NSE車登場前後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)
「小田急3000形電車 (初代)」の記事における「NSE車登場前後」の解説
速度試験は9月28日で終了し、3011×8は小田急線内に戻り、10月1日から箱根特急の運用に投入された。これによって、1700形は一般車に改造されることになった。 1958年7月19日、3021×8が走行中にデハ3026の台車からディスクブレーキが脱落する不具合が発生、この後8月7日までは編成を短縮した3021×5として運行した。同年8月には全編成に対して付随車の車軸に設置されたディスクブレーキをツインディスク式に改造し、あわせて台車のばねも交換された。 1959年2月12日には増備車として3031×8が入線し、同年2月28日から運行を開始した。3031×8の導入によって、箱根特急は全てSE車で運用することが可能となり、箱根特急のスピードアップが行われた。このため、2300形は準特急車に格下げされることになった。また、SE車はこの年から夏季に運行される江ノ島線の特急にも運用されるようになった ほか、特殊急行「納涼ビール電車」にもSE車が使用された。この時期、3031×8については座席の表地を茶色系のチェック模様に変更していた が、1962年に他車と同様の青色系の表地に戻した。また、この時期に座席の背ずり形状などの改修が行われた。 一方、1958年以降には他の鉄道事業者で冷房装備の特急形電車の製造が行われていた ことから、1961年にはSE車の冷房設置が計画された。車体が軽量構造であることから屋根上への冷房搭載工事は大改造となるため、床置き式の冷房装置を搭載することになり、1962年2月から設置工事が行われた。搭載する冷房装置は冷凍能力9,000kcal/hのCBU-381形が採用され、1両に2台ずつ搭載し、冷房の設置箇所の側面にはよろい戸状の外気取入口が設けられた。設置に際しては各車両とも2脚ずつ座席が撤去された が、この時に撤去する座席はトイレ前や売店前・出入り口脇など、乗客に好まれない座席を優先した。この改造に伴い、各車両とも定員が4名減少し、編成定員は316名となった。冷房装置の新設に伴い、3号車と6号車に出力60kVAのCLG-326形電動発電機(MG)が増設された。 なお、1961年にはシュリーレン台車を2400形(HE車)に振り替え、SE車には住友金属工業で新しく新造した空気バネ台車を装着するという案もあり、実際に試験も行われている が、実現には至っていない。 1963年には集電装置の摺り板がカーボンからブロイメットに変更された。また、1966年には列車無線が新設された。 1963年には、時代に合わせて室内のデラックス化と冷房化を図る、全面展望を一層進化させるためイタリア国鉄の特急「セッテベッロ」のような構造にするという構想によってNSE車が登場し、その後1967年に箱根特急が全てNSE車で運用できるようになる と、SE車は江ノ島線の特急「えのしま」や、1966年6月に新設された途中駅停車の特急「さがみ」に運用されるようになった。
※この「NSE車登場前後」の解説は、「小田急3000形電車 (初代)」の解説の一部です。
「NSE車登場前後」を含む「小田急3000形電車 (初代)」の記事については、「小田急3000形電車 (初代)」の概要を参照ください。
- NSE車登場前後のページへのリンク