憲兵隊の集結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:38 UTC 版)
1942年2月10日、シンガポール島に入った第25軍司令部は、第2野戦憲兵隊に、分隊の各師団配属を解いて集結させるよう命令し、同月13日には、一部補助憲兵を憲兵隊に配属し、憲兵に戦闘地域を付与した。このとき、既に軍司令部はシンガポール占領後の華僑粛清を予期していたとみられている。命令を受けて、第2野戦憲兵隊・大石隊長は、同日、分隊を下記のとおり編成した。 左翼隊(横田隊、隊長・横田昌隆中佐)水野隊(隊長・水野銈治少佐) 合志隊(隊長・合志幸祐中尉) 大西隊(隊長・大西覚中尉) 右翼隊(城隊、隊長・城朝龍少佐)上園隊(隊長・上園美治大尉) 久松隊(隊長・久松晴治中尉) 左翼隊は13日、右翼隊は翌14日にブキテマ三叉路付近に進出したが、いずれも英軍の砲撃を受けてそれぞれ退避、参謀部からの指示でマンダイ山(英語版)付近で敗残兵、敵性分子等の検索を行った
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