菅沼守人
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菅沼 守人(すがぬま もりと、1942年(昭和17年)7月27日[1] - )は日本の合気道家。合気道(合気会)八段。NPO法人合気道祥平塾(福岡市)理事長・道場長。全日本合気道連盟理事。国際合気道連盟高等委員[2]。合気道創始者植芝盛平最晩年の内弟子の一人[3]。
- ^ 出典:『季刊 道』No.145「九州派遣35周年を迎えて 菅沼守人 合気会8段会見」 19頁。
- ^ 第11回国際合気道大会に於ける国際会議(2012年(平成24年)9月18日~22日)にて選出された。2012~2016年迄の任期。(出典:『合気道探究』第45号、出版芸術社、2013年、24頁、ISBN 978-4-88293-439-4。)
- ^ 同時期の内弟子に藤田昌武、清水健二、遠藤征四郎らがいる
- ^ 出典:『武道』560号45頁
- ^ 吉祥丸の命名… 出典:『合気道マガジン』第34号、5頁、レイ出版株式会社、1988年4月。「菅沼師範の祥平塾は吉祥丸道主が自分の名の“祥”と盛平開祖の“平”をとって命名したものだ」
- ^ 盛平没後の1969年(昭和44年)、当時合気会熊本支部長であった砂泊諴秀が万世館合気道として合気会から独立したため、九州の合気会傘下道場は激減した(砂泊は盛平から私的に九段位と「九州師範長」の免状を与えられており、九州での道場の多くが砂泊の傘下にあった)。当時の合気道(合気会)道主・植芝吉祥丸はこの劣勢を挽回する大任を当時27歳の菅沼に託し九州に派遣した。「祥平塾」設立当初わずか20名でスタートした菅沼の門下生は日本・海外で現在3,000人を超え、入門者は延べ2万人に達するという。(出典:『季刊 道』No.145「九州派遣35周年を迎えて 菅沼守人 合気会8段会見」 19-26頁。)
- ^ 出典:月刊武道2013年2月号31頁
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