国鉄113系電車 新造車

国鉄113系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 09:56 UTC 版)

新造車

ここでは、新規に製造された111系・113系の番台区分を解説する。改造車両の番台区分については次節を参照。

1962年に登場した111系の出力強化版として、113系の0番台が1963年に登場した[9]。1969年に登場した1000番台は、総武快速線の地下線乗り入れのため防火対策車として投入された[17]。1972年の1000番台増備車(通称1000'番台)は地下線でのATC導入に伴う設計変更車となり、ATCへの対応とともに冷房化(一部冷房準備工事)も実施されている[18]

1974年の湖西線開業に伴って、1000番台増備車の冷房化・防火構造をベースに耐寒耐雪構造を取り入れた700番台が投入された[19]。暖地用0番台の1974年以降の増備車(通称0'番台)においても、700番台や1000番台増備車と同様の冷房化・防火構造が取り入れられた[20]

1978年に登場した2000番台では、クロスシートのシートピッチ拡大が行われた[21]。1979年には1000番台のシートピッチ拡大版として1500番台が[22]、1980年には700番台のシートピッチ拡大版として2700番台が投入されている[23]

113系0番台と1000番台で新製冷房車のグループに「'」(ダッシュ)を用いて呼称する表現は、電車発達史研究家の福原俊一が国鉄分割民営化前に寄稿した鉄道趣味誌の記事が発祥である[24]。当時の幕張電車区や国鉄本社運転局で「113'」と表記していたことに着想を得て、ダッシュに「New・新」の意味合いを持たせたもので、福原による非公式の表現であったが、後の趣味誌にもこの表現は拡大した[24]

111系

クハ111-1
佐久間レールパーク保存時代
クハ111-1車内

1962年6月より東海道本線東京口用として大船電車区(現・鎌倉車両センター)と静岡運転所(現・静岡車両区)に導入された[4]。1967年秋には横須賀線にも進出した[5]が、当初は東海道本線と同じ湘南色で使用されたため、誤乗防止の為前面に横須賀線のラインカラーであるスカ色のヘッドマーク形行先表示板が取付けられていた。

登場当初の編成を以下に示す。基本編成中間に先頭車両(Tc)が組み込まれているが、これは新幹線が開通した際の編成短縮を見込んだためである[7]。新幹線開業後は偶数向きクハ(Tc1)を組み込み4両+4両+8両の16両編成として、8両・12両・16両の3種類の編成で運用される構想となっていた[9]

登場当初の編成[7]
← 東京
神戸 →
クハ111
(Tc)
モハ111
(M)
モハ110
(M')
クハ111
(Tc1)
+ クハ111
(Tc)
モハ111
(M)
モハ110
(M')
クハ111
(Tc)
モハ111
(M)
モハ110
(M')
サロ111
(Ts)
サロ111
(Ts)
モハ111
(M)
モハ110
(M')
クハ111
(Tc1)
付属編成 + 基本編成

相前後して1時間定格出力120 kWの強力型モーターMT54形が開発されたため、直流近郊形電車もこれを搭載した113系に移行し、111系の新規製造は1962年 - 1963年と短期間で終わっている。モハ111・110形の製造は64ユニットで終了し、以後はモハ113・112形に移行したが、動力のない制御車は引き続きクハ111形として増備されている。クハ111形は1 - 45と301 - 330が111系時代の製造となった[25]

1974年以降、113系0'番台(新製冷房車)の投入によって大船所属車は広島運転所へ転出し、その後は東海道本線静岡地区と山陽本線広島・下関地区で集中使用された。なお、111系と同じ時期に製造されたクハ111形の一部は、鳳電車区(のちに日根野電車区)に転配され、関西本線湊町(現在のJR難波) - 奈良間や阪和線紀勢本線などで使用された。

これらは国鉄末期から廃車が始まっていたが、国鉄最末期の1987年3月に四国地区(予讃本線高松 - 坂出多度津 - 観音寺間と土讃本線多度津 - 琴平間)で電化が実施されるのに伴い、12両(モハ111/110-13・24・36, クハ111-6・11・28、303・317・323)が4両編成3本を組んで四国(高松運転所)に転用され、そのまま四国旅客鉄道(JR四国)に承継された。JR化後の1988年には、JR四国用として日本国有鉄道清算事業団が保有していた8両(モハ111/110-3・4, クハ111-2・10・27・29)の車籍が復活した。

なお、111系として落成し、西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承されたクハ111-314は後述の高速化改造施工によりクハ111-5314に改番のうえ、2006年5月まで在籍していた[注 7]。また、台車・主電動機の一部は豊橋鉄道へ譲渡され、同社渥美線用の1900系の走行機器[26] として使用されたのち、さらに京福電気鉄道福井支社(現 えちぜん鉄道)へ譲渡されモハ1101形(MC1101形)の走行機器[26] として2014年に同形式が全廃されるまで使用された。

113系0・0'番台

113系0・0'番台
0番台グループのクハ111形(2002年)
基本情報
製造年 0番台:1963年-1969年
0'番台:1974年-1977年
主要諸元
編成定員 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車)
座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車)
座席53・立席 (オールロングシート先頭車)
座席64・立席 (オールロングシート中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SW,ATS-ST
備考 111系も同一
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1963年(サハ111形のみ1969年)から製造された、113系最初の製造区分である[9]。当初は東海道本線東京地区および横須賀線に投入され、1964年には京阪神地区にも投入が始まった。横須賀線の0番台車については東京駅および新橋駅の地下ホーム乗入れにともなう難燃化対策の必要から、1970年代以降すべて後述の1000'番台(冷房準備・新製冷房車)に置換えられている。

機器類の標準化を図るため、主電動機は115系165系で採用されたMT54形が使用され、主電動機出力はMT46形の100 KWに対し120 kWに向上した[9]。外観は111系と比較して変化はなく、相互に連結も可能である。特に付随車および制御車には111系と同一構造で、形式および番号も111系の続番とされている。ただし、クハ111形の雨樋が453系[注 8]に合わせる形で乗務員室扉上まで延長されている。

設計上の母体となった401系・421系および403系・423系とともに、屋上のベンチレーター(通風器)の形状、配置が数回にわたって改良されている。大きな変化としては、1964年からクハ111形の運転台部分に乗務員への通風用の四角形の大型通風器が設置されるようになり、1968年からは雪対策として丸型(グローブ型)だった客室用通風器が、吸気調節のできる押込型に変更された[27]。サハ111形はすべて押込型での製造となっている。

クロスシート部の取手が従来は丸型であったが、1967年の増備車より角型に変更された[28]

1968年製造のモハ113-203は、当時便所・化粧室ユニットとして実用化されつつあったFRPを屋根構体に試用して製造された[29]。試用の結果、耐候性の点でFRPを構体に使用するには問題があることから試作にとどまり、1977年の冷房化改造の際、通常の鋼板屋根に変更された[30]

1964年2月に横須賀線・伊東線で営業運転が開始され、京阪神快速でも同年9月より営業運転を開始した[6]

1970年冷房試験車が京阪神地区に投入されている。103系に用意された冷房試験車と同様、AU73X、AU74X、AU75Xの3種の冷房装置と各種の風道方式が試験されたが、103系は試験用に新造された車両であったのに対し、113系は既存車の改造で賄われた。試験の結果は良好で、国鉄時代は一部車両に対しそのままの様式で冷房改造が進められた。

ユニット窓
非ユニット窓

1970年から1973年の間、1000番台の製造が重点的に行われたため、0番台の製造は中断した。その後、1975年3月のダイヤ改正で山陽本線の快速列車の運転と呉線の客車普通列車の電車化が実施され、首都圏の111系を山陽地区に転用するため首都圏に113系が1974年より新製投入されることとなった[20]。0番台の増備車であり、後述の700番台と同様に冷房車、防火対策が取り入れられている。

車体構造は後述の1000'番台・700番台の影響を受けており、窓別組立・後取付け(ユニット窓)で製造時からの冷房搭載車(新製冷房車)となり、前照灯も製造時からシールドビーム[注 9] となった。車輌番号は以前の車両の続番でモハユニット-233、クハ111-194・505、サハ111-5以降が付されたが、それらとは各部で形態が異なっていることから、非公式の呼称ではあるが「0'番台[20]」と区別されることが多いため、本稿でもその呼称を使用する[注 10]。なお、0'番台に相当する0番台のサハ111形は-5の1両のみであった。0’番台は首都圏と京阪神地区には大量に新製配置されたが、名古屋地区への新製配置はない。

各地で長きにわたって使用されており、老朽化により廃車が進行している中で1969年以前の車両でも運用されているものも存在する。JR東日本、JR西日本に承継された0'番台には延命目的で大規模なリニューアル改造(体質改善工事)も実施された車両も存在したが、余命を考慮して2007年をもって新規施工は終了した。

113系1000・1000'番台

113系1000・1000'番台
1000番台車で構成される幕張S221編成
基本情報
製造年 1969年-1977年
主要諸元
編成定員 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車)
座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SN
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1000'番台(上)では乗務員室直後の窓配置が異なり、ATC機器室のため窓がない箇所がある。ATC非搭載車(下・2000番台)では乗務員室直後に2段窓がある
113系1000'番台(総武本線)

横須賀線総武快速線の地下区間(錦糸町 - 品川間、1972年錦糸町 - 東京間開業、1976年東京 - 品川間延伸)直通を目的に、1969年から製造された地下区間乗入対応車両グループである[31]。0番台を基本に、運輸省(→国土交通省)制定のA-A基準に対応した難燃構造が採用された。CP付きの西(偶数)向き制御車は、基本番号+300の「クハ111形1300番台」と区分されている。

長大トンネル、人口密集地を通過することを考慮し、電車のトイレは従来の垂れ流し方式を改め、普通電車向け車両としては初めて循環式とした[32]ほか、パッキン材など一部の部品に使用されていた木材は廃され、窓やカーテン、床板、腰掛などの材料も難燃性・不燃性材料に変更されたほか、火災発生源となりうる抵抗器などの一部機器・回路に発火防止対策がなされている。また、1972年以降に落成した先頭車(クハ111-1017 - 1025・1332 - 1339)は前照灯がシールドビームに変更されるとともに、方向転換不能とされ、主制御器もメンテナンスフリー化を図ったCS12Gに変更された。

総武快速線は、房総東線(後の外房線)の電化と同時に1974年7月に開業することとなった[17]。地下区間の保安装置は当初はATSを使用する予定であったが、開業間近の時期にATCを導入することになったため、ATC装置を搭載し、あわせて冷房装置搭載など各部に大幅改良がなされた車両が1972年4月以降に新たに製造されることになった[17]。初期の209両は地下線内において冷房使用に伴う排熱によるトンネル内での温度上昇を懸念して冷房準備車として落成しており、113系で唯一の冷房準備車となった[18]

従来の1000番台車両は、専ら房総地区(総武本線成田線鹿島線外房線東金線内房線)ローカル列車や0番台とともに東海道本線東京口で使用されることとなった。特に、サハ111形については東海道本線東京口に転用されたことから、0'番台での増備が1両にとどまることになった。このグループは「地上用1000番台」と通称されることもある。

新たに製造された車両は先頭車の助士席後部にATC装置が搭載(一部は準備構造)され(助士席部分の折りたたみ構造は廃止された)、運転士側も後方に拡大されて急行形電車並みの広い構造に、従来車では前照灯と幌枠の間にあったタイフォン(警笛)が下方に移設され、ジャンパ栓がKE70形とされたほか、全車とも側面窓上に行先表示器が設置され、側窓は別組立・後取付けの「ユニット窓構造」が採用された[33]。車両番号は従来車に続いて、モハユニット-1055、クハ111-1026・1340、サハ111-1020以降が付番されているものの、従来の非ATC車両との区別のために、非公式の呼称ではあるが「1000'番台[17]」と区別されることが多く、本項目でもこの呼称を使用する。

また、トイレは設置位置、数は0番台や1000番台従来車と変化ないが、地下線の清浄化と保線作業者の影響を考慮して、循環式汚物処理装置が設置された(横須賀線向けに投入された車両は当初準備工事のみで後に設置)。また、主電動機もISO規格ネジを採用してメンテナンスフリー化を図ったMT54Dに変更された。後期の製造車は落成時から冷房装置を搭載した「新製冷房車」となり、MG容量は冷房・制御電源が一体化されて160 kVAとなった[33]。容量の増大にともない、搭載するモハ112形は側面中央扉の戸袋窓部分にMG冷却用冷却風取入口が設けられている。

この車体構造は以降の地上用の新製冷房車(0'番台)や700番台でも採用されたほか、115系300番台および415系0'番台でも採用されている。ただし、クハ111-1106・1419以前の車両は115系300番台以降の車両と異なり前面強化構造とはなっておらず、後年、前面強化工事が推進された。

地上用となった従来車は後に前照灯がシールドビーム化された車両もあるが、タイフォンが他番台と同じ前照灯と幌枠の間の配置となっているほか、窓構造や、ATCの装備がされていないために先頭車両の助士席後部の窓配置も異なっているなど、1000'番台との差異は大きい。冷房装置も、国鉄時代には1000'番台と同じAU75系が搭載されたが、民営化後にはJR東日本開発の集約分散式冷房装置AU712形2基/両を搭載した車両も存在する。中には非冷房のまま廃車となった車両も存在する。

国鉄時代にごく少数の初期非ATC車が中京圏・近畿圏に転用された他は[注 11]、当初の配置区所で使用され続けた。よって、国鉄分割民営化時にはほとんどがJR東日本に承継されている。

このグループのサハ111形は、2005年に東海道線で更新工事施工のうえ使用されていた1両 (1015) が廃車されたのを最後に、形式消滅した。また、中京圏・近畿圏からJR東海・西日本に承継された車両も、阪和線で使用されていた1両(クハ111-6310・高速化工事で+元番号5000)が2004年に廃車となり、消滅している。

なお、横須賀・総武快速線からの撤退時には廃車となるゾロ目番号のクハ111-1111を含む編成が1999年(平成11年)11月11日にイベント列車として使用された。また、ATC付きの1000'番台は横須賀・総武快速線が禁煙区間とされたために灰皿は製造時から設置されていなかったが、ATC非搭載の1000番台では設置されていたため、房総地区では1997年3月のJR東日本管内普通列車全面禁煙化まで列車によって禁煙であったり喫煙可能であったりする現象が続いた。

113系700番台

113系700番台
113系5700番台(元700番台)の湖西線列車(おごと温泉駅、2009年)
基本情報
製造年 1974年-1976年
主要諸元
編成定員 座席63(クロス36・ロング27)・立席51(先頭車)
座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-S(新造時)
ATS-P,ATS-SW
備考 111系も同一
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1974年7月20日東海道本線山科駅北陸本線近江塩津駅を結ぶ湖西線が開業した[19]交流電化であった北陸本線と接続するため永原 - 近江塩津間に交流・直流のデッドセクションが設けられ、直流電化京都 - 永原間の普通列車に113系が使用されることとなった[19]。湖西線は寒冷地の降雪線区であることから、115系に準じた耐寒耐雪装備を持つグループとして1974年に登場したのが113系700番台である[19]

1974年から1976年にかけて、2M2Tの4両×9本、4M2Tの6両×8本、計84両が製造された。短編成のためサハ111形は製造されていない。クハ111形は奇数向き車が700番台、偶数向き車が750番台となり、10の位の数字で区分された[34]

1000'番台の車体をベースに客用扉の半自動(手動で開閉)対応化、前面タイフォンへのシャッター設置、スノープラウ設置といった耐寒耐雪構造が取り入れられており[19]、115系300番台から勾配抑速ブレーキを取り除いた仕様であるといえる。運転台スペースも1000'番台と同様に広く取られたが、助士席側にあったATCの機器スペースはなく、窓配置と座席定員が変更されている[34]

1972年11月に発生した北陸トンネル火災事故を教訓に、以後の新製車は不燃性・難燃性を向上したA-A基準に準拠した構造となり[34]、700番台においても1000'番台と同様の防火対策が取り入れられている[35]。前面のタイフォン(空気笛)は、700番台以降では1000'番台と異なり、前照灯と同等の高さの位置に配置された[35]

新製時の配置は高槻電車区(現:網干総合車両所明石支所高槻派出所)で、国鉄末期の同区の無配置化に伴い宮原電車区(現:網干総合車両所宮原支所)に転属、国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継された。JR発足後に吹田総合車両所京都支所(旧:向日町運転区 → 京都総合運転所)に転属している。1991年からは後述の高速化改造が施工され、全車が番号に5000を加えた「5700番台」となった。その後、1992年から2001年にかけて、全車両が延命工事または体質改善工事を施工している。2023年4月1日を持って定期運用から離脱した。

113系2000番台

113系2000番台
名古屋地区の113系2000番台(1988年)
基本情報
製造年 1978年-1982年
主要諸元
編成定員 座席60(クロス36・ロング24)・立席49(先頭車)
座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SW,ATS-ST
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1955年より使用されていた東海道本線名古屋地区の80系は、1978年より113系の新製投入で置き換えられることとなり、115系1000番台で採用されたシートピッチ拡大などの設計変更も実施されることとなった[21]。0番台の後継に相当するグループとして、1978年から製造(サハ111形は1980年から)された地上温暖地向仕様の番台区分が2000番台である[21]

クロスシート部の座席間隔(シートピッチ)の拡大(1,420 mm → 1,490 mm[注 12])・座席幅の拡大(880 mm → 965 mm)、形状変更とこれに伴う窓の割付の変更、座席定員の減少などがなされたため、番号が区分された。CP付きの西(偶数)向き先頭車(クハ111形2000番台)は全車トイレ付きだが、CPなしの東(奇数)向き先頭車(クハ111形2100番台)は2145までがトイレなし、2146以降はトイレ付きと製造途中に仕様変更が行われた。

後期に製造された車両は屋根上冷房装置横のランボード(歩み板)などの構造が当時製造されていた201系量産車に準じたものとなっている。

サハ111形2000番台のうち、2001 - 2007・2009 - 2012・2025は1983年から2000年に大船電車区(現在の鎌倉車両センター)と幕張電車区(現在の幕張車両センター)に配置され、1000'番台に連結されて横須賀・総武快速線で使用されていた[注 13]。1000'番台・1500番台との主たる相違点はジャンパ栓だけであり、0'番台以降、車両の耐火基準は地下用のA-A基準に沿って製造されているので、地下線区間走行に問題はなかった。

第一陣は80系の置き換え用として大垣電車区に、その後同じ1978年に高槻電車区、宮原電車区に投入された。関東地区においては1980年、国府津電車区への配属が最初である。現在、東海道本線からは撤退したが、比較的新しい本グループは他番台置き換えなどで温存される例が多く、近年までJR東日本・東海・西日本に多数在籍していた。

また、京都総合運転所「C編成」に組成されておもに山陰本線京都口(嵯峨野線)で使用されている車両は、特に番号区分などは行われないまま寒冷地対策でスイッチ式半自動扉への改造が行われている。これらは方向幕のLED化も行われた。

113系1500番台

113系1500番台
113系1500番台
基本情報
製造年 1979年-1982年
主要諸元
編成定員 座席60(クロス36・ロング24)・立席49(先頭車)
座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SN
ATC-5
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1980年10月のダイヤ改正で、東海道本線横須賀線の分離(通称:SM分離)が行われるとともに、横須賀・総武快速線の直通運転が実施された[36]。この直通運転に伴う増備車として、1000'番台をベースに2000番台の車体構造を取り入れたシートピッチ拡大車として1979年から製造されたグループである[22]。CP付きの西(偶数)向き制御車は、基本番号+100の「クハ111形1600番台」と区分されている。また、6両製造された東(奇数)向き制御車のうち、1504までがトイレなし、1505と1506はトイレ付きと製造途中で変更がある。

他の番台と比べ、前照灯とタイフォンが若干高い場所に設置されている。

全車が大船電車区・幕張電車区に新製配置され、横須賀・総武快速線で使用された。国鉄の分割・民営化時には全車がJR東日本に承継された。E217系投入後は、房総地区ローカル用に幕張電車区配置となったほか、一部は車両需給の都合から国府津電車区に転出し東海道本線東京口で使用された。サハ111形は1両(1501 廃車)を除き国府津電車区に転出し、老朽化したサハを置き換えている。サハ111形は国府津車両センター(2004年に改称)へのE231系投入に伴い転用先がなく全車廃車となり形式消滅しているほか、国府津に転用された1500番台は幕張車両センター(2004年に改称)に再転属されず全車廃車となった。幕張車両センターに配置されている1500番台はほとんどの車両にリニューアル工事が施工された。しかし、モハ113・モハ112-1517・1520は未施工であったが、モハ112-1517は補助電源装置と空気圧縮機をリニューアル施工車と同一品に交換している。

113系2700番台

113系2700番台
7700番台(元2700番台)車の京都L12編成
基本情報
製造年 1980年
主要諸元
編成定員 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車)
座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SW
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1980年3月に草津線草津駅 - 柘植駅間が電化され、湖西線との共通運用のための113系が増備されることとなった[23]。2000番台と同様のシートピッチ拡大を行い、700番台と同様の寒冷地対策が追加されたグループとして1980年に登場したのが113系2700番台である[23]。このグループも、115系1000番台から勾配抑速ブレーキを取り除いた仕様といえる。

先頭車のクハ111形は、奇数向き車が2700番台、トイレのある偶数向き車が2750番台に区分された[23]。700番台同様、サハ111形の製造はない。

1980年に4M2Tの6両編成2本が製造され、草津線電化開業時から湖西線用700番台と共通運用されてきた。1983年から1984年にかけて4両編成に組み直された際に不足した先頭車は、後述のクハ111形2000番台からの改造編入で賄われている。

全車がJR西日本に承継され、現在は全車が高速化改造されて番号に5000を加えた「7700番台」となり、さらに2002年から2003年にかけて体質改善工事が施工された。その後も湖西・草津線で運用されてきた。JR西日本では小浜線の電化に際して2002年から2003年にかけて追加で改造車が誕生している。2023年4月1日をもって定期運用から離脱した。


注釈

  1. ^ サロ110の特急形転用車及びサロ124・サロ125は20,500 mm。
  2. ^ 高速化改造車は110km/h。
  3. ^ サロ111以外のグリーン車は除く。
  4. ^ 0番台(0'番台除く)はCS12D、1000番台はCS12F。
  5. ^ サロ124・サロ125は4,070 mm。
  6. ^ 451系・471系では逆に長くなっている。
  7. ^ 京阪神快速のみならず、JR東海エリア(大垣駅)への直通運転に当てられることもあった。
  8. ^ クモハ451・471では両渡り構造だったのが、クモハ453では主電動機出力の向上と引き換えに片渡り構造に変更された。
  9. ^ 初期車にものちにシールドビームに交換された車両が存在するが、それらとは内側隣のタイフォンとの位置関係が若干異なっている。初期車は前照灯に対してタイフォンが斜め下に位置しているのに対し、0'番台では両者が同じ高さとなっている。
  10. ^ 0ダッシュ番台というのは非公式であり正式に使われたことのない俗称である。
  11. ^ クハ111-1311は、一時期広島・下関地区に転属して111系と組んで使用されたこともあったが、JR化前に関東に戻り、その後は房総地区ローカル運用で使用された。
  12. ^ ロングシート側は背もたれの最後部まで含めて計測した数値。ボックスシートが並ぶ車両と同様に背もたれ中央の部分までで計測した数値の場合、それぞれ1,400 mm・1,470 mmに相当する。
  13. ^ これらの車両は関西地区や国府津運転所(現在の国府津車両センター)からの転属によって手配されたため、1986年頃までは湘南色で運用された(後述の一部のサロ113も同様)
  14. ^ 0番台の非冷房車は1980年までに廃車になっている。また、900番台・1000番台は全車冷房改造されている。
  15. ^ そのままの状態で連結するとトイレと車掌室が6号車寄りになるため方向転換された車両は4号車から5号車に移動。
  16. ^ 京阪神地区で中間に入っていたクハ111は、1980年の京阪神地区のグリーン車廃止の際にサロをクハに置き換えたものであった。
  17. ^ 改造直前の1983年に大垣電車区から高槻電車区に転属した車両。
  18. ^ この見返りにモハ112/113-1058がサハ111-403、404に改造され国府津電車区に転属した。
  19. ^ JR東海の東海道本線全区間を走破する米原発熱海行という列車も、1999年12月ダイヤ改正まで存在した。
  20. ^ 身延線内トンネルに対応するにはパンタグラフをPS23・24に交換するだけでは規定の絶縁離隔に40 mm足りず、パンタグラフ台を20 mm背の低いものへの交換、更には当該部分の屋根自体を平にして20 mm低下させて合計40 mm下げる必要がある。国鉄115系電車#モハ114形2600番台参照。
  21. ^ 側面行先表示機を後付していた初期車は当該箇所の上段窓も既に固定しており、この部分については外観上二段窓のままであるが、全く開けることができない状態となった。
  22. ^ 福知山運転所(→福知山電車区)800番台の施工編成には、七尾線電化関連による編成組替に伴い冷房付電動車が組み込まれたものも存在していた。ただし冷房付電源車には編成内全車への給電が可能な冷房電源が備わっていなかったため「編成単位で非冷房」と同様の扱いとされた。
  23. ^ 同じく改造費用に制約の大きかった419系ですら行き先表示装置は新設されていた
  24. ^ 115系では2001年改造の1000番台ですでに採用。ただし、ヘッドライトの意匠が異なる。
  25. ^ ただし223系と違い、補助席は設置されていない。
  26. ^ 中間車は2015年6月5日付で廃車、先頭車は岡山電車区のB-10編成となって現在も運用されている。
  27. ^ 14両あるサハ111形のうち、サハ111-7013 - 7017・7019・7020・7022の8両に施工。このうち、7014と7016は2004年に、それ以外の6両は2007年にそれぞれ廃車となった。
  28. ^ この編成は40Nで施工された最後の体質改善編成でもある。
  29. ^ ATS-P非装備車がP導入済み線区に残置してあるSN地上子を用いて走行する営業運転は、2011年7月1日の鉄道に関する技術上の基準を定める省令の改正(禁止)以前であれば法的には問題がない。
  30. ^ 和歌山線での運用は2002年3月23日ダイヤ改正で終了。
  31. ^ ATS-P保安装置の必要性から阪和快速色のクハが、体質改善工事施工の観点から広島支所のMM'ユニットが使用され、両者が編成を組んだ。
  32. ^ クハ111-301+モハ112-21+モハ113-21+クハ111-32の4両。(先頭車は111系)
  33. ^ 平日・土曜朝の上り1本のみ。また、その送り込みとなる新見 - 上石見間下り1本、新郷 - 上石見間上り1本の回送がある。
  34. ^ 内訳は関西更新色:1編成4両、広島更新色:8編成32両、湘南色:5編成20両、瀬戸内色:3編成12両。
  35. ^ 転用に当たり6両編成は4両編成に短縮されたため、余剰MM'ユニットが発生した。
  36. ^ 先頭車2両は宮原所のMM'ユニットを組み込みP編成に編入。
  37. ^ 当初は軌条面上、1,750 mmと3,165 mmで塗り分けられていたが、軌条面上、1,900 mmと3,045 mmに変更された[242]
  38. ^ 鷹取工場(のちに網干総合車両所へ移管)、後藤工場)などの例がある。
  39. ^ 2012年9月30日発行の『国鉄&JR保存車大全』 笹田昌宏 イカロス出版 ISBN 978-4-86320-617-5 には、保存(保管)車として掲載されていた。2014年11月25日発行の『国鉄&JR保存車大全2015-2016』 笹田昌宏 イカロス出版 ISBN 978-4-86320-928-2 には掲載されていない。
  40. ^ 所属表記も「横コツ」から「宮オオ」に変更された。

出典

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