NHK会長時代
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1989年4月、NHK会長に就任以後、NHK経営委員会委員長で住友銀行の頭取であった磯田一郎と組んで「商業化」路線を推進した。また、島は他方で、NHKの組織を抜本的にスリム化する構想も持っており、NHK教育テレビジョンやラジオ第2放送を削減しようとした。また、報道を除く番組制作部門は全て『番組制作会社へ外注すればよい』という方針で、組織改革の中で番組制作局の「部」を『プロダクション』と改称した。 1985年、NHK副会長時代にNHKエンタープライズを設立。1990年には国際メディア・コーポレーションと子会社を設立していく。島によるNHK商業化路線は、NHKに民間の手法を導入することによって番組の質を向上させ、NHK受信料に頼らない経営で、国際的なメディア戦争に生き残ろうとしたとの評価がある一方、金儲け第一主義で公共放送のあり方を歪め、2004年(平成16年)から相次いだ不祥事の元凶をつくったとする批判もある(その後を継いだ川口幹夫は、島の路線を否定した)。 NHK紅白歌合戦の廃止「第40回NHK紅白歌合戦#幻の「紅白廃止」と「アジア音楽祭」」も参照 GNN構想の失敗とNHK会長の引責辞任1991年東京都知事選挙公示時に小沢一郎(当時自民党本部幹事長)が現職の鈴木俊一を公認せず、報道局長・NHK特別主幹であった磯村尚徳を公認候補とした。これに自民党東京都連は反発し、事実上の分裂選挙となった。結果的に鈴木の4選となった選挙結果によって自民党内では確執が生じた。その責任の一端が磯村を引っ張り出した海老沢勝二(島の側近)にあると言われ、影響が島まで及びそうになった結果、島は海老沢の理事職を解任し左遷させた。1991年4月、島がCNNに刺激され、欧米の放送局と提携したニュース専門局である GNN(Global News Network)構想を発表。島は「衛星ロケット費用が安い」という理由で、ゼネラル・エレクトリックに委託したが、同年4月18日、アメリカ合衆国フロリダ州のケープカナベラル空軍基地から打ち上げられた、BS-3Hを積んだアトラスIロケットが軌道を外れ、二度目の放送衛星の打ち上げに失敗した。 その後、島は、国会の逓信委員会でロケット打ち上げ失敗の問題を巡って、国会議員から質疑を受けていたが、この時、衆議院逓信委員会委員長であった自民党の野中広務は「ロケット打ち上げ失敗時に何をしていたのか」と質疑し、島は「GEで打ち上げのモニターを監視していた」と答弁した。しかし、朝日新聞1991年7月2日付朝刊社会面トップにて「NHK島会長、国会答弁に疑問」という特ダネ記事を掲載し、数日後、東京スポーツが「NHK島会長、愛人と海外出張」と書いたことを契機に、国会での虚偽答弁、経費流用疑惑等々が噴出し、7月にNHK会長を引責辞任した。
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