ニヌルタ 神話

ニヌルタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 06:28 UTC 版)

神話

ルガル・エ

メソポタミアの神々の中で、ニヌルタは恐らく女神イナンナ(イシュタル)に次いで多くの神話に登場する[23]。シュメルの詩『ルガル・エ(Lugal-e)』(『ニヌルタの偉業〈Ninurta's Exploits〉』とも)の中では、アサグという名の病を引き起こし川を毒で冒す悪魔がいた[14]が、ニヌルタは石の戦士たちに守られたアサグと対決し[8][6][24]、アサグとその軍隊を打ち取った[8][6][24]。その後、ニヌルタは世界を整理し[8][6]、彼が倒した石の戦士たちから得た石を使って山を作り、灌漑と農業に適するよう、全てのせせらぎ、湖、川がティグリス川ユーフラテス川に注ぐようにした[8][14]。ニヌルタの母ニンフルサグは彼の勝利を祝うべく天界から下った[14]。ニヌルタはこの時つくった石の山を母神に捧げ、この女神の名をニンフルサグ(山の淑女)と改めた[14]。最後に、ニヌルタは居所たるニップルへと戻り、そこで英雄として称えられた[6]

この神話はニヌルタの、戦士の神としての役割と農耕の神としての役割を組み合わせている[8]。タイトルの『ルガル・エ』は「おお、王よ!」を意味し、シュメル語のオリジナルの冒頭部のフレーズから採られている[6]。なお、『ニヌルタの偉業』は、学者たちによって名付けられた現代のタイトルである[6]。やがてシュメル語が死語と化し理解し難いものとなった後、この詩はアッカド語に翻訳された[6]

『ルガル・エ』と同種の作品が『アンギム・ディンマ(Angim dimma)』(『ニヌルタのニップルへの帰還〈Ninurta's Return to Nippur〉』とも)である[6]。この作品は、アサグを殺した後のニヌルタのニップルへの帰還について描写している[6]。この作品は大部分が賛美で構成されており、物語の部分は少ない。堂々たるニヌルタについて述べ、彼をアン神に例えている[25][6]。『アンギム・ディンマ』はウル第3王朝時代(前2112年頃-前2004年頃)または古バビロニア時代(前1830年頃-前1531年頃)初頭にシュメル語で原作が書かれたと考えられているが[26]、現存する最古のテキストは古バビロニア時代のものである[26]。より後の時代の写本が数多く残存している[26]。この作品は中バビロニア時代(前1600年頃-前1155年頃)にアッカド語に翻訳された[6][26]

アンズーの神話

雷を携えたニヌルタがエンリルの聖域から天命の書板英語版を盗み出したアンズーを追う(オースティン・ヘンリー・レヤード、『Monuments of Nineveh』2nd Series、1853年

ニヌルタはエンリル神から主神権を司る天命の書板英語版を盗み出した怪鳥アンズー(ズー)を退治した神として知られている。この話の顛末は次のようなものである。

[アダドは腰]をかがめ、指示を受け取った。彼は作戦命令を彼の主人ニヌルタにもたらした。エアが行ったこと[をのこら]ず彼に繰り返した。「戦いに[倦むな。勝利]をかちとれ。彼を疲れさせ、烈風を[集中して(?)]彼の翼を吹き飛ばせ。お前の投げ矢の端に装具をとりつけ、(それで)[彼の]手羽を[断]ち切り、左右ともうち払え。[彼はおのれの]つばさを[観て]、口を閉じ忘[れる]ように。『[儂のつばさ、]儂のつばさ』と」「彼は叫び声をあげるだろう]。もう彼を[恐れる必要はない]。おまえは(弓を)引け。おまえの[相手にむかっ]て葦の矢は[稲妻のように]飛んで行くがいい。羽と翼は蝶[のように]ひらひらと舞い落ちるがいい。ズーを[生け]捕りにしろ。風が彼の[翼]をどこか分からないところへ、[神殿エ・]クルへ、お前の父エン[リル]の[もと]へ運びさるように。山々(と)[そのあいだにある平地]に濁[流を溢れさせろ]。[悪者、ズーの喉を断ち切れ]。[王権がエ・クルへまたもどってくるように]。[おまえをもうけた父のもとへ]権能が[帰ってくるように]...」。
-ズー(アンズー)の神話[27]

アンズーは、バビロニアの神話においてエンリル神から聖域エ・クル神殿の守護を任じられた怪鳥である[28][29][30]。しかし、エンリル神の主神権の行使、支配者の冠、神の衣を目の当たりにしていたアンズーは、エンリルの主神権を自らのものとする野心に駆られ、エンリルが清浄な水で沐浴している最中に天命の書板を盗み出した[27][31][32][3]。これはエンリル神に主神権を与えている聖なる粘土板であった[28][33]。このため、まつりごとは滞り、神々は途方に暮れることとなった[27]

諸国の神々が集まって対策を協議し、アンズーの討伐を行う者を選定したが、推薦されたアダド神、イナンナ(イシュタル)神、シャラ英語版神はいずれも天命の書板の力を恐れて討伐を拒否した。そして最終的にエンキ(エア)神が討伐担当者を見つけ出すことになり、彼はニヌルタ(ニンギルス)を推挙することを決めた。ニヌルタに同意させるため、エンキは彼の母を称えて味方につけ、母の言いつけを受けたニヌルタは、アンズー討伐のために出陣した[27][30][34]

ニヌルタとアンズーは山の中で遭遇し戦いを始めた。ニヌルタはアンズーに葦の矢を放ったが、天命の書板の力によって矢は分解され、矢を作っていた葦は元の茂みに、弓の弦は元の森に、弦は元の獣に、そして矢羽根は元の鳥へと戻った[27][35][6]。ニヌルタが苦戦しているのを見たアダドが戦況をエンキに報告すると、エンキはアダドに対してニヌルタへの助言を伝えるよう命じた。ニヌルタはこの助言に従い、烈風を用いてアンズーの翼を断ち切った[27]

そしてダガン神が神々の集会でニヌルタの勝利を告げ[34]、褒章としてニヌルタは神々の集会への参加を認められた[27][34][30][12]。エンリルはビルドゥ英語版神をニヌルタのもとに使者として送り、天命の書版を返却するよう求めた[36]。ニヌルタのビルドゥに対する返答は断片的にしか残されていないが、当初彼は返却を拒否した可能性がある[37]。しかし、最終的にはニヌルタは天命の書版を父たるエンリルに返却した[30][38][3][6]。この物語はアッシリアの王宮の学者たちの間で特に人気があった[6]

UET 6/1 2に記録されている『ニヌルタと亀(Ninurta and the Turtle)』の神話は、元来は非常に長い文学作品の断片である[39]。この物語の中ではアンズーを破った後、ニヌルタがエリドゥ市でエンキ神に称えられている[39]。しかし、エンキは彼の野望を感じ取って巨大な亀を創り、それをニヌルタの背後に放ってその足首に噛みつかせた[39][40]。戦いの中で、亀はその爪で穴を掘り、ニヌルタと亀はその穴へと落ちていった[39][40]。そしてエンキはニヌルタの敗北に満足した[39][40]。この物語の結末は失われている[41]。判読可能な最後の部分には、ニヌルタの母ニンマフの嘆きについて書かれており、彼女は息子ニヌルタの代わりを見つけ出すことを考えているように思われる[39]。チャールズ・ペングレイス(Charles Penglase)によれば、この物語ではエンキ神は明らかに英雄として描かれており、自身の下に権力を獲得しようとしたニヌルタ神の計画の阻止に成功したことは、エンキの至高の叡智と狡猾さを証明することが意図されている[39]

その他の神話

前3200年頃のものと思われるシュメルの円筒印象。1人のエンシ英語版とその侍祭が聖獣の群れ(a sacred herd[訳語疑問点])に餌をやっている。ニヌルタは農耕の神であり、「シュメルの『農事歳時記(Georgica)』」として知られる詩では、農業について詳細な助言を下している。

『ニヌルタのエリドゥへの旅(Ninurta's Journey to Eridu[訳語疑問点])』において、ニヌルタはニップル市のエ・クル英語版神殿を去り、名前不詳の案内人に連れられてエリドゥ市のアプスーへと旅をしている[42]。エリドゥ市でニヌルタはアン神とエンキ神と共に集会に出席し[34]、エンキ神が彼に生涯にわたる[訳語疑問点]メ(神力)」を与えた[43]。この詩はニヌルタのニップル市への帰還で終わっている[43]。恐らくこの物語は、ニヌルタの神像が、ある都市から別の都市へと運ばれるという「旅」を取り扱っており、登場する「案内人」はこの神像の運搬者であろう[34]。また、この物語は、別のシュメル神話の『イナンナとエンキ(Inanna and Enki[訳語疑問点])』に極めてよく似ている。この物語では女神イナンナがエリドゥへと旅し、エンキ神から「メス(mes)」を受け取る[10]。前1700年-前1500年の間のいずれかの時点で書かれたシュメルの『農事歳時記(Georgica)』として知られるある詩では、ニヌルタは農業に関わる諸問題について、どのように作物を植え、世話をし、収穫するか、どのように畑の作付け準備をするか、さらにはどのように鳥害を防ぐかといった[3]詳細なアドバイスを与えている[3][44]。この詩は年間を通じた農地における生活のほとんどあらゆる側面をカバーしている[3]

『殺された勇士たち(Slain Heroes[訳語疑問点])』の神話は多くの文書で触れられているが、完全なものは残されていない[3]。この神話の中で、ニヌルタは様々な敵と戦っている[45]。ブラックとグリーンはこれらの敵を「奇態でマイナーな神々(bizarre minor deities[訳語疑問点])」と表現している[4]。この中には6つの頭を持った野羊(six-headed Wild Ram)、ヤシの木の王(Palm Tree King)、人魚(または半魚人)クリアンナ英語版などがいる[12]。これらの敵の一部は死者の魂を冥界に運ぶマギルム船(the Magillum Boat)や貴重な金属を表象する「強き銅(strong copper)」のような無生物である[4]。一連の試練と勝利を扱ったこの物語は、ギリシア神話のヘーラクレースの12の功業英語版の起源であるかもしれない[12]


注釈

  1. ^ アラム語: ܢܝܼܫܪܵܟ݂‎、ギリシア語: Νεσεραχラテン語: Nesrochヘブライ語: נִסְרֹךְ

出典

  1. ^ a b c オリエント事典, pp.383-384. 「ニヌルタ」の項目より。
  2. ^ a b A Day in the Life of God (Paperback bw 5th Ed). ISBN 9780615241944. https://books.google.com/books?id=isvD-OsZzgkC&q=kronos 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Black & Green 1992, p. 142.
  4. ^ a b c d Black & Green 1992, p. 138.
  5. ^ Petrovich 2013, p. 273.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb Robson 2015.
  7. ^ a b Penglase 1994, p. 42.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Black & Green 1992, p. 143.
  9. ^ a b c d Lewis 2016.
  10. ^ a b Penglase 1994, p. 43.
  11. ^ Black & Green 1992, pp. 142–143.
  12. ^ a b c d e f g h i j k van der Toorn, Becking & van der Horst 1999, p. 628.
  13. ^ Kasak & Veede 2001, pp. 25–26.
  14. ^ a b c d e Holland 2009, p. 117.
  15. ^ Penglase 1994, p. 100.
  16. ^ a b Black & Green 1992, p. 101.
  17. ^ a b c d Black & Green 1992, p. 39.
  18. ^ Jacobsen 1946, pp. 128–152.
  19. ^ Kramer 1961, pp. 44–45.
  20. ^ Black, Cunningham & Robson 2006, p. 106.
  21. ^ Black & Green 1992, p. 108.
  22. ^ Leick 1998, p. 88.
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  26. ^ a b c d Penglase 1994, p. 55.
  27. ^ a b c d e f g ズーの神話
  28. ^ a b ズーの神話」、解説より
  29. ^ Penglase 1994, p. 52.
  30. ^ a b c d Leick 1998, p. 10.
  31. ^ Penglase 1994, pp. 52–53.
  32. ^ Leick 1998, pp. 9–10.
  33. ^ Black & Green 1992, p. 173.
  34. ^ a b c d e Penglase 1994, p. 53.
  35. ^ Penglase 1994, p. 45.
  36. ^ Penglase 1994, pp. 53–54.
  37. ^ Penglase 1994, p. 54.
  38. ^ Penglase 1994, pp. 46, 54.
  39. ^ a b c d e f g Penglase 1994, p. 61.
  40. ^ a b c Black & Green 1992, p. 179.
  41. ^ Penglase 1994, pp. 43–44, 61.
  42. ^ Penglase 1994, pp. 52–53, 62.
  43. ^ a b Penglase 1994, p. 53, 63.
  44. ^ a b c d van der Toorn, Becking & van der Horst 1999, p. 627.
  45. ^ Black & Green 1992, pp. 138, 142.
  46. ^ Metzger & Coogan 1993, p. 218.
  47. ^ a b c d Wiseman 1979, p. 337.
  48. ^ a b c d Wildberger 2002, p. 405.
  49. ^ van der Toorn, Becking & van der Horst 1999, pp. 627–629.
  50. ^ a b Gallagher 1999, p. 252.
  51. ^ a b c d e f van der Toorn, Becking & van der Horst 1999, p. 629.
  52. ^ Ripley & Dana 1883, pp. 794–795.
  53. ^ a b c d Milton & Flannagan 1998, p. 521.
  54. ^ Bunson 1996, p. 199.
  55. ^ March 2020, Owen Jarus-Live Science Contributor 30 (2020年3月30日). “Ancient cultic area for warrior-god uncovered in Iraq” (英語). livescience.com. 2020年8月31日閲覧。
  56. ^ Gavin (2020年4月11日). “Ancient cultic area for warrior-god uncovered in Iraq” (英語). Most Interesting Things. 2020年8月31日閲覧。






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