NHK会長時代とは? わかりやすく解説

NHK会長時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:39 UTC 版)

島桂次」の記事における「NHK会長時代」の解説

1989年4月NHK会長就任以後NHK経営委員会委員長で住友銀行頭取であった磯田一郎組んで商業化路線推進したまた、島は他方で、NHK組織抜本的にスリム化する構想持っており、NHK教育テレビジョンラジオ第2放送削減しようとした。また、報道を除く番組制作部門全て番組制作会社外注すればよい』という方針で、組織改革の中で番組制作局の「部」を『プロダクション』と改称した1985年NHK副会長時代NHKエンタープライズ設立1990年には国際メディア・コーポレーション子会社設立していく。島によるNHK商業化路線は、NHK民間の手法を導入することによって番組の質を向上させ、NHK受信料頼らない経営で、国際的なメディア戦争生き残ろうとしたとの評価がある一方金儲け第一主義公共放送あり方歪め2004年平成16年)から相次いだ不祥事元凶つくったとする批判もある(その後継いだ川口幹夫は、島の路線否定した)。 NHK紅白歌合戦廃止第40回NHK紅白歌合戦#幻の「紅白廃止」と「アジア音楽祭」」も参照 GNN構想失敗NHK会長引責辞任1991年東京都知事選挙公示時に小沢一郎当時自民党本部幹事長)が現職鈴木俊一公認せず、報道局長・NHK特別主幹であった磯村尚徳公認候補とした。これに自民党東京都連は反発し事実上分裂選挙となった結果的に鈴木の4選となった選挙結果によって自民党内では確執生じた。その責任一端磯村引っ張り出した海老沢勝二(島の側近)にあると言われ影響が島まで及びそうになった結果、島は海老沢理事職を解任左遷させた。1991年4月、島がCNN刺激され欧米放送局提携したニュース専門局である GNNGlobal News Network構想発表。島は「衛星ロケット費用が安い」という理由で、ゼネラル・エレクトリック委託したが、同年4月18日アメリカ合衆国フロリダ州ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられた、BS-3H積んだアトラスIロケット軌道外れ二度目放送衛星打ち上げ失敗したその後、島は、国会逓信委員会ロケット打ち上げ失敗問題巡って国会議員から質疑受けていたが、この時、衆議院逓信委員会委員であった自民党野中広務は「ロケット打ち上げ失敗時に何をしていたのか」と質疑し、島は「GE打ち上げモニター監視していた」と答弁した。しかし、朝日新聞1991年7月2日朝刊社会面トップにて「NHK会長国会答弁疑問」という特ダネ記事掲載し数日後東京スポーツが「NHK会長愛人海外出張と書いたことを契機に、国会で虚偽答弁経費流用疑惑等々が噴出し7月NHK会長引責辞任した。

※この「NHK会長時代」の解説は、「島桂次」の解説の一部です。
「NHK会長時代」を含む「島桂次」の記事については、「島桂次」の概要を参照ください。

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