Testor "F-19 Stealth Fighter"
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「F-19」の記事における「Testor "F-19 Stealth Fighter"」の解説
巷での“ステルス戦闘機 F-19”という存在に多大な影響を与えたものとして、アメリカ合衆国イリノイ州に本拠をおく模型メーカー、テスター(Testor)社(英語版)が1985年に同社のデザイナーによって創作して模型化し、1986年に発表・発売したプラスチック製スケールモデルキット、『F-19 Stealth Fighter』の存在が挙げられる。 設計を担当したテスター社のデザイナー、 ジョン・アンドリュース(John Andrews)は“アメリカが極秘開発中のステルス戦闘機”について推測されている各種の情報を元に「ステルス戦闘機 - 実際の任務としては攻撃機 - としてはこのような要求性能が求められ、それを実現するにはこのようなデザインとなるだろう」として外形や性能を推測・考察し、SR-71やD-21無人偵察機といった既存の“レーダーで捉えにくいとされている”軍用機を念頭においてデザインを行ったとメディアの取材に答えている。なお、“レーダーに捉えられにくい”と考えうる外形のデザインには、一般に販売されている書籍である『Radar Cross-Section Handbook(レーダー断面積ハンドブック)』の内容を参考にしたという。 こうしてアンドリュースの手によって誕生した“ステルス戦闘機”は、緩やかな曲線で構成された無尾翼デルタ形の機体形状に、内側に大きく傾斜した双垂直尾翼とキャノピー横の機体上面に斜めに突出したカナード翼があり、機内収容の兵装、スリット状の開口部を持つNACAダクト形状のエンジン給気口と外部にノズルが露出していない扁平な排気口など、当時想像されていたステルス機のデザインに則りつつもオリジナルの要素を数多く加えたものであった。モデルのデザインは1985年の夏には完成し、この“アメリカが極秘開発中のステルス戦闘機”のプラモデルには、同年11月25日に発刊された『ニューズウィーク(Newsweek)』の記事を裏付けとして『F-19 Stealth Fighter』の商品名がつけられることになった。 「独自の情報源から得た図面をモデル化した」という触れ込みで発売されたこのモデルは、当初は大した注目を集めず、1986年の1月にシカゴで開かれた模型見本市でテスター社のブースに出展された際も取材に訪れたメディアはさして興味を示さなかったという。しかし、テスター社の地道な広報活動により徐々にメディアに採り上げられるようになり、同年7月11日にカリフォルニア州シエラネバダ山脈山麓の国有地(セコイア国有森林;Sequoia National Forest(英語版))で発生した空軍機の墜落事故に関し、軍が不可解な行動を示した上に事故に関して報道機関に提供する情報を極端に制限した、という一件に関して「この際に墜落した機体が噂の"F-19"なのではないか?」と世間の注目が集まり、ステルス機に関する憶測が飛び交う中でこのプラモデルが俄然メディアの注目を浴びることになった。マスメディア各社はアメリカ国防総省にモデルの形状に関するコメントを求めたが、同省報道官は「航空知識を持つ者ならば想像できる範囲の形状だ」としか回答せず、明確な否定をしなかった。この回答はステルス機に対する関心が高まっていた当時の世相においては“ステルス機の存在とモデルの形状の実在性を肯定した”と受け止められ、格好の宣伝材料となった。 これによって更に“軍が極秘開発中のステルス戦闘機”への注目が集まったことにより、テスター社のプラモデルは連日アメリカのマスメディアに登場することになり、下院議員のロン・ワイデン(Ron Wyden)(英語版)は「なぜ最重要機密であるはずの極秘開発中の軍用機の情報が、民間のそれも模型メーカーに流出しているのか」と関係者を追及、「ロッキード社の機密保持体制には大きな問題がある」とされたこともあり、1986年夏には公聴会が開かれる事態となった。ロッキード社でステルス戦闘機の開発を行っていた時期にその担当チームである“スカンクワークス”の責任者だったベン・リッチ(Ben Rich)(英語版)は後に自著の中で「このインチキ模型と社内の内紛のせいで、会社の機密保持に問題があるとした公聴会に呼び出されそうになった」と記述している。最終的には公聴会へのリッチ本人の出席は免れたものの、当時のロッキード社の社長が出席して釈明する顛末となった。 こうしてアメリカのみならず全世界の注目を集めた『F-19 Stealth Fighter』は1986年のアメリカでのクリスマス商戦の目玉商品となり、アメリカ以外でも世界各国でベストセラー商品となった。この結果、発売年だけでも70万個の出荷数を記録し、「アメリカ合衆国で最も売れたプラモデル」の記録を更新している。 このように"F-19"に対する注目が集まったことは、より多くの情報がメディアに取り上げられるということでもあった。掲載される推測の中にはある程度真相に迫ったものもあり、1986年8月22日付のワシントン・ポスト紙には"F-19"部隊の運用規模や開発計画の予算規模といった情報の他に、「実際の制式番号は"F-19"ではない」とも掲載されており、“ステルス航空機”に関する理論や機体形状についてもほぼ正しい解説がなされていた。
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