NASCAR参戦車両
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「フォード・トリノ」の記事における「NASCAR参戦車両」の解説
詳細は「フォード・トリノ・タラデガ」、「 エアロ・ウォーリア」、および「en:Aero Warriors」を参照 第1世代トリノのファストバック車のルーフラインは市販車両の状態でも十分空力特性に優れており、1968年から1969年に掛けてのNASCARにおけるスーパースピードウェイ(en:Oval_track_racing#Superspeedways)において支配的な強さを発揮した。1969年、ダッジはトリノに対抗する為にダッジ・チャージャー500(en:Dodge Charger (B-body)#Charger 500)を投入、この車両はNASCARのオーバルトラックを走行する際の空力特性の改善に特化した特別な設計が行われていた。一方、フォードも同年の中型車ラインナップにトリノをベースにした特別な高性能車両であるフォード・トリノ・タラデガを追加した。この限定車両はNASCARを走る為だけに特化した設計が行われており、特に空力性能の改善に重点が置かれていた。 トリノ・タラデガは全長を5インチ (127 mm)延長し独自のフロントフェイスが装着された。フォードのエンジニアはフロントエンドを延長すると共に、ボディ先端に向かってテーパー形状を描く事で空気抵抗を減少させた。市販車両では大きな凹面を持っていたフロントグリルも、フロントフェイスに合わせた平滑な形状の物に変更された。ボディ側面下部のロッカーパネルもNASCARの規定に合致する範囲でより地面に近くなるように5インチ (127 mm)延長された。 トリノ・タラデガはスポーツルーフ車のみがラインナップされ、車体色はウィンブルドン・ホワイト、ロイヤル・マルーン、プレジデンタル・ブルーの3色が用意された。全ての車体色でつや消しブラックのボンネットと、専用のベルトストライプが貼付された。トリノ・タラデガには標準で429 cu in (7.03 L)コブラジェット(ラムエアー無し版)と、C-6型3速AT、staggered配置のリアショック(市販車両では4速MT車のみの装備であった)、3.25:1のオープンデフが装備された。また、内装には布・ビニール張りのベンチシートが用いられ、車体コードは1969年式コブラと同様にフェアレーン500と同じコードが使用された。トリノ・タラデガは車体色以外の一切のオプションが用意されず、販売台数は僅か743台であった。 トリノ・タラデガはNASCARにおいてフォードに多くの栄光をもたらした。これに触発されたダッジとプリムスは、より急進的な空力設計を持つダッジ・チャージャー・デイトナ(en:Dodge_Charger_Daytona)を1969年シーズンに投入、更に巨大なゴールポストリアウイングやノーズコーンを持つプリムス・スーパーバード(en:Plymouth Superbird)を1970年シーズンにそれぞれ投入した。フォードは1970年シーズン中を目処により空力特性に優れた車両の開発を目指したが、その間は多くのフォード系チームは空力的に後れを取る1969年型トリノ・タラデガで1970年シーズンを戦い続けなければならなかった。 フォードはNASCARでの支配的な地位を取り戻す為、再びトリノをベースに特別な高性能車両を製作する事を計画した。その車両は1970年式をベースに設計、1970年モデルイヤー中での市販が企画され、名称はフォード・トリノ・キングコブラとされた。トリノ・キングコブラはトリノ・タラデガと同様に空力特性の最適化を念頭に置いた設計が行われ、1970年式トリノの市販車両とは全く異なる外観が与えられた。フロントフェイスは先端に行く程鋭く尖った形状となり、ヘッドライトは2灯式が採用され、フロントフェンダー先端にシュガースコップ様の窪みに埋め込まれるデザインとなった。その外観は1969年発売のダットサン・240Z(en:Nissan_S30#240Z)と非常によく似たものとなった。トリノ・キングコブラのフロントグリルはフロントバンパー下の巨大な開口部であり、近代的な自動車で用いられるボトムブリーザー(en:bottom breather)と同じ概念が用いられている。パーキングランプはヘッドランプの内側に埋め込まれるように配置され、ボンネットは中央部付近のみ黒く塗装された。また、フロントフェンダーからリアクォーターパネルに掛けて、1968-69年式トリノGTと同じサイドストライプが貼付された。フォードは更に空力を改善する為に、NASCAR参戦チームに対してはヘッドライトカバーも提供する予定であった。 しかし、NASCARはホモロゲーションの変更を行い、予選参加に必要な市販台数を最低500台から最低3000台にまで引き上げた。これにより、フォードはトリノ・キングコブラの市販計画を断念した。トリノ・キングコブラはNASCARでのテスト用とショウルーム展示用を含んだ3台のプロトタイプが製造されたのみであった。1台はBoss 429 マスタングと同じフォード・429 Bossエンジンが搭載され、残りの2台にはそれぞれ429 SCJと429 CJエンジンが搭載された。 トリノ・キングコブラの計画断念後、NASCARのエアロカー戦争はプリムス・スーパーバードが制する事となった。しかし、スーパーバードの栄光も長くは続かなかった。NASCARは1970年シーズン後の台数規定の変更に続き、1971年シーズン前には参戦車両は原則として市販車両と同一形状である事を要求する新たなレギュレーションを策定し、トリノ・タラデガから始まったエアロ・ウォーリアの時代は完全に幕を下ろす事となる。
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