NSC入学からピンでのブレイクまで
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「ムーディ勝山」の記事における「NSC入学からピンでのブレイクまで」の解説
NSC大阪校の23期生としてお笑いの道に進む。コンビ「セコンドアウト」を結成。素人名人会で名人賞を受賞するも、間もなく解散。その後トリオ「平安京999」と結成するも再度解散。2005年にNSCでは1期上だった梶剛と「勝山梶」としてコンビを組む。 2006年はじめに、笑い飯と千鳥のライブにゲスト出演し、ムード歌謡ネタを初披露した。実験的な目的で行ったが観客に大うけし、ネタに確信を持った。同年6月、NSCやはり1期上のダイアン・津田篤宏の結婚披露宴パーティー会場にて、特技の歌を使った宴会芸として「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露した様子が、ヨシモトファンダンゴTVにて「ダイアン津田の結婚披露宴パーティー」という特番として放映された。これをきっかけに番組関係者からオファーが来るようになり、テレビ番組での露出が増える。ちなみに、この披露宴の司会をしていたのが勝山の後にブレイクを果たす天津木村である。 さらにヨシモトファンダンゴTV内の『ヨシモト∞』大阪2部若手芸人ネタコーナーにて、司会のブラックマヨネーズらの前で「右から左へ受け流すの歌」を歌いきり、それまで名乗っていた「DJ KATUYAMA」より、「ムーディ勝山」の名前が浸透するようになった。 2006年から2007年にかけての年末年始特番は『オールザッツ漫才』(MBSテレビ)と『さんまのまんま2007年新春スペシャル』(関西テレビ)に出演した。勝山本人はこれがブレイクのきっかけだと語っている。そして『オールザッツ漫才2006』で「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露した際審査員であった陣内智則らの目に止まり、陣内の結婚式2次会に呼ばれる。 『ドッカ〜ン!』 (TBS) で初のレギュラー出演番組を獲得。「歌う工場見学先生」として製品のできる過程をムード歌謡に乗せて紹介しており、「コアラのマーチ」(ロッテ)や、「ひよ子」、「タイヤ」ができる過程を歌っていた。 着うたダウンロード数は210万件以上(2007年8月9日時点)、携帯電話向けコンテンツだけで2億円以上の売上げを記録した。レコード会社着営サウンドの2007年上半期着うたランキングで、ケツメイシやレミオロメンなどのミュージシャンに混じって21位に入る。 2007年には、前川清が歌う「そして神戸」のコーラスとしてNHK紅白歌合戦への出場を果たした。 全盛期の月収は640万円で、目黒の家賃27万円のマンションに住んでいた。
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