NSFの関与
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PLATO III までは陸海空の軍の基金からの少ない出資でまかなわれていたが、PLATO III が運営開始すると誰もが規模拡大に意味があると確信するようになった。1967年、アメリカ国立科学財団 (NSF) はそれなりの出資を約束し、ビッツァーは大学内に Computer-based Education Research Laboratory (CERL) を創設することになった。 1972年、新システム PLATO IV が運営可能となった。PLATO IV の端末は重要な技術革新である。ビッツァーが発明したオレンジ色のプラズマディスプレイを採用し、メモリー性とビットマップグラフィックスを両立させている。このプラズマディスプレイはベクター描画が高速で、1260ボーで1秒間に60本の線か180文字を描画できる。ビットマップとしては512×512ピクセルで、文字や線の描画はハードウェアの論理回路で行う。ビットマップグラフィックスで自前の文字も表示できる。プログラム制御でマイクロフィルムをスクリーンに投影できる。PLATO IV 端末には16×16の赤外線タッチパネル機能があり、画面に表示された選択肢に学生が指でタッチして答えることができる。 端末に周辺機器を接続することもできる。例えば、Gooch Synthetic Woodwind は4声のシンセサイザーで、PLATOのコースウェアに音響を加えることができる。後の PLATO V 端末では16声の Gooch Cybernetic Synthesizer に発展した。これにより初期のマルチメディアを実現している。これらのシンセサイザーのための音楽記述言語が開発され、コンパイラ、楽譜エディタ、音楽ファイル用ファイルシステム、リアルタイム演奏プログラム、デバッグや作曲のためのツールなどが開発された。対話型作曲プログラムもいくつか書かれている。 別の周辺機器として、音声合成装置Votrax(英語版)が開発され、TUTOR言語にはそれを使ってテキストを読み上げさせる "say" というコマンドが追加された(言語を指定するコマンドは "saylang")。 このシステムの目標は音楽教師が教材を作るためのツールを提供することで、音楽の聴き取りドリル、キーボード演奏の自動判別、エンベロープや音色を聞き分ける耳のトレーニング、音響学的な対話型の例示または実験、即時のフィードバックを伴う作曲や理論の演習などが考えられる。 マイクロプロセッサが登場すると、新たなPLATO端末は PLATO IV 端末より安価でずっと柔軟性の高いものにできるようになった。イリノイ大学では PLATO V 端末と呼ばれたが、システム自体は PLATO IV のままだった。端末は Intel 8080 を搭載してローカルにプログラムを実行できるようになった。現代のJavaアプレットやActiveXコントロールに近い。小さいソフトウェアモジュールを端末にダウンロードすることで、PLATOのコースウェアで複雑なアニメーション表示など従来では不可能だった表現が可能になった。 1972年初め、パロアルト研究所の研究者らがイリノイ大学のPLATOシステムを見学した。このときグラフィックス・アプリケーション・ジェネレータの Show Display、ユーザー定義文字を作成する Charset Editor、Term Talk や Monitor Mode といったコミュニケーションプログラムなどが披露された。 1975年にはCDCが寄贈した CDC Cyber 73(英語版) を使い、従来からの場所以外に、小中学校、高校、単科大学、総合大学、軍の研究所など150箇所で使われるようになった。PLATO IV はテキスト、グラフィックス、アニメーションなどでコースウェアを構成でき、共有メモリ機能によって複数ユーザー間でデータをやりとりできる。共有メモリ機能によってチャットのようなプログラムや、マルチユーザー型のフライトシミュレータなども開発された。 PLATO IV の運用開始にあわせて、ビッツァーはプロジェクトの成功を宣言し、汎用的なコンピュータ支援教育が万人に向けて可能になったと主張した。しかし、端末は非常に高価で(約1万2千ドル)、PLATOをさらに普及させるにはコスト低減のためのスケールダウンが必要と思われた。
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