弓術の流派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:10 UTC 版)
日置流、大和流など。日置流祖の日置弾正正次は射術の祖とされ、日置流は後の弓術の中核となる。 日置流(大和日置)(へき)…室町時代中期ごろの日置弾正正次に始まる。当時の合戦では弓射の主体は歩兵であったので、歩射が中心の流派である。日置流は後に吉田氏に受け継がれたので吉田流とも呼ばれる(竹林派を除く)。 安土桃山時代から江戸初期にかけて多くの分派に分かれた。礼の小笠原に対し、「射の日置」と称されてきた。三十三間堂の通し矢に参加した射手は日置流系であった。 以下、各派とその始祖を示し、系統関係を字下げで表す。系統は代表的な説によるが、実際の系統は複雑、不明確な点もあるため、各派の関係を完全には示していない。 日置流(大和日置)出雲派(いずも)…吉田助左衛門重高(出雲守、露滴)。山科派(やましな)…片岡平右衛門家次、または孫の助右衛門家清。 左近右衛門派(さこんえもん)…吉田左近右衛門業茂(木反)。孫の小左近茂成からは左近派とも。大蔵派(おおくら)…吉田大蔵茂氏。 大心派(だいしん)…田中秀次(大心)。 印西派(いんさい)…吉田源八郎重氏(印西)。一部の系統は日置當流とも。 寿徳派(じゅとく)…木村寿徳。 雪荷派(せっか)…吉田六左衛門重勝(雪荷)。道雪派(どうせつ)…伴喜左衛門一安(道雪)。 日置流(伊賀日置)(へき)…日置弥左衛門範次の系統。竹林派はこの伊賀日置流の系統を主張する。上記の大和日置流との関係は不詳である。竹林派(ちくりん)…石堂竹林坊如成。吉田流の吉田氏との関係も指摘されるが、詳細は不明。石堂竹林派…石堂家の系統。 尾州竹林派…尾張藩に伝わった系統。尾州竹林流とも。 紀州竹林派…紀州藩に伝わった系統。 大和流(やまと)…森川香山により江戸時代初期に創始された。香山は父より日置流寿徳派を学び、その後諸国を遊歴して日置流道雪派、大蔵派、印西派、竹林派、武田流、小笠原流、逸見流の秘奥を究めたという。神道思想を中心とした儒仏の思想をも織り混ぜて大和流として大成させた。 その他の流派 一貫流(いっかん)…大野又兵衛一貫により寛政年間に創始された。 応心流(おうしん)…高木尚三郎正朝(応心斎)。応心斎は紀州出身。挙母藩などで指導した。弟子に挙母藩士で後の新撰組隊士安藤早太郎など。安藤は天保年間に東大寺大仏殿の西廊下で通し矢を行った。 吉田当流(新発田藩、熊本藩)、豊秀流(会津藩)、太子流(姫路藩)など。
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