貿易ルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
詳細は「交易路」を参照 シルクロードは、アジアとヨーロッパ、北アフリカを結ぶ東西交通路であり、主なルートは草原、オアシス、海路の3つがある。草原の道は、ユーラシアのステップ地方を北緯50度付近で東西に横断するルートで、主に遊牧民が利用した。オアシスの道は、中央アジアのオアシス群を北緯40度付近で東西に横断するルートで、ソグド人、ペルシア人、ウイグル人が利用した。海上ルートは紅海またはペルシア湾から華南まで伸び、海のシルクロードとも呼ばれる。中国人、東南アジア人、ペルシア人、アラブ人、ヨーロッパ人が利用した。 インド洋は東のベンガル湾交易圏と、西のアラビア海交易圏に大きく分かれる。この海域ではアラブのダウ船が中心となった。東南アジアはジャワ海とシャム湾があり、香料諸島が属している。この海域ではマレー人のプラウ船(英語版)が中心となった。北東アジアからオーストラリア東南部にかけての海域は、複数の交易圏がつながっている。東シナ海交易圏と南シナ海交易圏では、中国のジャンク船が中心となった。 15世紀から17世紀にかけて、アフリカ周回でインド洋へつながるルート、大西洋を横断するルート、太平洋を横断するルートが確立した。この時代は特に大航海時代とも呼ばれる。19世紀には地中海と紅海をつなぐスエズ運河と、太平洋とカリブ海をつなぐパナマ運河が建設され、さらに貿易を増大させた。 大幹道と呼ばれるインドを横断するルートは、アジアで最も古くから利用されている道とされる。ヨーロッパを南北に横断する道としては、琥珀の交易に用いられたことから琥珀の道と呼ばれるルートがある。古代ローマの領土では道路網が整備されてローマ街道と呼ばれ、交易にも利用された。イスラーム以降はマッカへの公式巡礼路としてエジプト道、シリア道、イラク道、イエメン道の4街道でキャラバンが往来した。
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