭団体として再出発する際に再度射型改善の声が上がり、昭和19年(1944年)に「弓道教範制定委員会」の手によって「弓道教範」が作成され、「弓道要則」の射法と、従来の正面・斜面の射法を併せて認めるに至り終戦を迎える。第二次世界大戦後、GHQにより武徳会は解散昭和21年(1946年))させられ武道全般禁止となるが、時の弓道家の尽力により昭和24年(1949年日本弓道連盟設立。弓道は『修養の道』として復活し、当時を代表する弓道家らにより『射法八節』が定められ、現在に至る。(詳しい経緯やその後は、弓道#歴史を参照のこと。)


注釈

  1. ^ 鎌倉時代に七尺五寸(227cm)が標準と定められ、江戸時代初期に七尺三寸(221cm)が標準と改められる。鎌倉以前は2.4mに及ぶ弓も存在し、正倉院に納められ現存している。

出典

  1. ^ 伝香川県出土銅鐸(国宝) 東京国立博物館
  2. ^ a b 神話としての弓と禅 山田 奨治、日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要19号、1999-06-30
  3. ^ a b 706年慶雲三年)文武天皇により『大射禄法』が定められる。続日本紀・類聚国史より。
    本文
    《慶雲三年(七〇六)正月壬辰(十七)》○壬辰。定大射禄法。親王二品。諸王臣二位。一箭中外院布廿端。中院廿五端。内院卅端。三品・四品・三位。一箭中外院布十五端。中院廿端。内院廿五端。四位、一箭中外院布十端。中院十五端。内院廿端。五位、一箭中外院布六端。中院十二端。内院十六端。其中皮者。一箭同布一端。若外・中・内院及皮重中者倍之。六位・七位。一箭中外院布四端。中院六端。内院八端。八位・初位。一箭中外院布三端。中院四端。内院五端。中皮者、一箭布半端。若外・中・内院。及皮重中者如上。但勲位者不着朝服。立其当位次。
    訳文
    大射(射礼)において、親王で二品の者・諸王臣で二位の者は、矢(箭)一本が外院(的に画かれた三つの輪の一番外の輪)に中れば(賞品として)布を20端、中院に中れば25端、内院に中れば30端与える。
  4. ^ a b 聖武天皇が当時流行した悪病を退散するため、室城神社に弓矢を奉納したという言い伝えがある。以来、『矢形餅の神事』では弓と矢を形どった餅を作り人々に配る事で疫病除けとしている。
  5. ^ 論語・八佾第三』原文:子曰、君子無所爭。必也射乎。揖讓而升、下而飮、其爭也君子。
    訳:君子はめったな事で争う事はなく、あるとすれば射礼の時のみである。しかしその時でさえ礼儀正しく、会釈をして互いに譲り合い堂(射場)に上り、射終わり堂を下りると杯を酌み交わす。これが君子たる争いである。
  6. ^ 九年春正月、乙亥朔辛巳、詔士大夫等、大射宮門内(日本書紀卷廿七天智紀(天智天皇9年、670年))
  7. ^ たとえば流鏑馬朝廷年中行事の騎射(うまゆみ)に由来し、鎌倉幕府初期から行われていた的始も同じく朝廷の射礼に習ったものである。
  8. ^ ただしそれらの違いは大同小異であったという。本多利実 弓道保存教授及演説主意 一名 弓矢の手引、明治22年8月。
  9. ^ 矢を持つとき射付節を持つ、乙矢を薬指と小指の間に打込む、足踏みを開くとき一足で開く、など。
  10. ^ 矢を持つとき矢尻を持つ、乙矢を中指と薬指の間に打込む、足踏みを開くとき二足で開く、など。
  11. ^ 稲垣源四郎・入江康平・森俊男 『日本の武道 弓道・なぎなた』 講談社1983年
  12. ^ 真行草とは漢字書体であり、諸芸術の表現法の概念を示すものである。
  13. ^ 日葡辞書によれば、「体配」とは「弓の礼儀作法のこと」という。江戸時代は幕府の命で「たいはい」と平仮名で記した。これは体配とすると殺気が感じられ礼を失するからという。
  14. ^ a b 近藤好和 「騎兵と歩兵の中世史」 吉川弘文館、2004年。)
  15. ^ 日置流等の武射系統でも騎射を行う例はあった。
  16. ^ 小笠原流弓馬術礼法
  17. ^ 一例として 園山大弓場(京都市所在)
  18. ^ 一例として マト(弓引き)-神戸市 を参照のこと。
  19. ^ (家伝に基づく説であるが、現在ではこうした来歴は疑問視されている。二木謙一 「室町幕府弓馬故実家小笠原氏の成立」『中世武家儀礼の研究』 二木謙一、吉川弘文館、1985年。)
  20. ^ (「今に至りて射を学ぶ者、日置の射法に倚(よ)らざるなし。ゆえに正次を以て射術の始祖となす。」『本朝武芸小伝』)
  21. ^ 備中高梁館(旧吉田邸)高梁市教育委員会、2020年5月7日
  22. ^ 『趣味と青年』下村宏 著 (潮文閣, 1943)






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