鷲の巣街道の古城と歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 19:13 UTC 版)
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鷲の巣街道の古城(ポーランド語Orle Gniazda)の多くは景観の良い廃城であり、チェンストホーヴァから古都クラクフまでの間の周囲で最も高い岩壁の高所にある。これらの城のほとんどは14世紀まで遡るもので、当時の王国首都クラクフのほか主要な貿易ルートを外国の侵略者から守る目的で建てられた。その後それぞれの城はポーランド貴族たちの私有となっていった。 この城の建てられた一帯を含むシレジア地方では14世紀当時、ポーランド王国とボヘミア王国が領有権を巡って長年にわたって激しく争っていた。カジミェシュ3世大王はポーランド王に即位すると、(当時すでにボヘミア王国を領有していた)神聖ローマ帝国の皇帝カール4世と休戦協定を締結し、「朕は王としてシレジアの係争地域を永久に要求しない」としてこの地一帯の帰属問題を一旦棚上げにした。この休戦協定によりボヘミア王国はシレジア地方の多くの地域を実効支配することとなった。このときカジミェシュ3世はポーランド王国の主要都市と貿易ルートを守るための軍事上の防衛ラインを築くことにした。そこでその防衛ラインに建てられたのがこの街道上の各地の城である。
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