Queen II Tour
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Queen II Tour | ||||
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クイーン の コンサート・ツアー | ||||
関連アルバム | クイーンII | |||
初日 | 1974年3月1日 | |||
最終日 | 1974年5月11日 | |||
行程 | 1 | |||
公演数 | ヨーロッパ22 北米19 合計41公演 |
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クイーン ツアー 年表 | ||||
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Queen II Tourは、イギリスのロックバンド、クイーンが行ったコンサート・ツアー。
概要
このツアーは、アルバム『クイーンII』リリースに伴って1974年の3月から5月に行われたもので、41公演が行われた。
英国ツアーの後バンドはモット・ザ・フープルのオープニングアクトとしてバンド初の北米ツアーを行ったが、ツアーの途中でブライアン・メイが肝炎を発症したためにそれ以降の公演はキャンセルとなり[1]、代わりにカンサスがオープニングアクトを務めた[2]。
3月31日のロンドン、レインボー・シアター公演はプロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーによって録音され、2014年に「ライヴ・アット・ザ・レインボー‘74」として同年11月にレインボー・シアターで行われたライブの音源とともにリリースされた[3]。また、この日の公演の「サン・アンド・ドーター」と「モダン・タイムズ・ロックン・ロール」の映像が残っており、これはクイーンの最古のライブ映像である。
セットリスト
これは1974年5月7日にアメリカ合衆国のニューヨークで行われたライブのセットリストであり、ツアー期間中の全てのセットリストを表すものではない。
- プロセッション
- 父より子へ
- オウガ・バトル
- サン・アンド・ドーター
- ライアー
- 炎のロックンロール
- モダン・タイムス・ロックン・ロール
- ビッグ・スペンダー
- 監獄ロック
- まぬけなキューピッド
- ビー・バップ・ア・ルーラ
上記以外に演奏された曲
- ホワイト・クイーン[4]
- グレイト・キング・ラット[4]
- フェアリー・フェラーの神技[4]
- 輝ける7つの海[4]
- バマ・ラマ・バマ・ルー[4]
- シー・ホワット・ア・フール・アイヴ・ビーン[4]
- マッド・ザ・スワイン[5]
ツアー日程
日付 | 都市 | 国 | 会場 |
---|---|---|---|
1974年3月1日 | ブラックプール | ![]() |
エンプレス・ボールルーム |
1974年3月2日 | アイルズベリー | フライアーズ・アリスバーリー | |
1974年3月3日 | プリマス | プリマス・ギルドホール | |
1974年3月4日 | ペイントン | ペイントン・フェスティバル・ホール | |
1974年3月8日 | サンダーランド | ロカルノ・ボールルーム | |
1974年3月9日 | ケンブリッジ | ケンブリッジ・コーン・エクスチェンジ | |
1974年3月10日 | クロイドン | ザ・グレイハウンド | |
1974年3月12日 | ロンドン | ダゲナム・ラウンドハウス | |
1974年3月14日 | チェルトナム | チェルトナム市庁舎 | |
1974年3月15日 | グラスゴー | ![]() |
グラスゴー大学 |
1974年3月16日 | スターリング | スターリング大学 | |
1974年3月19日 | クリーソープス | ![]() |
ウィンター・ガーデンズ |
1974年3月20日 | マンチェスター | マンチェスター大学 | |
1974年3月22日 | キャンベイ島 | ザ・パドックス | |
1974年3月23日 | クローマー | ロイヤル・リンクス・パビリオン | |
1974年3月24日 | コルチェスター | ウッズ・レジャー・センター | |
1974年3月26日 | ダグラス | ![]() |
パレス・リド |
1974年3月28日 | アベリストウィス | ![]() |
ザ・グランド・ホール |
1974年3月29日 | ペンザンス | ![]() |
ペンザンス・ガーデンズ |
1974年3月30日 | トーントン | カウンティ・ボールルーム | |
1974年3月31日 | ロンドン | レインボー・シアター | |
1974年4月1日 | バーミンガム | バーバレラズ | |
北米 | |||
1974年4月16日 | デンバー | ![]() |
レジス大学 |
1974年4月17日 | カンザスシティ | メモリアル・ホール | |
1974年4月18日 | セントルイス | キール・オーディトリアム | |
1974年4月19日 | オクラホマシティ | ステート・フェア・アリーナ | |
1974年4月20日 | メンフィス | ミッド=サウス・コロシアム | |
1974年4月21日 | シャルメット | セントバーナード・シビック・オーディトリアム | |
1974年4月26日 | ボストン | オルフェウム・シアター | |
1974年4月27日 | プロビデンス | パレス・コンサート・シアター | |
1974年4月28日 | ポートランド | エクスポジション・ホール | |
1974年5月1日 | ハリスバーグ | ステイト・ファーム・アリーナ | |
1974年5月2日 | アレンタウン | アグリカルチュラル・ホール | |
1974年5月3日 | ウィルクスバリ | キングス大学 | |
1974年5月4日 | ウォーターベリー | パレス・シアター | |
1974年5月7日 | ニューヨーク | ウリス・シアター | |
1974年5月8日 | |||
1974年5月9日 | |||
1974年5月10日[注 1] | |||
1974年5月11日 |
担当
- フレディ・マーキュリー - リードボーカル、ピアノ、タンバリン
- ブライアン・メイ - エレクトリック・ギター、コーラス
- ロジャー・テイラー - ドラムス、コーラス
- ジョン・ディーコン - ベース・ギター
脚注
注釈
- ^ 1日2公演
出典
- ^ “Queen live on tour: Queen II”. QueenConcerts. 2020年7月27日閲覧。
- ^ “Queen Live New York USA 74 05 11”. queenlive.ca. 2020年10月26日閲覧。
- ^ “ライヴ・アット・ザ・レインボー ‘74 (スーパー・デラックス・ボックス)”. ユニバーサルミュージック. 2020年10月25日閲覧。
- ^ a b c d e f “Queen Live London UK 74 03 31”. queenlive.ca. 2020年12月18日閲覧。
- ^ “Queen Live Memphis USA 74 04 20”. queenlive.ca. 2020年12月18日閲覧。
「Queen II Tour」の例文・使い方・用例・文例
- 仮定法, 叙想法, 仮定法の動詞 《たとえば God save the Queen! の save》.
- フェーズIとフェーズIIで許容副作用を伴い効果的であることが示される治療あるいは薬品の大規模な臨床試験
- 1228年から1229年までの十字軍は、病気になった神聖ローマ帝国皇帝フレディリックIIで導いて、法王によって破門されました
- 330,000人の連合軍隊が敵火の下で絶望的な退却において、北フランスの浜辺から避難しなければならなかった世界大戦IIの陸海空共同の避難(1940年)
- 腎臓にアンジオテンシンIIができるのを阻止し、動脈を弛緩してくれる抗高血圧薬
- アンジオテンシンIIへのさきがけであるアンジオテンシンの生理学的に不活発な形態
- 高血圧を治療するのに用いられるアンギオテンシンII抑制剤
- ASCII文字セットは最も一般的に用いられている文字セットである
- 王を補足したと考えられるI歴代志とII歴代志の旧約聖書の旧名
- ウルガタ聖書(IIエスドラス書を除いて)に含まれるが、ユダヤやプロテスタント版の聖書では省略される旧約聖書の14冊
- I歴代志、II歴代志、エズラ、およびネヘマイアからの編集から成る外典
- フレディリック神聖ローマ帝国皇帝IIを破門して、聖地に対して新しい十字軍を計画していた1245年の西方教会の協議会
- キャサリンIIの愛人であり、1762年に彼女が権力を握る支援を行ったロシアの役員で政治家
- 遺伝的に第VIII因子が欠乏するために生じる血友病
- アンギオテンシンIをアンギオテンシンIIに変えるタンパク質分解酵素
- 血液凝固において、トロンビンは第XIII因子をフィブリンが分解しにくい凝血塊の形成を引き起こす(フィブリナーゼ)活性型に触媒する
- パーシングIIというミサイル
- SALTII条約という2国間軍縮条約
- SALTII条約という2国間軍縮条約の内容
- 宇宙開発事業団と航空宇宙技術研究所は,2004年にH-IIAロケットでHOPE-Xを打ち上げる計画をしていた。
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