国鉄113系電車
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グリーン車
111・113系は、東海道本線東京口や横須賀線・総武快速線、京阪神地区など大都市近郊で使用されたことからグリーン車(一等車)が製造されたことも特徴となっている。111・113系用として新製された車両のほか、数多くの改造編入車が登場している。京阪神地区は1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で運用が消滅し一部グリーン車が首都圏に転属。静岡運転所所属車は1986年11月1日国鉄ダイヤ改正で国府津区に転属。JR東日本のみに引き継がれた。
1962年にはサロ111形が新造車として登場し、1965年からはサロ153形からの編入改造車が登場してサロ110形となった。1967年からは下降窓を持つサロ152・サロ163形がサロ112形として編入されている。1973年にはサロ113形が横須賀・総武快速線の地下線用の難燃車として新造され、サロ111・110形においても難燃化改造で1000番台に改番された車両がある。
1976年からはサロ110形1200番台が新造され、横須賀線の輸送力増強と下降窓のサロ112形の置き換えが実施された。1980年代に入ると余剰となった特急形グリーン車・急行形電車からサロ110形への編入が行われ、サロ153形から改造のサロ110形が置き換えられた。JR化後の1989年からは2階建てのサロ124・125形が新造され、老朽化したサロ111・110形が置き換えられている[37]。
使用線区の事情から設備の豪華さよりも定員が重視される傾向があり、特別二等車をベースとする特急・急行用のグリーン車とも違った発展を遂げた。定員重視のため、シートピッチ(座席間隔)は原則として970 mm、特急・急行グリーン車からの改造車は1,160 mmである。
新造グリーン車
サロ111形 0・1000番台
111・113系オリジナルのグリーン車(一等車)で、1962年 - 1964年に45両が製造された。形態はサロ153形に類似するが、車掌室がないため定員は4名多い64名である[38]。座席はサロ110形0・900・1000番台とほぼ同様の回転式クロスシートだが、座席背面は化粧板で処理されており、台車も111型と同様のコイル(金属)ばねのTR62形を履いている[38]。
新製時は非冷房であったが、1972年 - 1977年に全車冷房改造が実施された。冷房装置は分散形AU13E形を6基搭載している。また1972年から横須賀線の東京地下駅への乗入れのため18両が難燃化改造を実施されて1000番台に改番された。24両がJR東日本に承継されたが、老朽化のため1993年に全廃された。
0番台から1000番台への改番は以下の通り。
- サロ111-17・20・33・35・13・14・15・36・37・38・7・39・22・23・24・40・43・44→サロ111-1001 - 1018
サロ113形
1973年 - 1974年に横須賀線・総武快速線用に17両が新造されたもので、全車が地下対応の1000番台(1001 - 1017)とされ、新製時からAU13EN形冷房装置を6基搭載している。急行用グリーン車に準じてリクライニングシート(サロ165形などで使用されたものと同タイプながらテーブル廃止・難燃化を図っている)を1,160 mm間隔で装備しているため、定員はサロ111形のより16名少ない48名となった。側面窓は1000番台普通車と同じ2段上昇ユニット窓で、側面には行先表示幕が設けられた[39]。いわゆる113系版の新製「特ロ」である。
計画では成田空港利用客を見込んでいたが、開港の遅れにより空港輸送での使用は断念された[40]。大船電車区配属車は横須賀線で、幕張電車区配属車は1000'番台冷房車と組んで1973年の房総夏季輸送(房総夏ダイヤ)期間に運転の臨時急行「なぎさ」「みさき」、および臨時快速「青い海」の一部列車に使用された。しかし幕張所属車は夏季輸送終了後は運転休止となり、1974年に横須賀線グリーン車の冷房化率向上のため大船電車区へ貸渡ののち転属している。
前述のとおり定員が少なく乗客の着席需要に応えられなかったため、1976年には全車が京阪神地区(高槻電車区・宮原運転所)に転出し、老朽化していたサロ112形を置き換えた。一部は宇野線で使用されたこともあるが、1980年の京阪神地区快速のグリーン車廃止および横須賀・総武快速線の直通運転開始により、再び関東(幕張電車区)に戻った。転入時に湘南色から横須賀色に塗り替えられたが、全車の塗り替えが間に合わなかったことから、湘南色のままで横須賀・総武快速線で使用されたり、側面の緑帯が残存していたりする車両があったほか、横須賀色でも「大タツ」「大ミハ」の標記になっているものもあった。1987年の国鉄分割民営化に際しては全車がJR東日本に承継されたが、1998年末に全廃された。
サロ110形1200番台
横須賀線のサロ113形の定員が少なく不評であった一方、京阪神地区のサロ112形は下降窓による構体の腐食が進んでいた[41]。このため、1976年度より横須賀線の輸送力増強用にグリーン車を新造投入してサロ113形を捻出し、輸送力に余裕のある京阪神快速にサロ113形を転用してサロ112形を廃車することとなった[41]。これにより新造されたのがサロ110形1200番台である。
座席は特急普通車並みの簡易リクライニングシートで、シートピッチは970 mmとなり、定員は60名に増加した[42]。形式は定員が同じサロ110形の新たな番台区分とされ[43]、A-A基準を満たす難燃構造車として1200番台に区分された[42]。台車は空気ばね式のTR69である[43]。
側窓はサロ113形と同様の2段式ユニット窓が採用され、側面に電動式行先表示幕が設置された[43]。車内には乗務員室とトイレ・洗面所が設けられた[43]。乗務員室は従来のサロ110形と反対側に設置されたため、乗務員室のない側の車端部に戸袋窓が設けられた[43]。トイレの汚物処理装置については準備工事とし、後に追加で装備されたほか、サボ受けが追加された。
1218 - はトイレと洗面所をユニット化し、窓を小型化する設計変更が実施された[44]。1979年製造の1220 - は、1978年9月の車両塗装・標記規定変更により側面窓下グリーン帯が省略された[44]。在来車も工場入場時にグリーン帯を抹消した。
1976年 - 1981年に88両が製造された[45]。当初は横須賀線用として大船電車区に配置されたが、後に東海道線用として国府津電車区・田町電車区・幕張電車区にも配置。最終増備車の1285 - 1288は静岡運転所に新製配置された。
全車JR東日本に承継されたが、東海道本線での運用終了に伴い2006年までに全車廃車となった。
サロ124形・サロ125形
国鉄分割民営化後に登場した2階建車両である。老朽化が進み、取替時期に来ていたサロ110形およびサロ111形の置換えにあたり、乗客の着席需要が旺盛なことから同時期に登場した211系の2階建グリーン車サロ212形およびサロ213形と同じ車体を採用して座席定員の増加を図ったものである[46]。
これにより定員はサロ110形1200番台の60名に対して90名と30名増となり、実に1.5倍に増加している。車掌室付きでトイレなしのサロ124形が1989年3月から1991年2月にかけて29両、トイレ付きのサロ125形が1990年度に5両製造された。将来的には、車掌室とトイレを向かい合わせた形で2階建グリーン車を2両連結することとしていたが、投入当初は両形式とも4号車に組込まれ、2階建+平屋の組合せとした。このため、サロ125形は登場時点でサロ124形と同じ向き(方向転換し本来の向きと逆の状態)で組み込むため、引通しを両渡りとして使用していた。後述の211系への改造時に本来の向きに戻されサロ124形と組んでいる(逆にこの時は両数の多いサロ124形の一部が方向転換と引通しの改造を実施することになった)。
サロ212形などとの相違点は、連結相手が異なることからブレーキ装置など構造が異なる他、サロ124-1 - 8は485系などからの発生品であるTR69系空気ばね台車を改造して使用していることが挙げられる。なお、9以降は211系と同様の新造のボルスタレス台車のTR235形に変更されている[47]。
サロ124形のうち横須賀・総武快速線に投入された9 - 14、25 - 29は東海道本線のサロ124形と異なり、成田空港利用者輸送に対応して後位出入台側の一列を荷物置場に変更しており、定員は4名少ない86名となった[47]。また前述のとおり台車がこのグループから新造のものに変更された。1994年から1999年のE217系投入時に全車が東海道本線に転属し、荷物置場を撤去して4名分の座席を増設した。また帯色が湘南色に変更されたが、東海道本線に新製投入されたサロ124形とカラーシートの貼り方が異なっているため、見分が付く。サロ125形は全5両が東海道本線に投入された。
なお、グリーン車独自の車両番号採番となったため、後に全く関係なくJR西日本で125系が製造されたが、JR西日本車はクモハ125形のみのため車番の重複が生じなかった。
153系・163系からの改造グリーン車
サロ110形0・900・1000番台
153系のサロ153形からの改造車で、サロ165形冷房車の新造投入により捻出されたサロ152形非冷房車による準急列車のリクライニングシート化に伴って余剰となったサロ153形を111・113系用に転用したものである。当初はサロ153のジャンパ連結器を111系向けの物に交換しただけで改番は無かったが、1966年3月31日を以てサロ110形に形式変更が行われた。このあと続く転用車も同様の改造と改番が施行された。
1965年 - 1968年にセミステンレス車体試作車の900番台(2両)を含めて63両全車が改造された[48]。シートピッチは970 mmで車掌室付きのため定員はサロ111形より1列分少ない60名、台車は空気ばねのTR59形である。東海道本線東京口と横須賀線のほかに京阪神地区でも使用された。側面塗分線は当初153系時代のままであったが、のちに111系に合せている。
1972年から冷房改造が開始されたが、全車には及ばなかった[注 14]。1972年改造車3両(43・46・49)は、伊東線・伊豆急行線用として20 kVA MGを搭載して自車のみの給電とした。編成を組む普通車はこの時点では非冷房車のままである。
1973年から冷房化が本格的に推進されたが、同年以降の改造車は冷房電源をモハ112形から給電する方式に変更された。1972年改造車は1977年にモハ112形から給電する方式に変更され、その際にMGは撤去された。
サロ111形と同様に同年から東京地下駅乗入れ対応のため0番台車7両に難燃化改造が実施されて1000番台に改番された[39]。このうちサロ110-1004・1005・1007は計画番号にとどまり、実際に改造工事は行われずに欠番となっている。1980年にセミステンレス車の900番台車が京阪神地区のグリーン車廃止時に東京に転出せずに廃車になったのを皮切りに廃車が進み、16両がJR東日本に承継されたが、これも老朽化のため1992年に全廃された。
0番台から1000番台への改番は以下の通り。
- サロ110-2・13・14・26・39・16・58→1001 - 1003・1006・1008 - 1010
サロ112形
153系急行用一等車(グリーン車)からの改造で、1967年 - 1969年と1975年にサロ152形30両全車(0・100番台)とサロ163形1両(7→サロ112-51)の計31両がサロ112形に改造された。種車のリクライニングシートをそのまま装備しており、定員は48名とサロ111形と比較して16名少ない[49]。まさに「特ロ」そのままである。
サロ152形・サロ163形→サロ112形の改造は3回に渡って施工された。車両番号は原則としてサロ152形時代のものが踏襲された[49]。
- 1回目(1967年 - 1968年)
- 大垣電車区・下関運転所に配置されていた非冷房のサロ152-2 - 12・14・16・18・20の15両に吹田工場で改造施工。高槻電車区に配置され京阪神地区で運用された。
- 後に3・14の2両のみが冷房改造された
- 2回目(1969年)
- 大垣電車区に配置されていた冷房車サロ152-1・13・25・サロ163-7の4両に浜松工場での改造施工と併せて静岡運転所に転属。東海道本線東京口運用に投入されたが、1971年以降は高槻電車区に転用。
- 3回目(1975年)
- 下関運転所・田町電車区に配置されていた冷房車サロ152-21 - 24・26 - 29・101 - 104の12両に大船工場で施工。24のみが京阪神地区用に高槻配置となったが、他の車両は大船電車区(現・鎌倉車両センター)に配置され、東海道本線東京口・横須賀線で運用された。
下降窓という車体構造上、雨水が浸入しやすかったため車体の腐食が早く、1979年までに全廃された。
特急形からの改造グリーン車
サロ110形0番台の老朽化が進む一方で、上越新幹線が開業した1982年11月のダイヤ改正で特急形181系グリーン車などに余剰車が発生していた[50]。余剰車の有効活用のため、老朽化したサロ110形の置き換え用として特急形グリーン車の113系化改造が実施されることとなった[50]。この改造によりサロ110形300番台が登場し、その後も余剰車の編入による多数の転用改造車が登場している[50]。
特急形改造車は車体がそのまま利用され、車体断面形状が従来の113系と全く異なっており、編成中で非常に目立っていた。これらの改造車は「化けサロ[51]」とも通称された。実質的にいわゆる「特ロ」の一派である。
改造種車も181系・183系、485系・489系と多岐にわたり、定員や便所の有無など仕様もまちまちであったが、後述の急行形改造車とともにサロ110形(300・350・1300・1350番台)に編入された。また、定員や便所など設備上の問題から、これら特急形電車からの改造車は必ずサロ110形1200番台などの定員の多い車両とペアで編成が組まれていた。ただし、登場後しばらくの間、特急形からの改造車2両で組み込まれたことがあり、屋根高さが3段になっていることもあった。定員が少ないため、利用者が増える通勤時間帯に着席できなくなることから、グリーン定期券利用者などからは不評であった。
東海道本線東京口と横須賀・総武快速線で使用されてきたが、後者は地下線仕様として1000番台が付番されている。全車がJR東日本に承継されたが、横須賀・総武快速線のE217系置換えで余剰となった2階建グリーン車の東海道本線への転用により、1998年(平成10年)末までに全廃された。
サロ110-301
1982年のダイヤ改正で余剰となった181系サロ180-1001[52] の改造車で、1983年(昭和58年)に登場した。定員52名。種車の便所および洗面所を撤去して客用扉を増設し、冷房故障時の対策で側面窓の4箇所に開閉可能な換気窓が設置された[50]。また車体構造の都合により行先表示器も設置されなかった。オリジナルが181系であるため、他の特急形改造の車両と比べても一際低い車体が特徴的であったが、1990年(平成2年)に廃車された。
落成当初は静岡運転所配置だったが、国鉄時代最後となる全国規模のダイヤ改正(昭和61年11月)で国府津電車区に転属した。
サロ110-302・303
301と同じ1982年のダイヤ改正で余剰となった181系サロ181形の改造車で[50]、1983年(昭和58年)に登場した。種車が元々485系サロ481形改造の1050番台車(1051・1052)であったため、室内床面を含め車体全体が高く、形態的には後述の350・1350番台と変わらない。冷房装置はキノコ形キセ(カバー)のAU12形である。定員48名。便所・洗面所付き。
落成当初は静岡運転所配置だったが、国鉄最後のダイヤ改正で国府津電車区に転属した。1991年に全廃された。番号の新旧対照は次の通り[52]。
- サロ181-1051・1052→サロ110-302・303
サロ110-351 - 362・1351 - 1358
1983年(昭和58年)から1986年に登場したサロ489形およびサロ481形の改造車である。定員48名。350番台はトイレ付きだが、1350番台は改造時にトイレを閉鎖している。種車の製造時期の違いから冷房装置に差異がある。前述の302・303を含めてサロ481形およびサロ489形を出自とする車両の改造車は、元の出入台にあったステップを改造時に埋め込んでいる。
356・357・359・360は、サロ124形およびサロ125形と連結されるために方向転換され、引通し線の改造も実施[注 15]。
351 - 358は静岡運転所に、359 - 362国府津電車区に配置されたが、351 - 358は国鉄時代の最後のダイヤ改正(昭和61年11月)で国府津電車区に転属した。1997年(平成9年)までに全廃された。 落成当初トイレは地上設備の関係で利用出来なかったが後に利用できる様になった。
1350番台の一部は改造当初、例えば横須賀色にもかかわらず塗り分け位置が湘南色のそれであったりと個々の車両ごとで差が生じていたものがあり、営業運転までの間に急ぎ修正が行われている(後述「塗装」の項にあるとおり、横須賀色と湘南色では塗り分け位置が違う)。
番号の新旧対照は次の通り。
- サロ489-1・2・3・4・5・10・11・12・7・9・17・18→サロ110-351 - 362
- サロ489-19・20・21・22・24・サロ481-93・95・96→サロ110-1351 - 1358
サロ110-304 - 311・1301 - 1305
1987年(昭和62年)に登場したサロ183形の改造車である[53]。0番台からの改造車が304 - 、1000番台からの改造車が1301 - をそれぞれ名乗る[53]。定員48名。種車の便所および洗面所部分に客用扉を増設したため、便所および行先表示器は設置されていない。またサロ183形時代の車内販売準備室および車販コーナーが撤去されずに残っていたのがこのグループの最大の特徴である。1300番台のうち1305のみは、1988年(昭和63年)の落成当初は湘南色に塗装して、田町電車区→国府津電車区に配属されて東海道本線で使用されたが、1991年(平成3年)に大船電車区に転属して横須賀線系統に使用された。304 - 307.1301 - 1304は国鉄時代に、308 - 311.1305は分割民営化後に改造された。
サロ183形0番台からの改造車は、当初は碓氷峠を補助機関車なしで自走可能な187系へ改造される予定の車両であったが、187系の計画中止により113系へ転用改造されたという経緯を持つ[54]。
305・306・307は、サロ125形と連結されるために方向転換され、引通し線の改造も実施(方向転換された車両は4号車から5号車に移動し、そのままの状態で連結すると車掌室が6号車寄りになるため)。
このグループの1302が1998年12月に廃車され、特急形改造グリーン車は消滅した。
番号の新旧対照は次の通り。
- サロ183-1・8・14・15・5・11・16・17→サロ110-304 - 311
- サロ183-1003・1006・1007・1009・1002→サロ110-1301 - 1305
165系からの改造グリーン車
前述の特急形改造車と同様の事情によって改造されたものであるが、2種2両のみの存在であった。
サロ110-501
1983年11月のダイヤ改正で余剰となった165系普通車を113系グリーン車に改造したもので[55]、サハ165-7からの改造で登場した。塗分位置の変更(165系より橙色部分が天地に広い)と行先表示器の追加を除けば後述の401と同様外観は種車とほとんど変わらない。1200番台と同等の簡易リクライニングシートを装備している。座席の間隔と窓の間隔は合っていない[52]。
サロ110形であるにもかかわらず車掌室はないが、定員をオリジナルのサロ110形と合せたため、その分シートピッチは1,010 mmに拡大されている。定員60名。トイレ・洗面所付き。落成当初は静岡運転所配置だったが、国鉄時代の最後のダイヤ改正(昭和61年11月)で国府津電車区に転属した。1990年に廃車された。
サロ110-401
1985年3月のダイヤ改正で余剰となった165系グリーン車を113系グリーン車に改造したもので[55]、サロ165-130からの改造で登場した。定員48名。トイレ・洗面所付き。塗分位置(改造当初は塗分がサロ165形時代のままであった。ちなみに、サロ112形も当初は同様であった)の変更と行先表示器の追加、自車用の冷房電源用MGと回送運転台の撤去を除けば外観は種車とほとんど変わらない。
形態的には回送運転台用ライトの有無と2段式のユニット窓(165系時代に下降窓から改造)以外は前述のサロ112形と変わらないが、すでに廃形式であったため、サロ110形に編入された。1992年に廃車となった。改造時から廃車まで国府津電車区所属。
注釈
- ^ サロ110の特急形転用車及びサロ124・サロ125は20,500 mm。
- ^ 高速化改造車は110km/h。
- ^ サロ111以外のグリーン車は除く。
- ^ 0番台(0'番台除く)はCS12D、1000番台はCS12F。
- ^ サロ124・サロ125は4,070 mm。
- ^ 451系・471系では逆に長くなっている。
- ^ 京阪神快速のみならず、JR東海エリア(大垣駅)への直通運転に当てられることもあった。
- ^ クモハ451・471では両渡り構造だったのが、クモハ453では主電動機出力の向上と引き換えに片渡り構造に変更された。
- ^ 初期車にものちにシールドビームに交換された車両が存在するが、それらとは内側隣のタイフォンとの位置関係が若干異なっている。初期車は前照灯に対してタイフォンが斜め下に位置しているのに対し、0'番台では両者が同じ高さとなっている。
- ^ 0ダッシュ番台というのは非公式であり正式に使われたことのない俗称である。
- ^ クハ111-1311は、一時期広島・下関地区に転属して111系と組んで使用されたこともあったが、JR化前に関東に戻り、その後は房総地区ローカル運用で使用された。
- ^ ロングシート側は背もたれの最後部まで含めて計測した数値。ボックスシートが並ぶ車両と同様に背もたれ中央の部分までで計測した数値の場合、それぞれ1,400 mm・1,470 mmに相当する。
- ^ これらの車両は関西地区や国府津運転所(現在の国府津車両センター)からの転属によって手配されたため、1986年頃までは湘南色で運用された(後述の一部のサロ113も同様)
- ^ 0番台の非冷房車は1980年までに廃車になっている。また、900番台・1000番台は全車冷房改造されている。
- ^ そのままの状態で連結するとトイレと車掌室が6号車寄りになるため方向転換された車両は4号車から5号車に移動。
- ^ 京阪神地区で中間に入っていたクハ111は、1980年の京阪神地区のグリーン車廃止の際にサロをクハに置き換えたものであった。
- ^ 改造直前の1983年に大垣電車区から高槻電車区に転属した車両。
- ^ この見返りにモハ112/113-1058がサハ111-403、404に改造され国府津電車区に転属した。
- ^ JR東海の東海道本線全区間を走破する米原発熱海行という列車も、1999年12月ダイヤ改正まで存在した。
- ^ 身延線内トンネルに対応するにはパンタグラフをPS23・24に交換するだけでは規定の絶縁離隔に40 mm足りず、パンタグラフ台を20 mm背の低いものへの交換、更には当該部分の屋根自体を平にして20 mm低下させて合計40 mm下げる必要がある。国鉄115系電車#モハ114形2600番台参照。
- ^ 側面行先表示機を後付していた初期車は当該箇所の上段窓も既に固定しており、この部分については外観上二段窓のままであるが、全く開けることができない状態となった。
- ^ 福知山運転所(→福知山電車区)800番台の施工編成には、七尾線電化関連による編成組替に伴い冷房付電動車が組み込まれたものも存在していた。ただし冷房付電源車には編成内全車への給電が可能な冷房電源が備わっていなかったため「編成単位で非冷房」と同様の扱いとされた。
- ^ 同じく改造費用に制約の大きかった419系ですら行き先表示装置は新設されていた
- ^ 115系では2001年改造の1000番台ですでに採用。ただし、ヘッドライトの意匠が異なる。
- ^ ただし223系と違い、補助席は設置されていない。
- ^ 中間車は2015年6月5日付で廃車、先頭車は岡山電車区のB-10編成となって現在も運用されている。
- ^ 14両あるサハ111形のうち、サハ111-7013 - 7017・7019・7020・7022の8両に施工。このうち、7014と7016は2004年に、それ以外の6両は2007年にそれぞれ廃車となった。
- ^ この編成は40Nで施工された最後の体質改善編成でもある。
- ^ ATS-P非装備車がP導入済み線区に残置してあるSN地上子を用いて走行する営業運転は、2011年7月1日の鉄道に関する技術上の基準を定める省令の改正(禁止)以前であれば法的には問題がない。
- ^ 和歌山線での運用は2002年3月23日ダイヤ改正で終了。
- ^ ATS-P保安装置の必要性から阪和快速色のクハが、体質改善工事施工の観点から広島支所のMM'ユニットが使用され、両者が編成を組んだ。
- ^ クハ111-301+モハ112-21+モハ113-21+クハ111-32の4両。(先頭車は111系)
- ^ 平日・土曜朝の上り1本のみ。また、その送り込みとなる新見 - 上石見間下り1本、新郷 - 上石見間上り1本の回送がある。
- ^ 内訳は関西更新色:1編成4両、広島更新色:8編成32両、湘南色:5編成20両、瀬戸内色:3編成12両。
- ^ 転用に当たり6両編成は4両編成に短縮されたため、余剰MM'ユニットが発生した。
- ^ 先頭車2両は宮原所のMM'ユニットを組み込みP編成に編入。
- ^ 当初は軌条面上、1,750 mmと3,165 mmで塗り分けられていたが、軌条面上、1,900 mmと3,045 mmに変更された[242]。
- ^ 鷹取工場(のちに網干総合車両所へ移管)、後藤工場)などの例がある。
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- ^ “幸福の黄色い電車”山陽線・JR西の塗り替え第1号 - 山口新聞 2010年1月21日
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- ^ 岡山電車区B07編成が黄色一色に - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 鉄道ニュース 2012年5月30日
- ^ 福原俊一『111・113系物語』p.147
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