三・一運動
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参考文献
- 朴慶植『平凡社選書49 朝鮮三・一独立運動』平凡社、1976、ISBN B000J9DU8Q
- 李光植ほか編「3・1運動と大韓民国臨時政府の成立」『朝鮮韓国近現代史事典』第二版、日本評論社、2006、ISBN 4535584346
- 木原悦子『万歳事件を知っていますか』平凡社、1989、ISBN 4582823688
- 小笠原亮一『三・一独立運動と堤岩里(チェアムリ)事件』日本基督教団出版局、2000、ISBN 4818400246
- 姜徳相『朝鮮独立運動の群像―啓蒙運動から三・一運動へ』青木書店、1998、ISBN 4250980189
- 長田彰文『日本の朝鮮統治と国際関係―朝鮮独立運動とアメリカ 1910-1922』平凡社、2005、ISBN 4-582-45431-3
- 植村隆ほか「100年前のろうそくデモ 特集 3・1朝鮮独立運動」『 週刊金曜日』2019年2月22日(通巻1221)号:14-37。
関連項目
- 朝鮮の歴史
- 韓国併合
- 斎藤実
- 京城帝国大学
- 金亨稷(※北朝鮮が一方的に主張している「三・一独立運動」の首謀者)
- 永井叔 - 当時京城近くの竜山連隊に所属していた新米日本人兵士
- 道〜白磁の人〜
- 文化政治
- 龍井三・一三運動
外部リンク
注釈
出典
- ^ a b “3·1운동(三一運動)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年9月20日閲覧。
- ^ 韓国、日本からの独立運動記念日に国旗掲揚がはばかられる理由=韓国ネット「僕も今年はやめておく」「国旗を見てまず思い浮かぶのは…」 Record china:2017年2月28日 Archived 2017年4月2日, at the Wayback Machine.
- ^ “南北共同記念事業から光復節が抜けた理由…「建国」めぐる見解の違いのため(1) | Joongang Ilbo | 中央日報”. japanese.joins.com. 2018年11月2日閲覧。
- ^ 人文學報 第 92-95 号 p120
- ^ 民族代表33人、彼等については評価が分かれている。独立宣言発表後すぐに朝鮮総督府に自首し運動を積極的に牽引しなかったことについて、大衆に背を向けたとする説(山辺健太郎・姜徳相)と、彼等を再評価する説(朴慶植)とがある。
- ^ “【萬物相】三・一節の基本的な事実を知らない韓国人”. 朝鮮日報 (2019年3月1日). 2019年3月1日閲覧。
- ^ 朝鮮騒擾経過概要 国立公文書館 [1]レファレンスコード:A04017275800
- ^ 韓国の3・1運動記念館「暴動化しながら進んだ」
- ^ 『日韓共鳴二千年史』名越二荒之助 明成社
- ^ 朝鮮騒擾経過概要(3-6ページ) 国立公文書館 [2] レファレンスコード:A04017275800
- ^ “韓国の有名漫画家「3・1運動主導者は、日本の巡査よりも残酷非道」大反響=“親日派”論争が再燃(WoW!Korea)”. Yahoo!ニュース. 2021年3月2日閲覧。
- ^ 犠牲者数:この運動に伴う検挙者数・死傷者数に関しては今なお論争がある。朴殷植は事件発生当時上海に亡命しており、死傷者数は伝聞によるものであると本書中で断っているが、韓国の教科書や研究者にはこの犠牲者数を参照しているものが多い。一方、当時の朝鮮総督府の記録「朝鮮騒擾事件道別統計表」(3月1日-4月11日)によると357名が死亡し、負傷者は約802名とされている。ただこの集計は日本から増派された軍が配置され本格的な鎮圧(弾圧)が始まる前のものであること、「内外に対し極めて軽微なる問題となす」べきと総督府側自身がいうように、その発表された数は意図的に少なく抑えられているとする研究者もいる。その他の記録でも検挙者数・死傷者数について食い違いがある。たとえば、和田春樹・石坂浩一編『岩波小辞典 現代韓国・朝鮮』(岩波書店、2002年)では「朝鮮総督府の武力弾圧で約7,500人が死亡、4万6,000人が検挙された」とされている(106頁)。いずれにせよ、独立を唱える大規模な示威行動が朝鮮半島において展開され、その過程で暴徒と化した群集を朝鮮総督府が武力によって鎮圧(弾圧)する際、死傷者が出たことは確かである。
- ^ 防衛省防衛研究所 有田中尉に係る裁判宣告の件 レファレンスコード:C03022465000
- ^ 日本側対応の形容について:三一運動の弾圧については、たとえば「すさまじい弾圧」(朝鮮史研究会 編『朝鮮の歴史』三省堂、1974、215頁)や「民衆の蜂起と日本の弾圧」(姜徳相『呂運亨評伝1: 朝鮮三・一独立運動』新幹社、2002、165頁)、「激しい弾圧」(吉田光男 編著『韓国朝鮮の歴史と社会』放送大学振興会、2004、140頁)という表現を用いている。一方で、名越二荒之助『日韓2000年の真実』(国際企画)等をはじめ、日本の教科書[3]など、「鎮圧」という表現を用いているものもある。
- ^ 司法的結末:「万歳騒擾事件一」(友邦協会編纂)
- ^ 防衛省防衛研究所 有田中尉に係る裁判宣告の件 レファレンスコード:C03022465000 (0144ページ)
- ^ 趙聖九『朝鮮民族運動と副島道正』P218~224
- ^ 宮田節子「三・一運動について」(『歴史と地理』522号、1999)、pp11-15
- ^ 姜東鎮『日本の朝鮮支配政策史研究』P396~397
- ^ 姜東鎮/同書P402
- ^ 呉善花「日韓併合への道 完全版」文春新書、2012年7月、236頁。
- ^ “コトバンク「世界大百科事典」”. 2021年5月27日閲覧。
- ^ 『金日成回顧録』に記された「3.1人民蜂起」 – 朝鮮学校のある風景 一粒出版
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