RS500R
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 04:03 UTC 版)
RS500Rは、HRC(ホンダレーシングコーポレーション)製の市販ロードレーサーで、1983年に発売された。前年に発表されたホンダ・NS500の量産モデルであり、両車の間には共通点が多かった。排気量498.6 ccの2サイクル水冷V型3気筒(前1、後2気筒)が搭載された。基本価格は@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}TZ500、RGB500が300万円程度であった当時に500万円と高額であった[要出典]が、前年度のNS500よりも若干落ちる程度の高いパフォーマンスを発揮すること、若手ライダー(例:ワイン・ガードナー)を中心にNS500の格落ちエンジンや部品が供給されたことから、多くのライダーが選択した[独自研究?]。 セッティングの幅が広く様々な味付けが可能なマシンでもあった。ライディングポジションやギヤシフトのパターンだけでなく、パワー特性、ハンドリング等の基本的な部分にマシン一台一台の個性が強く出ていた。それまでの市販レーサー、例えばヤマハTZ350、250、500、ドゥカティ750、スズキRG500、RGB500などはどのライダーが乗ってもほぼ同じ特徴を示していたが、RS500はセッティングの自由度が比較にならない程広かった。例としてはスタンダード仕様でフロントホイールが16インチ、リヤが18インチ(または16インチ)だが、前後18インチホイールに換装したりフレームをニコバッカ製やシュバリエ製等に換装するケースもある。またエンジンを高度にチューンしワークスホンダに迫るスピードを発揮したチームもあった[独自研究?]。ロスマンズホンダチームのRS500エンジンはベンチ計測においてワークスNS500のエンジンパワーを凌いでいたと言われている[要出典]。 1983年シーズンは前述のロッシュ以外にもユーゴスラビアGPでプライベートライダーとしてRS500を駆るイタリアのジョヴァンニ・ペラティエがワークスNS500を駆るマルコ・ルッキネリをコンマ3秒差で抑え、8位に入賞した。また、デイブ・ピーターセン(南アフリカ)、ブット・バン・ドルメン(オランダ)、ファビオ・ビリオッティ(イタリア)、グスタフ・ライナーde:Gustav_Reiner(ドイツ)、ピエール・エティエンヌ・サミン(フランス)らによって上位入賞することも多数あった。1984年シーズンの世界GPではワイン・ガードナーや後にレイモント・ロッシュが表彰台に上がった。 一方、ホンダは翌1984年には4気筒モデルのワークスマシン、NSR500の開発に着手し、1986年頃には市販ロードレーサーであるRS500Rを使用するプライベートチームでは好成績を収めることができなくなった。しかしながら、NSR500を基にした市販車両や、他のメーカーの同クラス車両は市販されず、プライベートチームは部品をやりくりしながらRS500Rを使用し続けていた。そんな中、1988年に五百部徳雄(現I.ファクトリー代表)が、ワークスマシンが数多く参加する全日本ロードレース選手権500 ccクラスで1勝した。日本国内では、1990年に松本憲明が使用したのが最後であった。 実質的な後継車両として、1997年より市販が開始されたNSR500Vがある。
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