小渕恵三 政策

小渕恵三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 07:04 UTC 版)

政策

外交防衛

行政改革

橋本政権から引き継いだ課題の一つである中央省庁再編を積極的に推進した。中央省庁再編に伴い新設された総務省財務省文部科学省厚生労働省経済産業省国土交通省の名称を決定したのは小渕である[13]

情報通信

当時郵政省(現:総務省)が所管するアマチュア無線に造詣が深く、自らも熱心なアマチュア無線技士コールサイン、JI1KIT)であり[14]国会議員で構成する「国会アマチュア無線クラブ」の会長も務めていた。1986年(昭和61年)8月13日、日本初アマチュア衛星JAS-1の打ち上げに大きく貢献。また、アマチュア衛星JAS-1b、アマチュア衛星JAS-2の打ち上げにも貢献した。

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第30回衆議院議員総選挙 1963年11月21日 26 旧群馬3区 自由民主党 4万7350票 14.69% 4 3/6 /
第31回衆議院議員総選挙 1967年1月29日 29 旧群馬3区 自由民主党 6万1543票 18.16% 4 3/6 /
第32回衆議院議員総選挙 1969年12月27日 32 旧群馬3区 自由民主党 5万185票 13.82% 4 4/7 /
第33回衆議院議員総選挙 1972年12月10日 35 旧群馬3区 自由民主党 3万7258票 9.66% 4 4/5 /
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月5日 39 旧群馬3区 自由民主党 7万6012票 18.55% 4 2/6 /
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月7日 42 旧群馬3区 自由民主党 6万2375票 15.39% 4 3/6 /
第36回衆議院議員総選挙 1980年6月22日 42 旧群馬3区 自由民主党 5万9647票 14.64% 4 4/6 /
第37回衆議院議員総選挙 1983年12月18日 46 旧群馬3区 自由民主党 4万9028票 12.51% 4 4/5 /
第38回衆議院議員総選挙 1986年7月6日 49 旧群馬3区 自由民主党 7万5289票 18.35% 4 4/5 /
第39回衆議院議員総選挙 1990年2月18日 52 旧群馬3区 自由民主党 7万6932票 17.68% 4 4/7 /
第40回衆議院議員総選挙 1993年7月18日 56 旧群馬3区 自由民主党 8万9440票 22.74% 4 1/7 /
第41回衆議院議員総選挙 1996年10月20日 59 群馬5区 自由民主党 12万7052票 70.70% 1 1/3 /

人像

  • 歴代の首相で初めて修士号を授与されている。
  • 身長168cm、体重68kg、血液型A。
  • トヨタ自動車相談役の奥田碩からは「一見おっとりされているが、人の話をよく聴く方」と評されていた。
  • 総理大臣在任中に公開されたクレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦に総理大臣が登場する。総理大臣の名前は同映画では出てこないが外見が小渕恵三そっくりで、モデルであるとされている。

「人柄の小渕」

  • 絶対に他人を叱らないことで有名だった竹下登の薫陶を受け、小渕もまたを作らない、穏やかな性格の持ち主として知られていた。しかしその一方で、村山富市内閣総理大臣が辞意を漏らした際(後に否定し続投)、村山内閣副総理外務大臣だった河野洋平が後継首相に意欲を示し、河野の意を受けた森喜朗自由民主党幹事長が党内の情勢を探るため有力者の意見を聞いて回ったところ、小渕は「ロッキード事件で自民党が苦境に立たされた時、あっさり党を見捨てて新自由クラブ結党に走った河野の首相就任は絶対に受け入れられない」と、いつになく強硬に反対し、党内最大派閥の支持が得られなければ政権の維持は難しいとして、森らは一度辞意を漏らした村山富市を慰留し、結局村山がしばらく続投することになった。
  • 後年、自由民主党総裁選挙に再選を目指して出馬した際、対抗馬として立候補した、加藤紘一山崎拓に対しては、両名が率いる派閥を党役員人事・内閣改造で徹底的に冷遇し、宏池会で加藤のライバル的存在であった河野洋平を再び外務大臣に任命したほか、同じく宏池会に所属しながら、加藤の出馬に反対した池田行彦を、党政務調査会長から総務会長へと横滑りさせた。この人事に対して、電話で抗議した加藤に対し、小渕は「あんたは俺を追い落とそうとしたじゃないか。選挙とはそういうものだ」と言い放ち、加藤は絶句したという。このように、時として敵を作らない「人柄の小渕」らしからぬ行動に出ることもあった。

趣味嗜好

スポーツ

交友

郷里の中之条町にある銅像
  • 河口湖別荘を建築した竹下に誘われ、小渕も竹下の横に別荘を建築。しかし、途中で建設会社が倒産し、別荘としては機能しなかった。
  • 渡部恒三と親しく、福島県西白河郡西郷村の渡部所有の土地の隣に、6,000平方メートルの土地を所有していた。
  • DAIGOが15歳のとき、小渕からお年玉として8万円を貰ったことがある。DAIGOの祖父である竹下登のお年玉が3万円だったことから、小渕を祖父の次に尊敬し「小渕さん、リスペクトですよ」と語っている[15]
  • 小渕の秘書を務めていた山本龍(のちの前橋市長)に対して、「山本。政治はな、金もいらねえ、休みもいらねえっていうばかにしかできねえんだ」との持論をよく語っていた[16]

ブッチホン

銅像

  • 2001年4月にはサミットを記念して沖縄県名護市万国津梁館に、また2002年5月には、小渕の郷里・群馬県中之条町に銅像が建立された。

注釈

  1. ^ 演説が下手な小渕に頼まれた海部俊樹が考えた言葉。
  2. ^ ただ、竹下登は「代議士が郵便配達員になったのではなく、郵便配達員が代議士になったようだ」と語ったという。
  3. ^ 昭和元年と昭和64年はそれぞれ1週間だけなので、実質的には62年2週間。
  4. ^ 実兄の小渕光平と秘書の古川がドコモの未公開株を保有し、実質70億円とも90億円ともいわれる利益を得たとの疑惑。
  5. ^ 1999年(平成11年)12月7日衆議院予算委員会における宮澤喜一大蔵大臣答弁による。
  6. ^ 小里、保岡の党幹部・閣僚起用は第2次森内閣まで持ち越された。
  7. ^ 深谷の前任者である与謝野馨は深谷と同じ中曽根派→渡辺派の出身でもあり、2人の政界の師匠である中曽根に配慮したともいわれている
  8. ^ ただし、福田の息子で越智の義弟に当たる福田康夫は入閣しなかった。
  9. ^ 平成11年度(1999年)の本予算および補正予算より計100億円を拠出。

出典

  1. ^ 青年オブチの世界紀行”. 首相官邸. 2012年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月17日閲覧。
  2. ^ 海部俊樹回想録 第3章 出世の階段 (1) 頼まれどこへでも 2014年8月5日 中日新聞 朝刊 朝刊県内版 16頁
  3. ^ 県連の歩み|昭和55年~64年”. www.jimin-gunma.jp. 自由民主党群馬県支部連合会. 2023年12月19日閲覧。
  4. ^ 竹中治堅 『首相支配--日本政治の変貌』 中央公論新社中公新書〉、2006年5月25日、127頁。ISBN 4121018451
  5. ^ 文藝春秋2018年二月号、平成12年 介護保険施行翌日に倒れた小渕首相、丹羽雄哉 元厚生大臣、263頁
  6. ^ 【ノーカット】「凡人だと忘れぬよう心掛けた」小渕前総理へ村山氏の追悼演説 2000年【映像記録 news archive】 - YouTube(ANNnewsCH)
  7. ^ a b Strom, Stephanie (1998年7月23日). “Cold Pizza Hits the Spot in Japanese Politics (Published 1998)” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1998/07/23/world/cold-pizza-hits-the-spot-in-japanese-politics.html 2020年10月18日閲覧。 
  8. ^ 毎晩ワイシャツとステテコで寝た不器用な小渕さんはなぜ死んでしまったのか”. FNNプライムオンライン. 2020年8月17日閲覧。
  9. ^ 日本経済新聞(2019年1月12日)
  10. ^ ミレニアム・プロジェクトについて(首相官邸公式ウェブサイト)
  11. ^ 99年3月17日号”. 衆議院議員 河野太郎公式サイト. 2020年10月18日閲覧。
  12. ^ 大橋範雄『派遣労働と人間の 尊厳使用者責任と均等待遇原則を中心 に』 法律文化社(2007年)
  13. ^ 中央省庁等改革推進本部 (1999年4月15日). “中央省庁等改革推進本部・顧問会議(第13回)議事録”. 中央省庁等改革推進本部顧問会議. 総理大臣官邸. 2008年9月22日閲覧。
  14. ^ JI1KIT 内閣総理大臣に就任!!”. 日本アマチュア無線連盟. 2014年10月17日閲覧。
  15. ^ 株式会社G.B.発行 「激動の日本を動かした最高権力者の本懐 内閣総理大臣ファイル」
  16. ^ 菊池陽南子 (2020年2月4日). “前橋市長選 主な候補者の横顔 /群馬”. 毎日新聞デジタル. 毎日新聞社. 2023年12月21日閲覧。(毎日新聞朝刊2020年2月4日付、地方版・群馬)
  17. ^ 外務省: [ODA] ODAとは? 国別援助実績(1991年~1998年の実績) II 南西アジア [7] モルディヴ | 外務省
  18. ^ 平成4年度 JICA国別協力情報 モルディヴ, p.7






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