NHKキャロル事件
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1973年2月28日「ロックンロール・カーニバル」に出演したキャロルを会場で観た龍村がキャロルに取り憑かれ彼らに帯同してカメラを回しドキュメンタリー『キャロル』を制作した。龍村はキャロルとの衝撃的な出会いを戦後世代の問題として記録しようとした。夜の7時半の茶の間に、紹介も説明もしないで、突然、キャロルを登場させるという計画だった。作品は同年7月に完成し、月末に放送を予定していたが「いろいろな人が見る7時半という時間帯にキャロルは特殊すぎる」「作り方が客観的でない」「私的すぎて、夜7時30分のドキュメンタリーに合わない」「不良っぽく、若者にいい影響を与えない」など、NHK内で放送の是非を巡ってもめ、同月の放送は中止された。『ヤング・ミュージック・ショー』など、外国のロックがようやく放送される時代になってはいたものの、NHKではロックに対してまだ保守的な姿勢を崩していなかった。龍村は連日マスコミ関係者を集め、自主試写会を敢行し訴えた。また外部雑誌に署名入りでNHKのドキュメンタリー批判を書いた。この事件は、三大新聞をはじめ、多くのマスコミに取り上げられ社会問題に発展した。この反応を無視できなくなったNHKは、若者の音楽番組の枠で、一部をカットしたうえ放映すると提案したが9月末にNHKは、フィルムを強引に龍村から奪い「試写運動をしたり、雑誌にNHK批判をする者に、ディレクターとしての仕事をさせるわけにはいかない」と通告し、後述する映画制作までの4ヶ月間、龍村は毎日NHKに出勤し1日中デスクに座り続けた。結局NHKは『キャロル』をドキュメンタリーとしては断固として認めず大幅にカットされたものが同年10月20日、午後2時10分からの『ヤング・ミュージック・ショー』を30分後ろにずらして、その枠で放送されるはずだったが中日対阪神戦中継と、かち合って中止に。この年は巨人V9の年で、中日ー阪神戦は優勝争いのクライマックス。新幹線で大阪移動中の巨人ナインが、名古屋を通過する手前、中日球場のスコアボードを新幹線から覗き込んだといわれる逸話で有名な試合だった。結局ドキュメンタリーとしてではなく『ヤング・ミュージック・ショー』にくっつけ、一部の若者向けのロック番組として、プロ野球のスタンバイ番組として、同年10月28日午後4時に放送された。龍村はあくまでもドキュメンタリーとしての放映を主張。その後龍村と実質上の製作者で脚本を担当した小野耕世(国際局渉外部所属)は、1974年2月20日からATGに資本を受け映画撮影を開始した。龍村は自力で600万円の製作費をかき集め映画につぎ込んだ。この映画にして公開しようとしたことで、NHKの認めてない映画製作の業務に従事したことと、度重なる出勤命令を無視した就業規則違反という"純規律違反"で、1974年6月13日付けで二人の休職が発令された。これを不服として二人と日放労が異議申立てに踏み切ったが同年7月23日、NHKは二人を懲戒免職処分とし同年9月9日、NHKは龍村の解雇を発令した。映画『キャロル』はATG資本で完成し、1974年6月22日から東京アートシアター新宿文化、日劇文化劇場で公開された。キャロルがNHKである種のボイコットを受けたことは、若者たちの間で異常なほどの人気で迎えられた。龍村らはその後裁判を起こし10年間 NHKと争ったといわれる。
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