大受久晃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 01:58 UTC 版)
改名歴
- 堺谷 利秋(さかいや としあき)1965年3月場所-1967年1月場所
- 大受 久典(だいじゅ ひさのり)1967年3月場所-1969年5月場所
- 大受 久晃(- ひさてる)1969年7月場所-1977年5月場所
年寄変遷
- 楯山 利秋(たてやま)1977年5月17日-1997年5月29日
- 朝日山 利秋(あさひやま)1997年5月29日-2015年3月18日
脚注
参考文献
- 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p109-110
関連項目
注釈
- ^ 厳密には大受が24歳3ヶ月1週、雅山は24歳3ヶ月0週となっている。
- ^ 同じく関脇陥落場所で勝越すも大関特例復帰を逃した力士は、39年後に2013年1月場所の把瑠都、40年後に2014年1月場所の琴欧洲、43年後に2017年3月場所の琴奨菊の三人がいる(把瑠都と琴欧洲の成績は8勝7敗、琴奨菊の成績は大受と同じ9勝6敗。なお3人とも大関復活ならず現役を引退している)。
- ^ 十両が番付に登場した1888年(明治21年)春場所以降では史上初であるが、ただそれ以前の十両と幕下が区別されていない「番付表の上から二段目」で見ると、江戸時代の江戸相撲初期の看板大関が二段目に陥落した例はある。
- ^ 後に舞の海も頭部にシリコーンを入れて新弟子検査を通過したが、大受と異なり、除去可能になっていた。
- ^ 一般的に、脇を締める稽古(脇の下に藁を挟んで、それを地面に落とさないようにするなど)をすると脇毛がすり減る。「脇が甘い」と評される力士は脇毛が残る例もあるが、大受の場合は稽古する必要がないほど脇が生来固かったと考えられる。
- ^ 右膝関節捻挫により11日目から途中休場
- ^ 自律神経不安定腰痛・頸椎捻挫により8日目から途中休場
- ^ a b 角番 (全2回)
- ^ 右膝関節捻挫により9日目から途中休場
- ^ 関脇陥落
- ^ 左膝関節挫傷により6日目から途中休場
出典
- ^ a b c d e f g h ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p28
- ^ a b 「胸毛の横綱」再来か 高安=力士と「毛」あれこれ 時事通信
- ^ a b c d 【連載 名力士たちの『開眼』】 大関・大受久晃編 「牛若丸」を追いまくって生まれた押しへの信念――[その1] BBM Sports 2019-02-08 (2021年1月1日閲覧)
- ^ a b 朝日新聞 2015年3月22日19面
- ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p.89.
- ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p86(参考)
- ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p.83
- ^ 常識打ち破る!! 貴景勝、「押し相撲」で大関取りに自信 (1/2ページ) ZAKZAK 2019.3.20(産経デジタル、2019年3月30日閲覧)
- ^ 朝日山勢の転籍を承認 2015年1月29日17時8分 スポーツ報知
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年12月号(九州場所総決算号) 113頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2017年2月号(初場所総決算号) 91頁
- ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p45-46
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