憲兵警察制度の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:40 UTC 版)
「日本統治時代の朝鮮」の記事における「憲兵警察制度の廃止」の解説
1919年(大正8年)8月、警務総監部を廃止し、警務局を置く。地方の道に警察権を移譲し、道庁に警察部を置いた。三・一運動前後から「武断統治」と批判のあった憲兵警察制度は廃止された。これにより日本の警察制度としては異例の形態(普通警察と憲兵警察の併存状態)は解消された。 警察組織や道知事職は三・一運動後人気が高まり、例えば1922年の巡査職の競争率は約2.1倍水準だったが、文化統治が本格化した1920年代中盤以後は競争率が10倍を上回った。
※この「憲兵警察制度の廃止」の解説は、「日本統治時代の朝鮮」の解説の一部です。
「憲兵警察制度の廃止」を含む「日本統治時代の朝鮮」の記事については、「日本統治時代の朝鮮」の概要を参照ください。
- 憲兵警察制度の廃止のページへのリンク