国鉄113系電車 改造車

国鉄113系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 09:56 UTC 版)

改造車

本系列は、長きにわたり大量に製造されたほか、JR各社へ移行後も使用されていることから、地域や時代のニーズに合わせた改造工事が多数施されている。

国鉄時代の改造車

特別保全工事

1960年代に製造された車両は1980年以降老朽化が進み置き換えの対象になったが、当時の国鉄の財政では新造車両への置き換えは困難だったため、製造から15 - 16年経過した車両に対して全般検査2回分の延命を図る延命工事を施工した。これが特別保全工事である。

主な施工項目は

  • 屋根鋼板の補修
  • 雨樋補修
  • 外板補修(屋根・腰板部・窓周辺など)
  • 側窓枠取替
  • 空気配管取替
  • 主回路配線取替
  • 便所床鋼板取替

このほか、施行工場によっては、引戸の取替や内装更新(化粧板、シートモケットの配色交換)、塗屋根化なども追加で実施したほか、冷房改造や汚物処理装置取り付けも併せて行った車両も存在した。民営化後も引き続き各社で行われたが、延命工事に切り替えたため、施行車両は少ない。なおJR東海では平成に入ってから、施行の際に化粧板が211系同様のものに取り替えられた車両も存在した。

冷房改造

試作冷房改造

冷房化が本格化した私鉄通勤電車に続き、国鉄でも通勤・近郊形電車の冷房化を試行することとなり、1970年に山手線103系10両と京阪神快速東海道本線山陽本線)の113系8両で試作冷房車が投入された[56] [57]。103系は冷房車として新造されたが、113系では既存の0番台が改造された[57]

改造されたのは、サロ112形を含む以下の1編成8両である[56][58]。改造工事は1970年6月から7月にかけて国鉄吹田工場で施工した[59]

 
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上郡 →
車両番号 クハ111-52
(Tc)
モハ113-55
(M)
モハ112-55
(M')
クハ111-369
(Tc')
サロ112-14
(Ts)
モハ113-15
(M)
モハ112-15
(M)
クハ111-360
(Tc')
冷房装置
製造会社
AU75X形
三菱電機
AU74X形
日立製作所
AU73X形
東芝
AU13E形
(分散式)
AU75X形 AU73X形 AU74X形
扇風機 なし あり なし あり なし
天井ダクト あり なし あり
  • サロ112-14は試作冷房車ではない。

冷房装置はクハ111-369とモハ112-15が東京芝浦電気(東芝)製AU73X形[60]、モハ112-55とクハ111-360が日立製作所製AU74X形[61]、クハ111-52とモハ113-15・55が三菱電機製AU75X形[62]集中式冷房装置3種類が車体・台枠を補強のうえで搭載され、車内の意匠も冷房風道や吹き出し口の配置、扇風機の有無も数種類が存在した[59][63]。いずれも容量は48.84 kW(42,000 kcal/h)である[59]。運転席背後の窓は埋められ、そこに設けた総括制御盤から冷房の操作を行う[59][56]

冷房用電源装置は、113系では編成両数の考慮から急行形冷房車と同一の110 kVAのMG(三相交流440V.60Hz)がクハ111形に搭載された[57][64]

一方、サロ112-14は同系の車体を持つ165系サロ165形、455系サロ455形と同様の分散式AU13E形(1基あたり5,500kcal/h 容量)が搭載されたが、それらが5基搭載だったのに対して6基搭載とされた[59](同車は試作冷房車ではない)。 宮原電車区に配備されたサロ112-3についても同様の改造が行われた。

なお、同じサロ112でも、1, 13, 17, 19, 21 - 29, 51, 101 - 104は、サロ152・サロ163時代に冷房電源として、MH122A-DM76の20 kVAのMGを装備していた。

113系の試作冷房車は、大阪万博の開催期間中の1970年7月19日より営業運転を開始した[59][57]。1972年2月、クハ111-369とサロ112-14を除き鳳電車区に転じて阪和線で使用された。1976年度以降冷房装置を量産タイプのAU75Bに載せ替えたが、クハのMGはそのままであり、モハ112もMGは設置されなかった。

クハ111-369は1986年に800番台に改造された。国鉄の分割・民営化時には7両全車がJR西日本に承継された。
0番台のままだった6両は1991年に800番台および415系800番台の種車となった。冷房電源が量産車と異なりやや特殊な存在ではあったが、415系改造時にクハ搭載のMGが上手く生かされた形になった。
番号の対照は以下のとおり
モハ113-15→モハ113-813→クモハ113-3813
モハ113-55→モハ113-819→クモハ113-3819
モハ112-15→モハ414-810
モハ112-55→モハ414-804
クハ111-52→クハ415-801
クハ111-360→クハ415-807
クハ111-369→クハ111-810

※クハ111-810は2005年、クモハ113-3813と3819は2008年に廃車され、現在は415系800番台に改造された4両が残る。

量産試作冷房改造

試作冷房車の使用実績から、冷房装置は小型軽量化の点で勝るAU75X形を基本としたAU75系が標準機種として選定され、1971年度に京阪神快速用の113系29両が量産試作冷房車として冷房化改造された[65]。103系試作冷房車の実績から冷房風洞は1本となり、近郊型の113系では扇風機は省略された[65]。冷房用電源は、試作冷房車と同じく110 kVAのMGが制御車に搭載された[65]。また、冷房装置本体が後位寄りに設置されている。

この対象車は試作冷房改造車に続いて関西地区の配属車が選ばれ、当時113系で運転されていた新快速運用で並行私鉄(阪急京阪など)との対抗に利用された。

この量産試作冷房改造車の実績をもって、冷房風洞や冷房電源用MGの改良を行った113系1000番台の新製冷房車(1000'番台)の登場に繋がっている[65]

番号は以下のとおり
モハ112
12→モハ414-802
18→モハ414-811
30→モハ414-807
31→モハ414-806
66→モハ414-803
111→モハ414-805
164→モハ414-808
168→モハ414-809
モハ113
12→818→サハ111-5801
18→814→クモハ113-3814
30→812→クモハ113-3812
31→811→クモハ113-3811
66→810→クモハ113-3810
111→817
164→815→クモハ113-3815
168→816→クモハ113-3816
クハ111
66→819
68→820
151→821
172→822
338→クハ415-808
339→クハ415-806
340→クハ415-805
342→クハ415-802
351→クハ415-804
352→クハ415-811
382→クハ415-803
417→クハ415-810
458→クハ415-809

これらのグループも、クハ111-340・351・417・458を除き、改造間もない1972年に鳳電車区に転じ、阪和線で使用された(クハ111-351は1978年に鳳に転属)。JR移行後、試作冷房改造車同様に800番台や415系800番台の種車に転用された。

量産冷房改造

1973年以降、113系は同年製造の1000'番台に準じて、普通車の冷房化改造工事が開始された[66]。冷房電源はモハ112形のMGを20 kVAから冷房電源兼用の160 kVAのMH135-DM92に交換することで対応され、自車を含む4両に給電する方式となった。また、同時に一部の車両(初期改造車)を除いて側面行先表示器の準備工事が施工され、競合する直下の窓は上段が固定化された。またグローブ式ベンチレーターのクハ111形のうち、最前部のベンチレーターが箱型の車両は、改造時にグローブ式に交換されている。

特異車として名古屋工場で改造された車は、屋根上ベンチレーターが押込式であった車もグローブ式に換装されており、また冷房装置の位置が通常より後位寄りに設置されている点が特筆される。幡生工場改造車は、冷房装置前後の押し込み式ベンチレーターを、新製冷房車後期グループ同様に冷房本体から離れた位置に移設している。(同工場改造の115系にも、同様の改造が施工された)

クハ111形1200番台

クハ111-1201(1990年)

脱線事故によりユニットの片方を失ったモハ113-1027を1983年に制御車に改造して登場した番台区分で、種車の前位に運転台を、後位にトイレを設置して奇数向き固定使用とされた。改造を施工した大井工場にクレーンが無かったため、台枠を切らずに運転台を構築する方法で改造されている。-1201の1両が存在し、幕張電車区(現在の幕張車両センター)に所属して房総地区で運用していたが、2001年に廃車されている。

方向転換改造

1984年2月のダイヤ改正では、短編成高頻度運転を行う「シティ電車」が各地の都市圏に拡大された[67]。短編成化で不足する先頭車を補うため、先頭車の方向転換改造も実施されている[68]

1984年2月のダイヤ改正で京阪神快速と房総地区の普通列車が増発され、編成数増加のため奇数向き先頭車が必要となった[67]。この先頭車を捻出するため、網干電車区配置の偶数向きクハ8両が方転改造された[注 16]。空気圧縮機の撤去と引き通し線の奇数向き仕様への取り替えが行われ、車両番号は0'番台の奇数向き車の続番が付与された[68]

番号の対象は以下のとおり
クハ111-357・367・481・436・457・462・449・455 → クハ111-263・264・265・266・267・268・269・270

このうちクハ111-263(旧357)と-264(旧367)は方転前に幕張電車区に転属し、正確には幕張区転属後に方転されている。この2両のみ非冷房で、1994年までに冷房改造されることなく廃車された。265 - 268は冷房改造車の方転、-269と-270は方転後にAU75による冷房改造がされた。JR化後には-268以外は後述の高速化改造が施工され+5000となった。

JR西日本になってからの1991年には上記と同様の理由で、同じ網干電車区配置の偶数向きクハ3両が方転改造された。

番号の対象は以下のとおり
クハ111-347・374・411 → クハ111-276・277・278

-276と-278はWAU102形冷房改造車、277はAU75冷房改造車の方転であり、すべて後述の高速化対応工事が施工され+5000となったが、現在は全て廃車されている。

クハ111形は前述のとおり、非冷房車は除き奇数向き (Tc) ・偶数向き (Tc1) ともに両渡り構造のため、静岡地区では国鉄末期 - JR初期に伴い改番を伴わない方転改造車が存在した。これらは211系投入により非冷房、奇数向きのまま廃車された。

クハ111形の耐寒耐雪改造

7700番台(元2700番台)の2000番台改造編入車

1984年2月のダイヤ改正で、当時高槻電車区の700番台・2700番台が短編成化により先頭車が不足するため、同じ高槻電車区配置のクハ111-2000番台8両[注 17] が改造された。

番号の対象は以下のとおり
クハ111-2109 - 2112 → クハ111-2703 - 2706
クハ111-2009 - 2012 → クハ111-2753 - 2756

付番は新製車の追番。改造内容は側引戸の半自動化とシャッター付タイフォンカバーの取付(新製車とは異形状)と予備笛の追加である。JR化後に全車体質改善工事を受けている。またJR西日本でも中間車を含め追加改造車が誕生している。

サハ111形300番台

房総各線で運用している6両編成の一部を4両編成とするために先頭車を捻出する必要があったのと、クハ111-1307、モハ112-1027の事故廃車補充および伊東線用の4+7編成1本を11両編成1本に組み替えるために、1984年1985年中央東線115系の短編成化で余剰となるサハ115形300番台4両を改造して登場した番台区分である。外観は115系と変わらず、115系の特徴である半自動扉対応の取手などもそのままであった。このため、当番台の側扉開口幅は他車より狭い1,100 mmとなっている。

301 - 304が改造され、全車が国府津電車区(→国府津車両センター)に配置された。これにより同区のサハ111-2000台3両が大船電車区(→鎌倉車両センター)に転属し同区の編成中間のクハを捻出した。東海道本線東京口基本編成で運用されたが、横須賀・総武快速線へのE217系投入による同線からの1000・1500・2000番台の転入に伴い、1995年から1999年にかけて全車が廃車された。この中で302と303がトイレ対向部を除いてロングシート化改造を受けた。

サハ111形400番台

サハ111-401(1989年)

サハ111形300番台と同じ理由で1986年1988年にモハ113・112形を電装解除して登場した番台区分で、401 - 404が存在し、奇数号車がモハ113形(273・1058)、偶数号車がモハ112形(273・1058)からの改造車である。サハ111形0・1000番台との相違点は電動車からの改造のため、車体妻面の主電動機への冷却風取入口が存置されている他、モハ112形からの改造車は電動発電機冷却風取入口の存置やパンタグラフを撤去した跡が残っていた。403・404は、種車のモハ113・112-1058が冷房準備車だったために扇風機のスイッチ跡が残っていた。前述のサハ111形300番台と同様に東海道本線東京口で運用され、のちに403は全座席ロングシートに改造された。403以外は1998年に、403も2000年に廃車された。

113系800番台

クモハ113-811(大阪駅、1988年)
新福知山色へ変更後の800番台(道場 - 三田間、1991年)

1986年福知山線宝塚 - 福知山間および山陰本線福知山 - 城崎(現在の城崎温泉)間の電化開業に伴い、ローカル列車に113系が充当されることとなった[69]。国鉄が大船・吹田・鷹取・小倉の各工場と広島車両所・幡生車両所(名称はいずれも当時のもの)で0番台に対してドアの半自動化(手動)など、700番台に準じた寒冷地対策(耐寒耐雪仕様)を施工したグループが800番台である[70][69]。800番台を名乗るが、パンタグラフ取り付け部低屋根化改造は行われていない。大船工場(AU75冷房改造も実施)と小倉工場はクモハ112・113の先頭車取付改造のみ実施)

この時期には国鉄の財政事情も厳しくなっており、各地から集めた余剰車を改造することとなった。種車となる113系0番台の捻出は、京阪神の新快速への117系100番台の投入による113系の捻出、京阪神緩行線への205系の投入と103系の関西本線転出による113系の捻出、中央東線165系紀勢本線転用による113系の捻出を行うなど、複雑な転属により行われた[69]

編成は輸送需要を考慮して2M2Tの4両編成、2Mの2両編成が組成され、2両編成の先頭車化改造車はクモハ113形・クモハ112形に区分された[71]。国鉄時代には4両編成9本と2両編成14本の64両が改造された[70]。2両編成はモハユニットに運転台を増設することで賄われているほか、一部は冷房改造が併施された[70]。工法は既に115系485系などで実績のある、あらかじめ配線・配管などを含めた完成済みの運転台ブロック(運転台ユニット)を製作し、既存構体に接合するブロック接合工法で施工した[70]

種車は大部分がグローブ型ベンチレーターを持つ最初期に製造された車両で[70]、寒冷地には不向きであったが、冬季の雪や冷風の吸い込みを抑えるためのカバー取り付け(車両前後方向の吸気口が塞がれ、開口面積が半分程度にされた)が行われたのみで使用された。また、種車の関係で非冷房車の率が比較的高く、800番台化改造時に冷房搭載が行われた車両も電源用MGは廃車となった特急型電車の食堂車から70 kVAのMGが調達されている[71]。クハ111形の前面形状もバラバラであった。なお、非冷房で残された車両は後の分割民営化後に冷房改造され、車両毎の形態差が複雑化することになる。

寒冷地仕様として戸閉機構の半自動化(次項)、客用出入口ドアレールに凍結防止ヒーターの設置、妻面の主電動機冷却風取入口に開閉カバーを設置した(夏期は外部から、冬季は室内から取り入れ)[70]。さらにスノープラウ、耐雪ブレーキの取り付け、予備笛の追加と既存のものにカバーの追加、床下機器の防雪対策を施工した[70]

戸閉機械も本来半自動用でないTK4形の改造品を搭載しており、当初からの半自動対応車よりも開閉し難くなったことから、客用扉の取っ手は持ちやすいよう従来より大型のものが設置された(同様の工事を受けた103系仙石線用改造車や105系可部線用改造車に倣っている)。2両編成のクモハ112形にはトイレが新設され、汚物処理装置が全車に装備されたが、電動車で床下にスペースが無かったことから、水タンクは車内トイレ脇に設置された[71]

元番号とは関係なく、改造順に801 - の番号が付された。クハ111形は他番台のような向きによる番台区分はされず、CP無しの東(奇数)向き先頭車は奇数番号、CP付きの西(偶数)向き制御車は偶数番号とされた。福知山運転所に配置され、4両編成の一部は改造後、車両不足を補うため日根野電車区に貸出され紀勢本線を中心に運用されたこともある[72]。全車JR西日本に承継された。のちにJR西日本では七尾線電化に伴う415系800番台への改造に関連して113系800番台の追加改造が行われている。

番号の対照は以下のとおり
  • 国鉄投入分
モハ113/112-69・48・146・82・63・101・54・83・86→モハ113/112-801 - 809
クハ111-129・384・148・396・114・445・118・376・78・369・112・398・50・467・94・334・95・390→クハ111-801 - 818
モハ113/112-135・134・81・80・163・175・169・160・72・115・145・148・219・230→クモハ113/112-801 - 814

JR東日本の改造車

国鉄から大量に継承したが、新形式の投入に伴い現在は全車両が定期運用を退いている。

AU712形による冷房改造車

国鉄時代、非冷房車は新造車と同じAU75系冷房装置によって冷房改造されていたが、非冷房車は冷房搭載を前提とした設計ではなかったため搭載には構体の補強および電源用三相交流引き通し増設の工事が伴い、多額の費用と時間を要していた。113系では幕張電車区に所属していた房総地区の車両には大量の非冷房車が残っており、対応が急がれた。1000'番台冷房準備車はAU75による冷房改造を実施したが、初期車は1988年以降、屋根上に複数の冷房装置を搭載し、重量を分散することで補強を不要とする集約分散式冷房装置を使用しての冷房改造に移行した。

最初に施行された3両(クハ111-1007・モハ113/112-1014)は、AU75形冷房車との混結となるため冷房電源はモハ112形のMG交換による容量増強で対応していたが、その他の車両は編成単位で改造が行われたため、工期・費用を削減するために屋上別取付のSC24形補助電源装置 (SIV) も同時に取付けたタイプで登場した。多くの車両は車両更新工事と同時に行われたが、一部の車両は車両更新工事または特別保全工事施行後に冷房改造が行われた。

1992年に対象車両の改造が完了したが、これらの車両は車齢が高い上にAU712形の冷却能力が低いのが欠点であり、特別保全工事車は1996年以降E217系の投入により早期に廃車され、その他の車両も2004年以降国府津区にE231系が投入されたことにより捻出された状態の良い113系で置き換えられ、2006年中に全車廃車となった。

オールロングシート車

1989年から1992年にかけて、混雑の激しい東海道本線横須賀総武快速線の一部車両において、クハ・サハ111形のトイレ対向部以外の座席をすべて撤去し、ロングシートに交換された。これにより床面積が大幅に増加し、輸送力が向上した。新設された座席は211系415系のロングシート車に準じたバケット構造(座席に体形にあった定員分の凹みを設け、より快適な着座感を期待するほか定員着席を誘導する構造)とされ、サービス維持と着席定員低下防止が図られた。改造時に車両更新を併施した車両も存在したが、シートピッチ拡大車は改造の対象からは除外された。

両線で対象とする号車が異なり、東海道本線の田町電車区(のちの田町車両センター、現在の東京総合車両センター田町センター)では11両編成中の普通車9両(7編成で計63両)が、横須賀・総武快速線の大船電車区(現在の鎌倉車両センター)では11両編成中のグリーン車前後各2両の4両(11編成で計44両)が改造された。なお、田町所属編成はのちに国府津電車区(現在の国府津車両センター)へ転属している。

E217系の増備により、大船電車区所属車のうち状態の良い車両更新車は国府津電車区に転じたほか、モハ113/112-1125、-1127は小山電車区に転属し、E231系投入まで使用されその後廃車された。国府津電車区でも廃車や編成替えによって徐々にロングシート統一編成が崩れていったが、追加改造はなされなかった。これらは他線転用の対象にもならず、本系列が東海道本線から撤退した2006年に消滅した。

対象は下記のとおり
車号太字は車両更新車
  • 国府津電車区配属車
クハ111-194・198・202・215・218・226・237、527・528・536・537・539・550・556
モハ113/112-236・252・253・256・260・262・266・267・268・274・278・279・281・285・287・289・300・315・316・319・321
サハ111-302・303・403・1001・1014・1015・1018

平成3年に改造されたクハ111-218・237・527・550はシルバーシートステッカーは未取付だった

  • 大船電車区配属車
モハ113/112-1064・1065・1070107310811082・1125・1127・1130・1132・1146・1149・1157・1172・1176・1183・1206・1208・1210・1217・1228・1265

モヤ113形

異常時の対応や車両故障時の応急処置など、乗務員のための巡回訓練用車両としてモハ113形から改造された職用車。車内は後位側(東海道本線基準で熱海側)半分の座席が撤去されてミーティング用スペースと視聴覚教育用のAV機器が設置された。車外は側面に訓練車であることを示す白帯2本と「訓練車」の文字が追加された。

当初、1991年に0番台モハ113-68がモヤ113-1に改造されたが、1995年に同じく0番台で、経年の浅いモハ113-192改造のモヤ113-2と交代で廃車された。モヤ113-2は2005年まで使用されたが廃車され、形式消滅している。

前面強化改造

1992年に113系のクハ111-1038が成田線久住 - 滑河間の大菅踏切で踏切事故に遭い、乗務していた運転士が変形した運転台に挟まれて殉職した(成田線大菅踏切事故[73]。JR東日本はこの事故を受け、衝突からの乗務員保護のために先頭部にステンレス板(一部鉄板の例もあり)を追加する工事を進めた。 代替車両として国府津電車区からクハ111-231が幕張電車区に転属され幕張区から国府津区にサハ111-1048が転属されてK編成に組み込まれた

この種の工事は国鉄時代から行われていたが、同事故以降はより耐性を高めるため、それ以前や他のJRよりも徹底した、独自のメニューに移行した。下部のアンチクライマー(板状の物体)は1枚から4枚(ジャンパ連結器収め部分は2枚)に増強され、窓下の手すりは撤去されて衝撃吸収板が設置された。本来、アンチクライマーは正面衝突時に噛み合うことで他車への乗り上げを防ぐものであるが、ここでは障害物に対する意味合いが強い。年内に全ての非施行車を強化するため、各電車区でも工事が行われた。このうち横須賀・総武快速線の大船電車区と幕張電車区(いずれも現在の鎌倉車両センター幕張車両センター)の両区での施行車には、塗装を省略してステンレス地に帯テープを貼付されたのみで出場した車両も存在したが、工場入場時に塗装が行われ、短期間で消滅した。

なお、前照灯白熱電球であった車両は改造と同時にシールドビームへの交換が行われたため、工事の完了によって白熱電球装備車も消滅している。

車両更新工事

JR東日本では発足当初、国鉄時代から行われていた特別保全工事によって車両延命を行ってきたが、これを一層徹底した施工内容による延命工事に移行した。施工当初は1967年 - 1972年製の車両を対象に1988年から1993年まで実施されたが、後に1972年以降に製造された車両も追加された。113系では幕張区の0・1000番台初期車、幕張・大船区の1000'番台の一部、東海道本線で使用されるサハ111-1000番台が中心に施行され、のちに国府津区の113系0'番台も一部施行された。

おもな施工項目は

  • 屋根鋼板の補修とポリウレタン樹脂系塗屋根化
  • 雨樋取替
  • 外板取替(屋根・腰板部・窓周辺など)
  • 側窓枠取替
  • 外板塗装更新
  • 空気配管取替と除湿装置取付
  • 主回路配線引替
  • ジャンパ連結器の引替と片栓車の両栓化
  • 引戸の取替(上レール・下レール座・戸車取替)
  • 室内化粧板とカーテン取替
  • 腰掛脚台、蹴込板とモケット取替(フットライン入り)
  • 握り棒、荷物棚のステンレス化吊手の取替
  • 各ゴム類の黒ゴム化(戸先、戸当り、Hゴム、押えゴム)
  • 側扉ガラス支持方法の変更(Hゴム方式から金属押えゴム方式:一部車両はドア自体を金属押え方式のものに交換)

これらは多くの工場が担当しており、化粧板の柄や腰掛モケットが微妙に異なるなど、仕様に差異が見られ、大井工場施工車の一部には袖仕切が設置されている。1994年にE217系が登場すると車両更新工事は中止され置き換えられた。

リニューアル車

幕張車両センター所属のリニューアル車の車内

1999年より、幕張電車区(現幕張車両センター)配置の1000'番台後期車・1500番台を対象にリニューアル工事が行われた。内容は、コンプレッサーをレシプロ式からスクリュー式へ交換、座席の交換および車椅子スペースの設置、台車の軸箱の密封コロ軸受への改造、補助電源装置のMGからSIVへの交換などが挙げられる。編成番号は、4両編成はS221 - S225、6両編成はS61 - 71が与えられた。これらの編成は後年に列車番号表示機がLED化された。なお、モハ112-1252と1517はリニューアル工事は施工されていないが、補助電源装置やコンプレッサーが変更されている。

幕張区の車両のみではクハ111が不足するため、以前から配置されていた0'番台先頭車 (-231, -249) もリニューアルが施行された。この他に、廃車対象ながら状態の良かった小山電車区所属(旧大船電車区所属)の-1138, -1455の2両を転属させた他、幕張区の1000'番台車両更新車と国府津電車区の未更新車 (-244, -552, -1602, -2146) との交換が行われた。-2146は2000番台として唯一リニューアル工事が施工された。

2001年3月までに6両編成×11本・4両編成×5本の86両が改造された。

← 千葉
安房鴨川・銚子 →
編成 クハ111 モハ112 モハ113 モハ112 モハ113 クハ111 竣工 施工 廃車 備考
S61 1448 1504 1504 1501 1501 244 1999.10.12 大船 2011.3.24
S62 1450 1253 1253 1254 1254 249 1999.10.28 大井 2011.5.11
S63 1453 1264 1264 1262 1262 1503 2000.1.27 大船 2009.10.8
S64 1605 1521 1521 1519 1519 1505 2000.1.28 大井 2009.10.22 M112+M113-1521は2000年2月2日施工
S65 1601 1511 1511 1508 1508 2146 2000.3.29 大船 2010.8.27
S66 1603 1514 1514 1507 1507 1133 2000.3.29 大井 2009.11.28
S67 1451 1523 1523 1513 1513 1137 1999.3.29 大井・大船 2010.11.25 M112+M113-1523は2000年3月30日施工
S68 1606 1524 1524 1522 1522 1506 2000.5.30 大井 2010.6.10
S69 1442 1512 1512 1510 1510 231 2000.10.2 大井 2010.5.11
S70 552 1259 1259 1258 1258 1501 2000.11.22 鎌倉 2010.11.12
S71 1444 1257 1257 1263 1263 1129 2001.3.29 鎌倉 2011.9.30 2010年に4連化(S222編成に改番)
← 千葉
安房鴨川・銚子 →
編成 クハ111 モハ112 モハ113 クハ111 竣工 施工 廃車 備考
S221 1449 1260 1260 1134 1999.3.29 大船 2010.4.28
S222 1454 1263 1263 1129 1999.3.23 大船 2010.10.31 S71編成のモハを編入し6連化
S223 1443 1250 1250 1128 1999.4.23 大船 2011.9.16
S224 1602 1261 1261 1504 2000.8.11 鎌倉 2011.8.31
S225 1455 1515 1515 1138 2001.1.9 大井 2009.12.4

房総地区向け方向転換・編入改造

  • クハ111形の方向転換

1988年、国府津電車区所属のクハ111-173が方転改造(偶数方)され幕張電車区に配属された[注 18]。1991年にクハ111-183が改造、1992年にクハ111-200が改造。予備車として国府津電車区所属のクハ111型ATS-P型取り付けによる代走を務め1993年に幕張電車区に転属。

クハ111-173・183・200→クハ111-569・575・576

このグループでは-576が1997年に廃車になったが、-569は訓練車として国府津区に復帰し2005年まで活躍。-575は幕張区で訓練車扱いで2006年まで活躍。一時的に営業車として運用に入ったこともある。

  • クハ115形からの編入

1988年、房総地区の短編成化および列車増発に備え、JR東日本ではクハ115形からの改造編入(271 - 275・570 - 574)を行った。サハ111形300番台と同じく扉の半自動扱いのための取手などもそのままであった。これらの車両は車両更新工事や冷房改造が施行されることなく1994年までに全車廃車となった。

トイレ部分の側面方向幕撤去

1996年ごろから横須賀・総武快速線および東海道線で運用されているクハ111、サハ111のトイレ部分のみ方向幕が使用停止になった。これはトイレ部分の方向幕の盗難やいたずらが頻繁に起こったためである。施行後は幕部分は白、またはオレンジの紙が貼られ、機器裏蓋部分は残したものとステンレスの塞ぎ金物を詰めたものがあった。なお、対象車が房総ローカルに転用された場合は、方向幕は復元されている。

JR東海の改造車

後継形式の投入に伴い、2007年度中に全車廃車された。

東海道線名古屋地区向け短編成化改造

1988年3月改正で名古屋地区のフリークエントサービス充実化のため、短編成化で列車の増発を図ることになった[74]。このため神領電車区(現在の神領車両区)、大垣電車区(現在の大垣車両区)に配置されている113系2000番台6両編成を3両編成×2本に改造する工事が1987年から1989年まで行われた。

転用にあたり、以下のように編成替えが行われた。モハ113形では運転台ユニットの設置によりクモハ113形への先頭車化改造が行われ、クハ111形では奇数向きへの方向転換が行われた[75]

←東
クハ111+モハ113+モハ112+モハ113+モハ112+クハ111(8本)
クモハ113+モハ112+クハ111(8本) クモハ113+モハ112+クハ111(8本)

3両での走行のため、モハ113形は奇数向きに運転台が設置され、クモハ113形2000番台に改造された。種車はすべて2000番台であるが、車両番号は改造順に2001から振られた。設置された運転台は既存の2000番台先頭車に準じて新造されたものであるが、接合部に干渉した運転台直後の窓は設置されていないため、側面の印象はATC搭載車に近い。助手席側のワイパーは手動式で運転室の行先表示機設定器は未取付となった。


上記の改造により偶数向きクハが不足するため、奇数向きクハから8両が改造された(この書体のクハ111が8両)。種車にはCPが設置されず、方転改造時もCP設置が省略されたため、新区分番台「クハ111形2200番台」として区別された。車両番号は改造順に2201から振られた。改造内容は車間渡りの変更で、引き通し線の交換が行われた[75]。2205はクハ111-2165からの改造で、種車時代よりトイレ付きであったが、それ以外の車両へのトイレ設置は見送られた[75]

番号の対照は以下のとおり
モハ113-2001・2002・2004・2005・2048・2049・2009・2012・2050・2051・2011・2007・2121 - 2124→クモハ113-2001 - 2016
クハ111-2103・2105・2137・2104・2165・2108・2124・2125→クハ111-2201 - 2208

改造工事の最中の1988年夏に211系5000番台が投入されたことにより、一部は東海道本線静岡地区への転用が開始され、1989年3月時点では静岡運転所(現在の静岡車両区)と大垣電車区に8編成ずつが配置された。1990年3月には大垣電車区に311系が投入されたのに伴い大垣の8編成が静岡に移動し、以後全車が静岡地区での運用となった。

当初はトイレの有無により運用が分けられており、トイレ付き車は大垣駅米原駅までの長距離運用[注 19] にも充当されたほか、東海道線 - 身延線御殿場線への直通列車や御殿場線内の運用にも3連という身軽な編成を生かし使用された。しかし1999年12月のダイヤ改正で313系投入に伴い、豊橋駅以西での113系運用が廃止されたため大垣、米原乗り入れは消滅。東海道線 - 身延線、御殿場線への直通列車も313系ワンマン対応車投入に伴い捻出された115系によって置き換えられた(ただし、御殿場線内の運用は残存)。末期には長距離運用が無くなったためトイレの有無は関係なく一括で運用され、313系2000番台の投入に伴い、2007年までに全編成が廃車された。

偶数向きクハ111形の方転改造

1999年の313系投入に伴い、JR東海では多数の113系初期車が廃車となり、車齢の若い2000番台車の転配が行われた。この際静岡運転所では奇数向きクハが1両不足したため、大垣区から転属された2000番台偶数向きクハ1両を奇数向きに方向転換。新区分番台「2300番台」とした。なお車号の下2ケタは元番号から引き継がれた。

番号の対照は以下のとおり
クハ111-2033→クハ111-2333

この車輌は1979年に静岡運転所に新製投入された2000番台車4両編成1本のうちの1両で1989年に大垣電車区に転属。10年ぶりに復帰し改造された。改造内容は車間渡りの変更。CPは残存(ただし、使用停止)。トイレは後述のとおり使用停止だったため、便所流し管が撤去された。

本車両も2007年に廃車されて区分消滅となっている。

C-AU711形による冷房改造車

非冷房車を数多く抱えていたJR東海では、冷房化率向上の早期実現のため、国鉄時代からのAU75形に代わるインバータークーラーによる0番台非冷房車の冷房改造が1988年より開始された。1987年度に115系1000番台3両の冷房化改造でが試用され、結果が良好なことから1988年度より本格改造が開始されている[76]。冷房装置は集約分散式のC-AU711形2機/両となり、重量の分散によって車体補強などの関連工事が簡略化された。

冷房電源は、編成単位で非冷房であった場合はモハ112形の20 kVAのMGが存置され、編成中のクハ111形1両に専用の直流600 V静止型コンバータ (SCV) が新設された[76]。AU75冷房付電動車と編成を組むクハ111形は、モハ112形の大容量MGから給電された。

冷房風道は、AU75形搭載車とは異なり、室内灯取付位置に沿って線路方向に2本入る形となり、既設の扇風機もそのまま使用された。蛍光灯は、冷房風道横の取付座に増設された。

改造にあたり、冷房付電動車と編成を組むクハ111形は元番号のまま、SCV搭載のクハ111形は元番号+6000、その他は元番号+5000と区分された[76]。また、冷房機の外観は全て同じであるが、MGから給電を受けるものはC-AU711C形、SCVから給電を受けるものはC-AU711D形と区別されていた。また、側面行先方向幕は取り付けられなかった。運転台後部の通風器の取り替え(大型→通常の吸出式または押込式)も行われなかった。

SCV搭載車は全て大垣区に集められ、MG給電車のほとんどは静岡区に所属した。一部のクハ111形は汚物処理装置未取付のままトイレを使用していた。対象車は全車初期車であり、313系投入により2001年3月までに全車が廃車された。

ATS-P搭載車

静岡運転所配置の4両編成のうち、0'番台や2000番台で構成された17本がT編成と呼ばれ、国鉄末期の1986年11月から民営化後も東海道本線東京口でJR東日本車と併結運転を行ってきた。

1993年10月から東京 - 小田原でATS-Pが使用開始されるのに伴い、1992年から1994年にかけて、先頭車にはJR東日本と同様のATS-P取付改造が施工された。これに合わせて編成全車も110 km/h運転対応のブレーキ力向上が同時に施工されている。改造施工車は、早期に改造されたものは未改番だったが、1994年2月までに奇数向きクハ111形は700番台(2000番台車は2700番台)、それ以外の車両は600番台(2000番台車は2600番台)に改番されている。なお、車号は百の位を6、7に変更したのみなので元番号と順番が入れ替わる車両が発生している。

後述のとおり、トイレは偶数向きクハ111形のみの使用と改められ、奇数向きクハ111形のトイレは業務室扱いとして閉鎖された。一部の編成では東急車輛製造でATS-Pの取付が行われた。

番号の対照は以下のとおり
クハ111-203・204・206・207・209・213・221・238・241・247・251・195・197・2107・2122・2133→703・704・706・707・709・713・721・738・741・747・751・795・797・2707・2722・2733
クハ111-508・509・510・511・512・513・514・519・524・530・531・542・544・546・2022・2032→608・609・610・611・612・613・614・619・624・630・631・642・644・646・2622・2632
モハ113/112-302・307・233・234・247・248・249・254・276・277・280・288・2075・2084・2087・2097・2098→602・607・633・634・647・648・649・654・676・677・680・688・2675・2684・2687・2697・2698
車号太字のみ改造・改番は1994年2月

改造内容はブレーキ力増強、焼結合制輪子・ライニングの使用。

上記のとおり他社管内での運用が主で、伊東線および伊豆急行線全線でも2本併結の8両で運用された。入庫は下り東京 - 静岡間(323M, のちに325M)、出庫は上り静岡 - 横浜間 (360M) とされ、横浜で折り返し伊東行き (537M) となり、翌日は伊東線・伊豆急行線で終日運用され、その翌日に熱海から東海道線運用に入っていた。なお、伊東線・伊豆急行線での運用の際は、方向幕に「伊豆急下田」が含まれていないため、「普通」表示となっていた。

1998年3月改正では、国府津電車区(現在の国府津車両センター)に横須賀・総武快速線からの転用車を使用して付属編成が増強されたことに伴い、捻出された一部は静岡地区内での運用が増加した。2000年には後述のように3本がT編成を解かれ、先頭車が元番号に戻された。

2002年12月改正では、伊豆急行200系増備に伴い伊東線・伊豆急行線内運用が消滅。出庫列車 (360M) の終着駅が国府津駅に変更された。

2004年10月改正ではE231系の投入により国府津の113系の置き換えが開始され、さらにJR東日本 - JR東海乗り入れ列車の大幅削減に伴い、東京口での運用が終了。一部編成は貸出扱いとして残ったが、12月までにすべて返却された。その後は列車番号表示機の撤去およびATS-P使用停止の小改造を受け(耐用年数の関係からブレーキ力戻しや元番号への復帰はせず)、ローカル用編成と共通運用で自社内で使用された。しかし、東京地区での過酷な運用のため老朽化が著しく、他の113系より一足早く2006年初旬から廃車が開始され、2007年までに全車廃車となった。

後年、偶数向きクハ111形のトイレ部分の行先表示器がJR東日本車と同様に撤去され、その部分には当て板が施されている。

ATS-P撤去車

1999年以降、静岡運転所の113系で自社内ローカルで使用される編成は、上記の3両編成16本のほか、6両編成5本が誕生したが、4両編成が5本に減少した。不足分はT編成が補ってきたが、2000年になって神領電車区から6両編成1本が転属。これを4両2本に変更したが先頭車が不足するため、捻出されたT編成から先頭車を転用することになったが、ブレーキ力改造車は未改造車との編成内での混結はできないため、ブレーキ力を戻す改造が行われた。のちにさらに6両編成2本を4両編成4本に変更するため、T編成2本の先頭車が追加で改造された。

番号の対照は以下のとおり
クハ111-797・704・751、611・619・622→197・204・251、511・519・522

改造内容は、ブレーキ力戻しのほか、ATS-P車上子の撤去に伴い、元番号に復帰した。運転室内のATS-P表示灯、列車番号設定機は残されていたが、「ATS-P型使用停止」のシールが貼られた。この改造により余剰となった中間車(モハ113/112-633・634・647)は2001年4月に廃車となった。

小断面トンネル対応車

2001年に中央本線塩尻 - 中津川間へ臨時列車として113系が入線することとなった。同区間の南木曽駅以北には断面の小さなトンネルが存在するため、モハ112形のパンタグラフの折り畳み高さが4000 mmに抑えられるC-PS24A形への交換が施工された[77]。モハ112形2000番台4両が改造され、元番号に6000が加えられて「8000番台」となった[77]。2008年までに全車が廃車されている。

番号の対照は以下のとおり
モハ112-2031・2040・2041・2120→8031・8040・8041・8120

なお、一部文献で「身延線入線のため」とする資料が存在するが、誤りである。[注 20]

トイレ使用停止車

JR東海では1992年から113系は1編成にトイレは1箇所とした。このため以下のように変更した。

  • 偶数向き奇数向き関係なく汚物処理装置装備車のみトイレ使用可能とする
  • 静岡運転所T編成は、偶数向きクハ111形のみの使用と改め、奇数向きクハ111形のトイレは使用停止(汚物処理装置装備車の同装置は残存)。
  • 同装置未装備車のトイレは施錠して使用停止とする。(扉に「業務用」のステッカー貼付)
  • 使用停止車は便所使用知らせ灯も撤去(撤去後はカバーにて埋め込み)

これに伴い汚物処理装置装備車が不足する大垣区では、静岡区の同装置装備車との交換転配が行われた。静岡区ではトイレ使用可能車を捻出するため、トイレなし2100番台3両と汚物処理装置未装備車の0'番台1両をT編成に組み込み、奇数向きトイレ使用可能車を4両をローカル用に転用。同時に前述のATS-P型取り付けを考慮し、編成に含まれていた1000番台初期車を0'番台車に置き換えを実施した。なお、C-AU711D形搭載のクハ111の中で編成両方とも汚物処理装置未装備車が存在したが、偶数向きのみ使用可能とし、汚物処理装置は装備されなかった。

運転室背面窓拡大工事

クハ111-0'番台、2000番台は運転席、助手席部分の窓が小さく、客室からの前面展望および車掌乗務時の客室展望が良くなかった。このため1991年から1994年にかけて対象全車にこの工事が行われた。なお、Hゴム押さえだったガラス支持は拡大時に金属押さえに変更し、拡大時に支障となる機器は移設された。ATS-P取付車は設定器を助士席窓下部に取り付けたため、あわせて助士席の椅子が撤去された。なお、クモハ113は先頭車改造時に施行されている。窓面積はクハ111改造車より大きい。

延命工事

1994年から特別保全工事と同等の延命工事を2000番台車を対象に施行した。

目立つ部分では

  • 側扉ガラス支持方法の黒ゴム化
  • 化粧板が211系と同様の白系に交換
  • 客室内貫通引き戸が311系と同様の窓面積が大きなものに交換
  • 床敷物の交換(ベージュ)
  • 座席モケット、座布団の交換(色は紺色のまま)

1999年にかけて多数の車両で施行された。このうち静岡区所属の0'番台車クハ111-225、547にも同様の工事が施行されている。

その他

113系に限らずJR東海の車両と共通で行われた改造。

  • 床下機器のグレー塗装化
  • 固定窓を支持するHゴムの黒ゴム化
  • 床敷物の交換(ベージュ)※一部のみ
  • クロスシートへの枕カバー取り付け
  • 二段窓の下段部分固定化[注 21]
  • シルバーシートの設置(モケットはシルバーに変更)

JR西日本の改造車

京阪神地区で多く使用されていたが、後継形式の投入に伴い、廃車が進んでいる。また複雑な改造や転用も多い。京阪神地区での110 km/h運転に伴う高速化改造が行われ、山陰本線京都口や舞鶴線・小浜線の電化、広島地区等への運用拡大が行われる一方、一部線区では輸送力適正化のため先頭車化改造による短編成化・ワンマン化も実施されている。

延命N・NA工事

特別保全工事にアコモデーションの改良を含めた延命工事として、延命N工事が施工された[78]。製造から30年の使用を目指し、特別保全工事時代の施工内容のほか、客室内のアコモデーションの改良が追加工事である。1987年度から1998年度にかけて、0番台の一部と700番台の大半を対象に368両に施工された。

おもな施工項目は

  • 化粧板の交換
  • 座席モケットの交換
  • 客室内貫通扉の交換
  • 荷物棚の焼付け塗装
  • 蛍光灯、吊革の増設

国鉄時代に特別保全工事を受けた車両に対しては、アコモデーション改良のみを追加した延命NA工事が施工された[78]。重複する部分は省略された。

WAU102形による冷房化改造

JR移行後も残る非冷房車の冷房化を推進するため、1988年よりWAU102形による簡易的な冷房改造が実施された[79]。JR東海のC-AU711形による冷房改造と同じ発想で、編成によって給電方法が2通り用意された点も同一である。

JR西日本では集約分散式3機/両のものが採用され、冷房付電動車と編成を組むクハ111形はモハ112形の大容量MGから給電。編成単位で非冷房であった場合は編成中のクハ111形1両に三相交流440 V静止形インバータ (SIV) 新設とされた[注 22]。なお、非冷房時代に設置されていた扇風機は存置され、クハ111形の運転台後部の通風器の取り替え(大型→通常の吸出式または押込式)も行われなかった。

改造による車両番号の変更は無い。AU75系に比べて冷却能力が劣るなどの問題に加えて、老朽化のため廃車が進んでおり、最後に下関総合車両所に残ったクハ111形 (-811, -812) 2両も、2016年1月に廃車された[80]

WAU202形による冷房化改造

非冷房車の割合が高く、早期の置き換え予定もなかった800番台を対象に、WAU102形と並行してバス用冷房を応用した冷房改造が実施された[79]。1991年までにクモハ113形+クモハ112形2両編成3本(後の5800番台ワンマン車)とクハ111形3両 (823 - 825) の9両が改造されている。

当初装置のほぼ全てが車内に搭載され、冷房電源は暖房と同様に架線の直流1,500 Vを直接取り込んで利用するものとされた。しかし車内の機器占有面積が多く、後期に施工されたクハ111形3両では室外機部分が屋根上搭載に変更され、クモハ113形+クモハ112形の3本も1992年から1993年にかけて室外機部分の移設がなされた。クハ111形3両は1999年と2001年に、5800番台となったクモハ113形+クモハ112形のうち-5807と-5809は2009年2月に、最後に残ったクモハ113-5803+クモハ112-5803は2010年度にそれぞれ廃車された。

高速化改造

1991年から最高速度120 km/hの221系が投入されたこともあって各線の快速・新快速がスピードアップするのに伴い、1992年より向日町運転所(のちの京都総合運転所、現在の吹田総合車両所京都支所)・宮原運転所(のちの宮原総合運転所、現在の網干総合車両所宮原支所)・網干電車区(現在の網干総合車両所)・日根野電車区(現在の吹田総合車両所日根野支所)に配置されていた全ての113系に対し、最高速度を100 km/hから110 km/hへ引き上げる工事が行われた[81][82]

モーターは継続使用され、高速域からの減速力を強化するために台車への増圧装置および応荷重装置の取付け(2000・2700番台は整備)、制輪子の交換などが行われた[81]。台車ばねについては特に改造前と変化がない。

改造後は原番号に5000を足した番号が付与されたが、一部の電動車についてはブレーキ力増強のためブレーキてこ比が2.56から4.19に変更され、番号も6000・6500・7750番台に分けられている[81]

施工車は未施工車と区別するために以下のように改番された[83]

  • 改番方法
    • 元番台…改造内容→改番方法=結果
  • 0番台
    • 高速化→0+5000=5000番台
    • てこ比改造→5000+1000=6000番台
  • 700番台
    • 高速化→700+5000=5700番台
    • てこ比改造→5700+50=5750番台
  • 800番台
    • 高速化→800+5000=5800番台
  • 2000番台
    • 高速化→2000+5000=7000番台
    • てこ比改造→7000+500=7500番台
  • 2700番台
    • 高速化→2700+5000=7700番台
    • てこ比改造→7700+50=7750番台
※この他、1両だけ存在した1000番台が+5000の6000番台となっている。

113系800番台の3両編成化に伴う改造

1991年の七尾線電化に伴う113系の415系800番台への改造(後述)と並行して、福知山線用113系800番台の3両編成化も同時に行われ、以下のような編成組み換えが行われた[83]。クモハ113を失ったクモハ112と編成を構成するため、415系改造対象から漏れたクハ111+モハ113は800番台に追加改造を施した上で3連化した。

←東
クモハ113+クモハ112 クハ111+モハ113+モハ112+クハ111
クハ111(800番台化)+モハ113(800番台化)+クモハ112(800番台)
クモハ415(クモハ113-800→)+モハ414(モハ112→)+クハ415(クハ111→)(七尾線転出)

モハ、クハともに追番で付番されたため、モハ113-800番台の番号が増加したほか、クハ111は奇数向車が増加したため先頭車の偶数奇数の原則も守られなくなった。

対象車両は以下のとおり
モハ113-66・31・30・15・18・164・168・111・12・55→モハ113-810 - 819
クハ111-66・68・151・172→クハ111-819 - 822

1991年になると、2両編成で残った非冷房車3本は、前述のWAU202形冷房装置を搭載のうえ、さらに上り向きクハ111-800番台を追加改造のうえ、3両化した。

対象車両は以下のとおり
クハ111-442・451・471→クハ111-823 - 825

対象車はすべて偶数向きの非冷房だったことから奇数向きに方向転換のうえ、前述のWAU202形冷房装置を搭載。CPも撤去されたほかWAU202形冷房装置の機器室確保のためトイレとトイレ前の座席は撤去された。これらの転用の際、非冷房のままだったモハ112/113-802、クハ111-804は転用されず廃車となった。

クハ111-819は、1994年の一時期、元のライトの位置に103系のシールドビーム化のようなアダプターを取り付けてシールドビームが4灯取り付けられ、前面幕がLEDに改造された。しかし同年9月にシールドビーム2灯化改造され、前面幕も字幕式に戻された。このときのシールドビーム2灯化は、外見の違和感がなくなるように0’番台以降のものと同じ形状にするのではなく、白熱灯用ライトケースに口径差を解消するリング状の枠を取付けてシールドビーム灯を設置する方式である。この改造は他にクハ111-808、820、821、806が施工された。なお、クハ111-806については高速化改造を受けてクハ111-5806に改番された。

113系800番台の追加改造

1995年には当時奈良電車区に配置されていた113系が運用廃止により余剰となった。この中からクハ111形3両が800番台に転用された。

対象車両は以下のとおり
クハ111-432・435・470→クハ111-826 - 828

対象車は全て偶数向きでWAU102形冷房装置搭載。偶数向きでクモハ112形の前部に連結され4両編成化された。このためクハ111+モハ113+クモハ112+クハ111という編成が誕生した。改造されたクハ111はカセット式汚物処理装置装備車だったが、クモハ112形に循環式汚物処理装置が搭載されていたことからトイレは使用停止となった。

1996年山陰本線園部 - 福知山間の電化に伴い、クモハ113を含む3本がクハ111形の取り外しとワンマン運転対応改造、半自動ドアのスイッチ化(700番台と異なり、窓埋めはされず)、電気連結器の設置を受けて同線に投入(配置車庫は変わらず)された。直後、高速対応工事が行われ、800番台番号に5000が加えられて「5800番台」となっている。

前後して残った3両編成の一部が4両編成に組み換えられ、車両需給の都合でクモハ112を含む4連1本が一時的に広島地区に転用されたり、全電動車やクハ111+クハ111+モハ113+クモハ112といった編成も発生した。しばらくはこの状態で推移したが、2000年から2001年にかけて、モハ113+クモハ112が2両編成の再配置とワンマン運転のために3800番台に改造されて消滅。

この際クモハ112に組み込まれていたクハ111はモハ113形に運転台機器を提供し廃車となった。最終的には純粋な4両編成3本(クハ111-807+モハユニット-804+クハ111-808、クハ111-809+モハユニット-805+クハ111-810、クハ111-817+モハユニット-809+クハ111-818。全て国鉄時代に改造されて以来変化なし)と編成相手の電動車が3800番台に改造されたために保留車となったクハ111形2両(822・828)だけが残っていた。しかし、転用先が無く、車齢も高かったことから2004年に廃車され、当初の改造目的通りの使用がされていた車両とモハ113形、モハ112形の形式が消滅した。

本グループで最後まで残ったクハ111形は2両(811・812)で、いずれも2016年1月に廃車された。この2両は国鉄時代に4両編成として投入され、のちに湘南色に変更のうえ、京都総合運転所に転属。高速化改造されなかったため専ら草津線専用で運用していたが、1999年に編成単位で下関車両管理室に転属した車両で、編成を組んでいたモハユニット-806は2002年に115系0番台のモハユニットに置き換えられて廃車されている。後に115系0番台のモハユニットも廃車され、115系6000番台のモハユニットに置き換えられた。なおこのモハユニットは2008年に高速化解除が行われ、原番号に復帰した。

モハ113形800番台の電装解除

1991年、福知山線で発生した衝突事故でクモハ112-801が事故廃車されたのに伴い、ユニットを失った1両(モハ113-818)が1992年電装解除を受けて改造。本グループ初のサハ111形が発生した。

対象車両は以下のとおり
モハ113-818→サハ111-5801

改造時に高速対応工事が施工されたため、+5000の5800番台となった。網干電車区(現在の網干総合車両所)に配属された。サハ111形は全て押込型通風器で製造されたため、唯一のグローブ型通風器のサハ111となったが、半自動機能は使用されないため、800番台改造時に取り付けられたドアの取手は撤去された他、トイレも設置されていない。223系投入より2004年に廃車され、区分消滅している。

113系800番台の高速化改造

福知山地区で運用される113系は高速化改造の対象外とされた。しかし他線区で運用される800番台については上述の高速化改造の対象となった。

対象車両は以下のとおり
モハ112/113-808→モハ112/113-5808(→網干区へ転属 1992年改造)
モハ112/113-803→モハ112/113-5803(→京都所へ転属 1996年改造)
クハ111-806、816→クハ111-5806、5816(→京都所へ転属 1996年改造)

網干区に転用されたユニットは基本番台(→5000番台)に組み込まれ、東海道線系統で使用。半自動は使用しなかったが、ドアの取っ手はそのまま残された。 京都所へは4連1本が転用され、L編成として湖西線や草津線を中心に運用されていた。ともに223系投入に伴い廃車されている。

半自動ドアボタン設置改造

嵯峨野線で運用される向日町運転所(現在の吹田総合車両所京都支所)の113系は冬季寒冷な亀岡盆地を走行するにも関わらず乗降ドアの半自動設備がなく、車内保温において問題があった。このため1991年に、この区間で運用される113系2000番台(→7000番台)の全車に対して押しボタン式の半自動装置が設置され、同時に耐雪ブレーキの増設も実施された。

後年、後述する体質改善工事を開始した際に、湖西線系統で運用されている5700番台との運用持ち替えが行われ、嵯峨野線運用に加わった5700番台にも押しボタン式の半自動装置が設置された。5700番台車はドアボタン取り付け位置の関係から戸袋窓の幅が狭くなるまたは埋められており、外観の印象が変わった。

トイレ撤去車

北陸本線東海道本線山陽本線京阪神地区(以下琵琶湖線JR京都線JR神戸線)と湖西線では、トイレは編成中西(偶数)向き先頭車のもののみが使用されるようになっていたため、1991年より東(奇数)向き先頭車の不要トイレが撤去された。

まず施行されたのがトイレ付きで製造されたクハ111-2100番台。その後カセット式汚物処理装置未装備の0'、700番台車のほか、初期車のクハ111-5177も改造された。当初はトイレを撤去した跡は客室とされ、窓と座席が設置された。なお、初期改造車に設置された窓は新たに製造されたユニット構造(別組立て・後取付け)のもので、位置も番台にかかわらず2000番台のトイレ無し車に準じた場所に設置されたため、車両によっては違和感の残る仕上がりとなっている。非ユニット窓のクハ111-5177は撤去跡のみユニット窓となり、異端車となった。なお、体質改善40Nリニューアル工事を受けた車両はトイレなしクハ111の体質改善車と同様の仕上がりとなった。

対象は下記のとおり
クハ111-5177・5257・5712・5713・5714・7148・7149・7150・7161・7162

1995年から内部の設備のみおよび汚物処理装置や便所流し管を撤去し、仕切りは「業務用室」として扉を施錠した状態で存置する方式に変更された車両も登場。その他は便所設備のみ封鎖した。サハ111-5000番台もトイレ使用が停止され、最終的に車内すべての奇数向先頭車がトイレ使用停止となり、偶数向のみ使用となった。同時に偶数向き車両で汚物処理装置未装備の車両は、併せて汚物処理装置の取り付けが実施された。また、内部の設備のみ撤去した車両、便所設備のみ封鎖した車両のうちクハ111-5253・5256・5260の3両は、体質改善40Nリニューアル工事を施行の際便所跡は客室に変更。トイレなしクハ111の体質改善車と同様の仕上がりとなった。

パンタグラフ増設車

JR西日本の113系は山陰本線嵯峨野線)、湖西線草津線福知山線での運用があり、冬季において架線に霜が付着することが問題になっていた。よって霜取用に同区間で運用される113系の一部のモハ112、クモハ112のパンタグラフを1基増設する工事が1992年から行われた。

対象車両は以下のとおり(車号は改造時のもの)
モハ112-5714・5717・5751・5752・5753・5755・5756・5757・7023・7028・7069・7081
クモハ112-802・803・805・811・3814
クモハ112-304・309(山陰本線向けワンマン化・先頭車化改造施行時)

モハ112-7023・7028・7069・7081は嵯峨野線充当車両。のちに後述の嵯峨野線転用改造時にモハ112-5714・5717が施行。 モハ112-5751・5752・5753・5755・5756・5757が宮原総合運転所(現在の網干総合車両所宮原支所)配置時に、湖西線草津線運用のため改造。 のちに-5752・-5755が老朽化のため廃車。-5751・-5757ブレーキてこ比戻しで-50番のうえ、京都総合運転所(現在の吹田総合車両所京都支所)に転属している。

クモハ112-802・803・805・811は福知山線運用のため改造。のちに803は山陰本線向けに転用。802・805・811は福知山線向けワンマン車として3800番台改造。3814は後述の福知山線転用時に改造。

現在では、モハ112が京都支所に配置され、上記の線区で運用。

クモハ112は3800番台が廃車。福知山電車区に5304(304→), 5309(309→)の2両が残る。

電気連結器取付と撤去による改番

山陰本線園部 - 福知山間電化開業(1996年3月)より、編成の増解結が園部駅で行われることになるため、京都配置の山陰線用車両に対して、1994年度から自動解結装置と電気連結器の取付がTc車に実施された。施工車は改番が行われ、7500番台が奇数向き(7100番台改造)、7600番台が偶数向き(7000番台改造)である。

番号の対象は以下のとおり
クハ111-7136・7115・7113・7116・7120・7114・7134・7142・7135・7140・7119・7118・7145・7143・7117・7148・7149・7150 → クハ111-7501 - 7518
クハ111-7042・7072・7014・7020・7017・7015・7018・7016・7013・7040・7019・7071・7039・7037・7046・7052・7053・7051 → クハ111-7601 - 7618

後年これらの編成に体質改善工事が実施されると、湖西線・草津線用5700番台との差し替えが行われた。山陰線用となった5700番台には自動解結装置と電気連結器の取付が実施されたが、改番は行われていない。一方でTc車7500・7600番台は約半数が装置の撤去を行われ、原番号に復帰した。装置撤去の対象車は以下のとおり。

クハ111-7502・7503・7507・7511・7512・7514・7516・7517
クハ111-7602・7603・7607・7611・7612・7614・7616・7617

クモハ113・112形300番台(→5300番台)

クモハ112-5303 黄かん色と緑2号の境に白線が入り、窓配置も一般車と異なる。
クモハ112-5304 パンタグラフが増設された体質改善車。
113系S5編成 地域単色化された後の姿

1996年3月の山陰本線園部 - 福知山間の電化に伴い、2両編成での運転のためモハ113・112形の先頭車化改造により1995年から1996年にかけて改造された。宮原電車区に所属していた0番台新製冷房車(0'番台)の電動車ユニットからの改造で、車両番号は300番台に区分された[84]。種車の百の位が「3」であったことから300番台となったともいわれている[85]

2両編成6本が改造され、301・306・308が欠番となっている[84]。本来は300番台を9編成用意する計画であり、301はモハ113/112-323、306はモハ113/112-333、308はモハ113/112-336が改造種車となる予定であった[86]が、阪神大震災の影響により車両転配計画が変更され、不足する3編成が800番台2両編成のワンマン化改造で賄われたためである[87]

番号の対照は以下のとおり
モハ113/112-329 - 332・6335・6337→クモハ113/112-302 - 305・307・309→5302 - 5305・5307・5309

先頭車化改造では、工事費低減のため廃車となったクハ111形の前頭部が接合された。ワンマン運転を考慮して最前部の客用扉が運転台の方向に640 mm移設され、Hゴムの固定窓が2枚並ぶ形態となった[88]。前照灯は全車ともシールドビーム灯で統一されている。塗装は湘南色であるが、ワンマン車であることを識別できるようクリーム色の帯が入れられた[85]

4両編成の7500・7600番台と同じく、電気連結器の設置、客用扉のドアボタンによる半自動化が行われ、クモハ112形には800番台と同様にトイレが設置された[85] ほか、クモハ112形304、309は車体前部にもパンタグラフが増設され2基搭載となった[88]

改造前は京阪神快速用として全車とも高速化改造やブレーキてこ比変更を受けており、300番台への改造直前に6000番台からブレーキてこ比が戻され5000番台に、続いて高速化が解除され0番台に戻っていた[84]。307・309の2編成は300番台への改造と同時に高速化解除とブレーキてこ比復元が行われたため、6000番台(6335・6337)からの改造となった[84]

800番台(後の5800番台)とともに福知山電車区に配置され、編成番号はS編成となった[84]。改造が早かったため、山陰本線電化完成までの間岡山地区で使用された実績もある[89]。貸出は2編成で4両で使用されたがトイレ使用可能が2ヶ所になったため、中間に連結されたクモハ112ではトイレの使用が停止扱いだった。

300番台への改造から間もない1996年に再び高速化改造が施工され、全車とも番号に5000が足されて5300番台に改番された[84]。ブレーキてこ比の変更は行われていない[84]

1999年から2000年にかけて、5304、5302の2本で体質改善40Nリニューアル工事が施工された[88]。他の体質改善車と異なり、内装は従来のクロスシートが存置されるなど原型を留めている[84]

800番台ワンマン化改造車(→5800番台)

ワンマン対応化された5800番台。WAU202形冷房機を搭載している。

1996年の山陰本線園部 - 福知山間の電化用としては、800番台の2両編成3本においてもワンマン化改造が行われた[85]。クモハ113・112形300番台と同じくワンマン運転機器の設置、客用扉のボタン式半自動化、電気連結器の設置、一部車両へのパンタグラフの増設が行われた[88]

番号の対照は以下のとおり
モハ113/112-81・169・72→クモハ113/112-803・807・809→5803・5807・5809

冷房装置は床置き式のWAU202形となっており、車端部に機器室が設けられ、屋根上に熱交換器が設置されている[84]。冷房電源はDC-DCコンバータが各車に設置されており、クモハ112形の補助電源用20 kVAのMG(MH97-DM61A)は存置されている[84]

塗装も300番台と同様の湘南色にクリーム色の帯入りとなっているが、扉位置の移設はされていない。ワンマン化改造に伴う改番は行われなかった[85] が、登場後まもなく高速化改造が施工され、5800番台に改番された[88]

300番台(後の5300番台)とともに福知山電車区に配置され、編成番号はS編成となった[90]

ワンマン改造後も6両生き残っていた5800番台のうち4両(-5807・-5809)は、2009年2月に廃車となり、2両 (-5803) (国鉄時代の1986年に小倉工場でモハ112,113-81種車に改造)だけが福知山線全線電化により登場した800番台の"残党"として5300番台全車とともに現存していたが、6月25日に吹田工場に回送された[91] 後、7月13日に岡山へ回送された[92]

クモハ113・112形3800番台

クモハ113形3800番台。前照灯埋め込みタイプ (3814) 。
クモハ113形3800番台。前照灯外付けタイプ (3811) 。
原形前面のクモハ112形。

福知山線篠山口 - 福知山間および山陰本線福知山 - 城崎(現在の城崎温泉)間の輸送力適正化と2001年3月からの一部列車のワンマン運転化のため、800番台のうちモハ113形+クモハ112形のユニットから再改造されたグループである[93]。2000年度に2両編成9本が改造され、福知山電車区にN編成として配置された[94]

改造前の800番台ではクモハ112形を含む3両編成にクハ111形を1両増結した4両編成で運用されていたが、モハ113形とクモハ112形の電動車ユニットを抜き出してモハ113形の先頭車化改造を行い、2両編成化とワンマン運転への対応が行われた[94]。新番号は800番台番号+3000とされた[93] ため、800番台時代の七尾線転用に伴う編成組み換えによる不揃いの番号が引き継がれている[94]

クモハ113形への先頭車化改造では、コスト削減のため工法の簡易化や廃車発生品からの運転機器流用が行われた[88]。従来のように運転台の構体を接合する方法ではなく、中間車の構体を生かした切妻構造となり、旧型国電を連想させるスタイルとして話題を呼んだ[94]。先頭車化改造車の特異な外観から、ファンの間では3800番台の番号から「サンパチ」と呼び親しまれた[95]

クモハ113形の前面は非貫通の切妻3枚窓で、事故に備えて補強板が取付けられている[90]。前面の行先表示は、助士席側窓の下部分に差込式のものが設置された[注 23][94]。前照灯は、車体内側に埋め込まれたタイプと車体外側に外付けされたタイプの2種類が存在したが、後に車体外側に外付けする方式に統一された[94]。車内の運転台仕切りも完全な壁ではなく、上部と側面に隙間のある簡素な構造となっている[90]

当初は500万円という格安の改造費を目標としており、改造工程と経費を節約するため、バリューエンジニアリングを活用した手法が採られた[96]。当初は乗務員室扉の省略まで検討されていたが、最終的には扉が設置されてコストはやや上がったものの、それでも従来の正規運転台接合に比して半額程度の費用で工事できたという[96]

既存の先頭車であったクモハ112形は、前面の大規模な改造は行われていない。両先頭車とも運賃箱などワンマン運転対応の機器類が設置された[94] が、走行区間の大半の駅に自動券売機が設置されているため、整理券発行機は設置されていない[88]

塗装はクリーム色をベースに窓周りを茶色とし、窓下部に黄色と青の帯を配したもので、福知山ワンマン色と呼ばれる[90]。車内はリニューアル工事も行われず、半自動扉も取っ手付きの手動式であり、ドアボタンも設置されていない[90]

冷房装置はクモハ113-3801・クモハ112-3804の2両編成(N2編成)のみがWAU102形を搭載し、その他の8編成にはAU75が搭載されている[90]。AU75形搭載車の一部は試作冷房改造車が含まれる。クモハ112形の3802・3805・3811・3814には霜取り用のパンタグラフが設置され、パンタグラフ2基搭載となっている[90]。3802・3805・3811は種車時代に、3814は3800番台への改造と同時に増設された。

クモハ112形に搭載される補助電源装置は、種車の冷房化改造時期により異なっている。800番台化改造時に冷房化された車両は容量70 kVAのMGであるMH94-DM58が、0番台時代に冷房化改造済みの3802・3811には160 kVAのMGであるMH135-DM92が搭載されている[90]。JR化後の800番台時代にWAU102形で冷房化された3804では、3800番台への改造時にSIVが設置された[89]

番号の対照は以下のとおり
モハ113/クモハ112-819+802・801+804・815+805・816+806・810+810・811+811・812+812・813+813・814+814→クモハ113/112-3819+3802・・・3814+3814

なお、クモハ112-808+モハ113-817については、クモハがWAU102型、モハがAU75型を装備しており、クハを外すことで冷房電源が使用できなくなることから3800番台に転用されることなく廃車になった。

2008年8月より223系5500番台の増備による置き換えが行われ[97]、113系3800番台は2008年8月11日をもって運用を終了した[95]。最終運用は城崎温泉14時43分発各駅停車福知山行きであった。8月から9月にかけて、福知山線経由で吹田工場に廃車回送されている[98]。2008年10月までに全車が除籍されている。

クモハ113・112形2000番台

2000番台 紀勢線ワンマン化リニューアル車

紀勢本線(きのくに線)御坊 - 紀伊田辺間のワンマン運転用として、2002年に2000番台のモハ113+112形ユニットから改造されたグループである[99]。2両編成2本が改造された。

番号の対照は以下のとおり
モハ113/112-7058・7060→クモハ113/112-2058・2060

全車高速対応工事が施工されていたが、改造時に解除され元番号に復帰している[99]。これがそのまま新番号の下4ケタとされたため、むしろ使用されている番号の方が少ない状況となっている。改造時に体質改善40Nリニューアル工事が施工されたが、内装は山陰本線向け300(→5300)番台同様原形のセミクロスシートのままであり、転換クロスシート化はなされていない。

改造は115系の伯備線用先頭化改造車と同様、新造した運転台ユニットを接合する手法が採られている[99]。運転台の機器は同時期に廃車されたクハ111形の廃車発生品を使用。前面形状は103系体質改善40Nリニューアル車を基本とした形状[注 24] とされ、種車の関係で編成両端が改造運転台となっていることもあって比較的整った外観となっている。またクモハ112形には車椅子対応のトイレを新設した。その後、2007年に阪和線日根野 - 和歌山間でATS-Pを使用することに伴い、助士席側客用扉後方のロングシートを撤去した上でATS-P車上装置を搭載している。また、車上装置後方のクロスシート上部の荷棚にも機器が搭載されている。

2本のみの在籍であったため、検査などで運用できない場合は日根野区の223系225系4両編成が代走した(この場合は車掌乗務)。

2020年3月13日をもって阪和線・紀勢本線での定期運用を終了し、クモハ113/112-2058が同年4月22日、クモハ113/112-2060が同年4月30日にそれぞれ廃車された[100]

体質改善工事

JR西日本 体質改善車
クハ111形7700番台40N車
主要諸元
編成定員 132 (44) (トイレ付き先頭車)
132 (50) (トイレ無し先頭車)
140 (56) (中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SW
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国鉄時代から施工されていた特別保全工事の内容に加え、新型車両に合わせた接客設備の改善や新型車両との部品共通化によるコスト低減、検修の効率化を目的として[101][102]1998年から施工されている。40N体質改善工事は1998年度から2002年度にかけて、網干総合車両所、宮原総合運転所、京都総合運転所所属の5000・7000・7700番台計106両に、30N体質改善工事は2002年度から2004年度にかけて、京都総合運転所所属の7000・7500・7700番台計44両に施工された(2004年度は先頭車のみ施工)。

体質改善40N(想定寿命40年)
車体
  • 外板は腐食対策から張り替えおよび一部ステンレス化を行い、側雨樋(一部ステンレス化)と外板を一体化[102]
  • 屋根布の全面ローン化(塗屋根化)[101] および通風器の撤去。
  • 側窓は下部固定上部上昇式ユニット窓とし、車端窓は固定式1枚窓に変更[101]
  • 側引き戸の窓は押え面方式、運転台および戸袋窓などのガラス支持方式も変更することでHゴム不使用化[101]
主要機器
  • 戸閉機械は小型化を図った直動式に変更[102]
  • 電気指令式半自動装置を搭載し、半自動時の扉扱いが容易となる構造[102]
  • 床下からの立ち上がり配管のステンレス化、老朽化した配線の引き直し[102]
乗務員室
  • 前面窓を1枚タイプのガラスに変更し、視認性を向上[102]
  • 運転台ワイパーを空気式から電気式に変更[102]
  • 放送装置の取り換えによる車内放送の容易化[102]
客室
  • 座席を223系に準じた転換クロスシート[注 25](シートピッチ910 mm[103])に変更[102]暖房器は腰掛け搭載とした[101]
  • 客室化粧板を223系に準じたデザイン・材質への更新。
  • パネル工法による室内天井の平面化、蛍光灯カバーの取り付けと直動式戸閉機械採用による鴨居の小型化[102]
  • 荷棚をパイプで構成されるものから前飾り付きに変更し、吊り革を車両全長にわたって増設[102]
  • 半自動での扉扱い時に使用する開閉用押しボタンを設置[102]
  • 妻引き戸にドアチェックを設け、開いた際には自動的に復位する構造[102]
  • トイレ対面の座席を撤去し、車いすスペースを設置[102]
  • 床面の主電動機点検蓋を廃止して騒音低減、床面隅にRを設けて清掃の容易化を図った[102]

種車による車端部の形状の違いがあるが、内装や定員、使用される部品は基本的に各車同じものである。また、リニューアル時に5700番台、7700番台以外の車両も含めてドアの電動式半自動化やタイフォンへのカバー設置などの寒冷地対策がいくつかなされており、非リニューアル車で行われたものと異なる、扉と戸袋窓の間に埋め込む方式でスイッチが設置された。このため、戸袋窓は若干の縮小に留まっている。これらのことから、リニューアルを機に各番台の仕様統一が図られたとも取れる。ただし、車端部の窓の埋め込み方には施工時期による差異が見られる。

1998年11月25日に施工された京都総合運転所所属のL11編成(クハ111-7019+モハ113-7028+モハ112-7028+クハ111-7119)の4両が体質改善施工第1号編成となった[注 26]。このほか、将来の短編成化で余剰廃車となるサハ111形の一部にも施工されている[注 27]

← 岡山・広島
大阪・米原 →
クハ111 モハ112 モハ113 サハ111 モハ112 モハ113 クハ111 竣工 初期配置 改造所            備考                     
7019 7028 7028 7119 1998.11.25 京都 吹田
5720 5720 1998.11.25 京都 吹田
7021 7029 7029 7121 1998.12.17 網干 鷹取
5564 5334 5334 5256 1999.4.6 網干 網干
5325 5325 1999.7.12 網干 網干
7017 1999.11.12 網干 網干
5566 7515 7515 7514 7514 5253 1999.11.17 宮原 吹田
7070 7517 7517 7513 7513 7161 1999.12.28 宮原 吹田
7014 7019 7019 7113 2000.1.8 京都 吹田
7019 5326 5326 2000.3.8 網干 鷹取
5565 7555 7555 6336 6336 5260 2000.3.30 宮原 吹田
7013 7026 7026 7135 2000.4.20 京都 吹田
7052 7079 7079 7148 2000.7.21 京都 吹田
7013 2000.8.7 網干 網干
7053 7080 7080 7149 2000.9.4 京都 吹田
7039 7052 7052 7136 2000.10.18 網干 網干 モハは福知山電車区訓練車
7015 2000.10.18 網干 網干
7072 7018 7018 7115 2000.12.6 京都 吹田
7016 2000.12.25 網干 網干
7037 7061 7061 7143 2001.2.14 京都 吹田
7022 2001.2.19 網干 網干
7018 7046 7046 7171 2001.3.27 京都 吹田
7014 2001.3.27 網干 網干
7020 2001.3.30 網干 網干
5328 5328 2001.6.9 網干 網干
7018 7024 7024 7134 2001.7.16 京都 吹田
7756 5719 5719 7706 2001.9.21 京都 吹田 小浜線仕様
7038 7056 7056 7141 2001.10.14 網干 網干
7752 7702 7702 7702 2002.8.9 京都 吹田 小浜線仕様
7759 7705 7705 7709 2003.3.5 福知山 吹田 小浜線仕様
← 城崎温泉・紀伊田辺
京都・御坊 →
クモハ112 クモハ113 竣工 初期配置 改造所        備考               
5304 5304 1999.6.15 福知山 吹田 福知山ワンマン編成
5302 5302 2000.6.14
2058 2058 2002.7.12 日根野 きのくにワンマン編成
2060 2060 2002.8.30
体質改善30N(想定寿命30年)

改造費用の面や車両の使用期間(残耐用年数)の面から2002年以降は費用節約のため工事を簡略化した「体質改善30N」と呼ばれるメニューに移行し、対象車も経年の浅い7X00番台のみとなった。外観は窓が従来のユニットサッシのままであり、雨樋の張り上げも行われていない。車内は天井の平天井化を行わず、室内灯のカバーもなく、車内放送スピーカーも従来型である[104]。側扉は半自動ドアボタンが設置されたが、ドアエンジンは施工前同様のTK4系であり、扉上部のカバーの出っ張りも残っている[104]

また、同時期にリニューアル対象外の先頭車は雨水の浸入などの対策として、前面窓支持のHゴムを金属板とコーキングで覆う工事がなされている。新車が大量に投入されたJR神戸・京都線と新車が全く存在しない嵯峨野線向けの工事であるが、これらの車両が所属する京都・宮原・網干の各総合車両所以外に、阪和線を管理する日根野電車区の一部の状態の良い車両が工事施工のうえで網干などの未更新車と交換となった例がある。また、京都所が比較的編成単位で大半の車両に行ったのに対し、宮原・網干所では初期車を多く保有していたこともあってごく一部の車両に限られ、編成中1 - 2両のみがリニューアル車ということも少なくなかった。

← 岡山・広島
大阪・米原 →
クハ111 モハ112 モハ113 クハ111 竣工 初期配置 改造所            備考                     
7605 7022 7022 7505 2002.3.30 京都 吹田 クハは2012年に115系へ編入
7606 7023 7023 7506 2002.8.22 上りクハは2012年に115系へ編入
7618 7081 7081 7518 2002.11.29 クハは福知山電車区訓練車
7615 7069 7069 7515 2003.3.17
7613 7047 7047 7513 2003.7.2 クハは2013年に115系へ編入
7755 7705 2003.7.5
7754 7704 7704 7704 2003.9.29
7751 7701 7701 7701 2003.10.20
7753 7703 7703 7703 2003.12.24
7601 7016 7016 7501 2004.3.30
7608 7508 2004.8.12 2012年に115系へ編入
7604 7504 2004.12.14 2012年に115系へ編入
7610 7510 2005.3.19

その後、JR神戸・京都線からの撤退に合わせ、網干車と宮原車は編成替えが行われ、F編成(4両×10本・日根野)とT編成(8両×3本・宮原)の統一リニューアル編成が組成された。このうちT編成に組み込まれる元網干車のサハ111形7000番台の6両は撤退後に唯一廃車を免れたJR西日本最後のサハ111形であったが、福知山線脱線事故後の車両使用方法変更に際して編成から外され、その後はほとんど使用されずに廃車処分された。また、阪和線・紀勢本線は比較的温暖であるため、F編成に組成された車両には半自動装置が撤去された車両もある。紀勢本線運用車に設置されている「きのくに線スイッチ」(ドアが閉まっても車掌が同スイッチを押さないと戸締灯が点灯しない)と半自動装置の併用ができないという説もある[要出典]

耐寒耐雪改造車

京都総合運転所で運用されている5700番台・7700番台が、編成変更により先頭車が不足したため、2002年に体質改善工事施行済の網干電車区(現在の網干総合車両所)のクハ111形7000番台が耐寒耐雪改造され、7700番台に編入されたうえ、京都総合運転所に転属した。

対象車両は以下のとおり
クハ111-7121・7139→クハ111-7707・7708
クハ111-7021・7036→クハ111-7757・7758

改造内容は耐寒耐雪改造のみ、シャッター付きタイフォンカバーの取付は省略。外観でのクハ111-7000番台との見分けはつかない。

2003年になると下記の小浜線向けに、網干電車区の7000番台4両編成1本に体質改善工事および耐寒耐雪改造のうえ、編入された。

対象車両は以下のとおり
モハ112/113-7054→7705
クハ111-7162→クハ111-7709
クハ111-7073→クハ111-7759

さらに同年、耐寒耐雪車が不足することから京都総合運転所所属の1編成がさらに追加改造された。

対象車両は以下のとおり
モハ112/113-7024→7706
クハ111-7134→クハ111-7710
クハ111-7018→クハ111-7760

元々は嵯峨野線運用車で、体質改善工事とともに先頭車は自動解結装置と電気連結器を撤去していた。この編成は数奇な運命を辿ることになる。ATS-Pを装備していたことから2005年に起きたJR福知山線脱線事故後に宮原総合運転所に転属、高速化改造が撤去され 以下の様に改番された。

モハ112/113-7706→2724
クハ111-7710→クハ111-2834
クハ111-7760→クハ111-2718

この改番は半年のみ。再度高速化改造を受け7700台の元番号に復帰した。現在は吹田総合車両所京都支所所属。

小浜線向け改造車

小浜線向け改造車(2005年4月1日 敦賀駅
5700番台小浜線向け改造車の車内(2007年5月)

2003年3月に小浜線が電化され、新形式の125系とともに113系の4両編成が投入された[105]。福知山運転所電車センター(現在の福知山電車区)に転用され、外装も「小浜色」と呼ばれる緑系の塗色に変更された。

転用改造では体質改善工事と耐寒・耐雪装備の設置が行われた。改造種車は5700・7700番台と2000番台が選定され、2000番台からの改造車は7700番台に改番された。

編成内容は以下のとおり。

 
← 敦賀
東舞鶴・福知山 →
W1 クハ111
-7702
モハ113
-7702
モハ112
-7702
クハ111
-7752
W2 クハ111
-7706
モハ113
-5719
モハ112
-5719
クハ111
-7756
W3 クハ111
-7709
モハ113
-7705
モハ112
-7705
クハ111
-7759

W1, W2編成は京都総合運転所で体質改善工事施行車を転用。転用時に外装変更およびシートモケットを125系と同様のものに変更。W3編成は網干電車区の車両を上記の体質改善工事および耐寒耐雪改造のうえ、転用。[注 28] シート、およびシートモケットは125系と同様のものに変更。

2005年に起きたJR福知山線脱線事故の車両転配に関連し、W2編成はATS-P型装備であったことから、一時的に宮原総合運転所に貸出、小浜色のまま福知山線での運用もおこなった。2006年10月21日のダイヤ改正で125系3次車の導入に伴い小浜線での運用は消滅。W1, W2編成は体質改善車標準塗色に戻され京都総合運転所に復帰、その後シートモケットも、標準のものに取り替えられた。W3編成は、最後の予備車として電気連結器などの改造を受け続けながら残留していたが、2009年5月ごろに体質改善車標準塗色に戻されて小浜色は消滅した。

115系混用車の抑速ブレーキ制御対応改造

115系G02編成に組み込まれるクハ111-139の戸閉装置。

下関区に在籍した115系と編成を組むクハ111形については、115系と113系の混用では抑速ブレーキの使用ができず、混用編成は広島所属時代には山陽本線海田市 - 岩国間と呉線・可部線で、下関転属後は山陽本線岩国 - 下関間限定での運用がなされていた[106]。2003年3月のダイヤ改正で下関の115系C編成と共通運用が行われることになり、クハ111形の主幹制御器を抑速制動に対応したものに交換するなどの改造が行われた[106]。この結果、実態としては115系の制御車となっていた[107]

改造されたのは計5両で、内訳は0番台グループのクハ111-139・268・5091の3両、並びに800番台のクハ111-811・812の2両である[106]。客用扉の半自動制御には対応しない[要出典]。クハ111-5091は2008年の高速化解除で元番号のクハ111-91に戻っている[106]

JR四国の改造車

111系の保全工事・冷房化改造

クハ111-3002先頭の瀬戸大橋線 臨時快速(1988年)

四国の111系は使用開始にあたり塗装が白地に水色帯の四国色に変更され、本四備讃線瀬戸大橋線)用の無線アンテナが設置された。継承された12両は車齢が高いため、構体の補修や側窓のユニット窓化、トイレ撤去などの保全工事が1987年度に施工された[108]

保全工事によりクハ111形のトイレは撤去(本州直通用とされた[109] クハ111-27・29のみトイレ未撤去)され、モハ110形には2両分しかホームがなかった無人駅で車掌が集札を行うために車掌用設備(放送装置や車掌スイッチなど)がある業務用スペースを設置した。新製導入された121系と同様に全車禁煙としたため全車両灰皿は撤去された。

1988年に車籍編入された8両のうち、クハ111形は上り向き用の0番台ばかりであったため、同年2両(10・11)が下り向きに方向転換され、クハ111形3000番台[108](3001・3002)となった。

1988年から翌1989年にかけて集約分散形AU101形を用いた冷房化改造が実施され、あわせて電源装置が電動発電機 (MG) から静止形インバータ (SIV) に変更された[110]。また5編成のうち4編成がユニット窓に改造された。前照灯のシールドビーム化、前面方向幕のLED化[109] がされた車両も存在する。

JR四国の113系改造車

113系(JR四国)
113系 JR四国譲受車
(2005年10月13日 / 予讃線 鬼無 - 香西)
基本情報
導入年 1999年
総数 12両
運用開始 2000年
運用終了 2019年3月16日
廃車 2019年8月31日
主要諸元
編成定員 座席48(転換クロス)・立席83(クハ112)
座席44(転換クロス)・立席85(クハ113)
座席52(転換クロス)・立席82(モハ112)
座席56(転換クロス)・立席87(モハ113)
保安装置 ATS-SS,ATS-SW
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JR四国の111系は老朽化が著しくなり、1996年度の6000系の投入により5編成中2編成が廃車となった[108]。残る3編成の老朽取替えにあたり、JR東日本より経年の浅い113系を購入してリニューアル工事を行うこととなった[108]。113系改造車は1999年度から2000年度にかけて3編成12両が投入され、111系は2001年3月に営業運転を終了し廃車となった[111]

1999年にJR東日本で廃車となった0'番台4両編成3本12両と、部品提供車として車籍の無い3両が譲渡された。譲渡車は、部品提供車1両(クハ111-507)が幕張電車区所属車である他はすべて東海道本線および伊東線で使用されていた国府津電車区の所属車であり、一部はロングシート改造車も含まれていた。

JR西日本の体質改善40Nリニューアル工事に準じたアコモデーションの更新が実施された。内装材の交換、座席の転換クロスシートへの交換などの内装関係と補助電源装置の静止形インバータ化とこれにともなうパンタグラフの2基化などの機器関係の更新、窓サッシの黒色化、雨樋形状の変更が行われている。

塗装は編成ごとに異なるカラーリングとなった[111]。第1編成は水色に窓周りが緑、第2編成はピンク色に窓周りが赤、第3編成は黄色に窓周りがオレンジの配色となった[112]

前面は前照灯の4灯への増設と前面強化が行われ、踏切事故対策が図られた[111]。前照灯・尾灯の形状変更とともに種別・行先表示器部分にも前照灯2灯が増設され、行先表示器は貫通扉下部に移設された。貫通扉上に前照灯2灯を配置したスタイルは、阪急電鉄の車両が参考にされたという[113]

また乗務員保護のために窓下の鉄板が厚くされ、内部に衝撃吸収材を埋込むと同時に、貫通路部分の窓が拡大されている。一方で、窓枠は種車のものが再利用されたため、銀枠とはなっていない。また、四国のモハ110形や6000系と同様の方式の中間車乗務員室がモハ112形に設置されたことなどもあり、座席数は西日本のリニューアル車より少ない。中間乗務員室は6000系よりも若干広く取られている。

乗降用扉のドアエンジンは直動式に交換され、冬期の車内保温を考慮してドア横に半自動ドアボタンが設置された[112]。1両に片側3箇所あるドアには1つずつ、合計で3つの、それぞれ違う音が3回鳴るドアチャイムが設置された。それぞれの音には、ずれがあるため、乗務員がドア操作をした場合は混ざってずれた音が3回鳴る。

従来111・113系の制御車はクハ111形であったが、新形式のクハ113形(元クハ111形0番台)・クハ112形(元クハ111形300番台)が与えられ、中間車のモハ113・112形も旧番を踏襲せず、それぞれ1番から付番された[111]。113系モハの1・2番ユニットはJR西日本に、モハの3番ユニットはJR東海にそれぞれ承継されていたが、1・2番ユニットは当時高速化改造を受け-5001と-5002に改番されており、また3番ユニットはすでに廃車となっていたため、車番の重複は発生していない。

車番対照は以下のとおり。[114]

 
← 観音寺・琴平
岡山・高松 →
 
編成番号 4号車 3号車 2号車 1号車
1 クハ113-1
クハ111-223
モハ113-1
モハ113-257
モハ112-1
モハ112-257
クハ112-1
クハ111-532
 
2 クハ113-2
クハ111-198
モハ113-2
モハ113-270
モハ112-2
モハ112-270
クハ112-2
クハ111-529
 
3 クハ113-3
クハ111-222
モハ113-3
モハ113-272
モハ112-3
モハ112-272
クハ112-3
クハ111-528
 
部品提供車(未入籍)   モハ113-285 モハ112-285 クハ111-507  

注釈

  1. ^ サロ110の特急形転用車及びサロ124・サロ125は20,500 mm。
  2. ^ 高速化改造車は110km/h。
  3. ^ サロ111以外のグリーン車は除く。
  4. ^ 0番台(0'番台除く)はCS12D、1000番台はCS12F。
  5. ^ サロ124・サロ125は4,070 mm。
  6. ^ 451系・471系では逆に長くなっている。
  7. ^ 京阪神快速のみならず、JR東海エリア(大垣駅)への直通運転に当てられることもあった。
  8. ^ クモハ451・471では両渡り構造だったのが、クモハ453では主電動機出力の向上と引き換えに片渡り構造に変更された。
  9. ^ 初期車にものちにシールドビームに交換された車両が存在するが、それらとは内側隣のタイフォンとの位置関係が若干異なっている。初期車は前照灯に対してタイフォンが斜め下に位置しているのに対し、0'番台では両者が同じ高さとなっている。
  10. ^ 0ダッシュ番台というのは非公式であり正式に使われたことのない俗称である。
  11. ^ クハ111-1311は、一時期広島・下関地区に転属して111系と組んで使用されたこともあったが、JR化前に関東に戻り、その後は房総地区ローカル運用で使用された。
  12. ^ ロングシート側は背もたれの最後部まで含めて計測した数値。ボックスシートが並ぶ車両と同様に背もたれ中央の部分までで計測した数値の場合、それぞれ1,400 mm・1,470 mmに相当する。
  13. ^ これらの車両は関西地区や国府津運転所(現在の国府津車両センター)からの転属によって手配されたため、1986年頃までは湘南色で運用された(後述の一部のサロ113も同様)
  14. ^ 0番台の非冷房車は1980年までに廃車になっている。また、900番台・1000番台は全車冷房改造されている。
  15. ^ そのままの状態で連結するとトイレと車掌室が6号車寄りになるため方向転換された車両は4号車から5号車に移動。
  16. ^ 京阪神地区で中間に入っていたクハ111は、1980年の京阪神地区のグリーン車廃止の際にサロをクハに置き換えたものであった。
  17. ^ 改造直前の1983年に大垣電車区から高槻電車区に転属した車両。
  18. ^ この見返りにモハ112/113-1058がサハ111-403、404に改造され国府津電車区に転属した。
  19. ^ JR東海の東海道本線全区間を走破する米原発熱海行という列車も、1999年12月ダイヤ改正まで存在した。
  20. ^ 身延線内トンネルに対応するにはパンタグラフをPS23・24に交換するだけでは規定の絶縁離隔に40 mm足りず、パンタグラフ台を20 mm背の低いものへの交換、更には当該部分の屋根自体を平にして20 mm低下させて合計40 mm下げる必要がある。国鉄115系電車#モハ114形2600番台参照。
  21. ^ 側面行先表示機を後付していた初期車は当該箇所の上段窓も既に固定しており、この部分については外観上二段窓のままであるが、全く開けることができない状態となった。
  22. ^ 福知山運転所(→福知山電車区)800番台の施工編成には、七尾線電化関連による編成組替に伴い冷房付電動車が組み込まれたものも存在していた。ただし冷房付電源車には編成内全車への給電が可能な冷房電源が備わっていなかったため「編成単位で非冷房」と同様の扱いとされた。
  23. ^ 同じく改造費用に制約の大きかった419系ですら行き先表示装置は新設されていた
  24. ^ 115系では2001年改造の1000番台ですでに採用。ただし、ヘッドライトの意匠が異なる。
  25. ^ ただし223系と違い、補助席は設置されていない。
  26. ^ 中間車は2015年6月5日付で廃車、先頭車は岡山電車区のB-10編成となって現在も運用されている。
  27. ^ 14両あるサハ111形のうち、サハ111-7013 - 7017・7019・7020・7022の8両に施工。このうち、7014と7016は2004年に、それ以外の6両は2007年にそれぞれ廃車となった。
  28. ^ この編成は40Nで施工された最後の体質改善編成でもある。
  29. ^ ATS-P非装備車がP導入済み線区に残置してあるSN地上子を用いて走行する営業運転は、2011年7月1日の鉄道に関する技術上の基準を定める省令の改正(禁止)以前であれば法的には問題がない。
  30. ^ 和歌山線での運用は2002年3月23日ダイヤ改正で終了。
  31. ^ ATS-P保安装置の必要性から阪和快速色のクハが、体質改善工事施工の観点から広島支所のMM'ユニットが使用され、両者が編成を組んだ。
  32. ^ クハ111-301+モハ112-21+モハ113-21+クハ111-32の4両。(先頭車は111系)
  33. ^ 平日・土曜朝の上り1本のみ。また、その送り込みとなる新見 - 上石見間下り1本、新郷 - 上石見間上り1本の回送がある。
  34. ^ 内訳は関西更新色:1編成4両、広島更新色:8編成32両、湘南色:5編成20両、瀬戸内色:3編成12両。
  35. ^ 転用に当たり6両編成は4両編成に短縮されたため、余剰MM'ユニットが発生した。
  36. ^ 先頭車2両は宮原所のMM'ユニットを組み込みP編成に編入。
  37. ^ 当初は軌条面上、1,750 mmと3,165 mmで塗り分けられていたが、軌条面上、1,900 mmと3,045 mmに変更された[242]
  38. ^ 鷹取工場(のちに網干総合車両所へ移管)、後藤工場)などの例がある。
  39. ^ 2012年9月30日発行の『国鉄&JR保存車大全』 笹田昌宏 イカロス出版 ISBN 978-4-86320-617-5 には、保存(保管)車として掲載されていた。2014年11月25日発行の『国鉄&JR保存車大全2015-2016』 笹田昌宏 イカロス出版 ISBN 978-4-86320-928-2 には掲載されていない。
  40. ^ 所属表記も「横コツ」から「宮オオ」に変更された。

出典

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