FREEDOMS旗揚げ
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アパッチプロレス軍が2009年に解散すると、佐々木貴と組んで新たな団体『FREEDOMS』を設立。そして、かねてよりの念願であった伊東竜二とのシングル戦―『カミソリ十字架ボード+αデスマッチ』を11月20日の大日本プロレス後楽園ホール大会にて敢行。超満員の観客を動員し、29分45秒という時間切れギリギリで勝利。試合後、年内の引退を考えていたが取り止める旨のマイクアピールを行い、現役続行の意思を表明した。この試合が2009年プロレス大賞ベストバウトを受賞。デスマッチとしては19年振りの快挙であった。 2010年になると、空位となっていたBJW認定タッグ王座の新王者決定選手権に045邪猿気違'sで出場し、4月28日の大会で関本大介と佐々木義人 (プロレスラー)を相手とした決勝戦に勝利。これは自身初の大日本プロレスの王座の獲得であった。 5月3日のアイスリボン後楽園大会では、自身を憧れの人物に指名する松本都と組んだうえでインターナショナル・リボンタッグ王座を獲得し、これにて2冠を達成。 翌5月4日の大日本プロレス設立15周年記念大会(横浜文体)にあっては、2000年代の黎明の頃に激戦を繰り広げたニック・ゲージとおおよそ10年ぶりの再会を果たし、かつて結成していた『CZWジャパン』を復活させたうえで、馴染みのカミソリ十字架ボードを用いたデスマッチを披露した。 2012年はFREEDOMSでユニット「UNCHAIN」(アンチェイン)を結成。しかし膝の怪我で再び欠場するが、8月に復帰戦となる自身プロデュースの~PAIN IN LIMIT 2012~で悲願の初優勝を果たす。11月9日のWrestling New Classic「まこかなプロ」では女子レスラー「葛西純子」として松本都とのタッグで参戦している。 大日本プロレスでは同年4月に045邪猿気違'sでのアジアタッグ選手権挑戦を表明したが欠場で流れ、10月に復帰のアピールで沼澤邪鬼に対し決裂を突きつけ抗争が勃発したが、2013年3月の後楽園でシングル戦による直接対決で沼澤を下した際に045邪猿気違'sの復活を宣言。5月には竹田誠志・塚本拓海をメンバーに迎え、045邪猿気違'sを発展させたユニット「B FAULTLESS JUNKY'S」(ビーフォールトレス・ジャンキーズ)を結成した。 一方、2013年5月より大仁田厚と大仁田率いる邪道軍との抗争を勃発させたが、6月の新木場大会で邪道軍側についた元FMWのマンモス佐々木に自らがピンフォールを取られる。しかし抗争において邪道軍任せで自ら前に出てこない大仁田の態度に不満を爆発させ、それに同調した佐々木貴と急遽タッグを組み、9月に大仁田・マンモス組と対戦するとマンモスを下した直後に葛西が大仁田に蛍光灯を浴びせ「大仁田とはもう終わりだ!」と言い放った。 2014年6月にはCZWのトーナメント・オブ・デスに初出場し、8人トーナメントの決勝でMASADAを下し日本人選手として初優勝している。9月にはKING of FREEDOM WORLD王座を手にして日本国内団体のシングル王座を獲得した。 2015年にはWRESTLE-1にて征矢学が中心となって活動する「ニュー・ワイルド・オーダー」に参加。 2017年8月27日の後楽園ホール大会では、ビオレント・ジャックと蛍光灯+カミソリ十字架ボードデスマッチを行った。葛西が本間朋晃のコケシを真似るシーンがあり、途中ジャックはカミソリボードごと葛西を持ち上げてバックフリップ、さらに断崖式パッケージパイルドライバーを場外のイスと蛍光灯の上に放つという殺人的な攻撃を繰り出した。最後はサボテン&カミソリボードへの垂直落下式リバースタイガードライバーを決めて3カウント。記録は18分1秒で体固め。この試合で右手中指腱断裂の重傷を負い、怪我した指は皮一枚で繋がっているだけで引っ張れば簡単にもげる状態であった。救急搬送され、後日欠場になることが発表された。 2017年8月30日に第二子となる娘が生まれた。 2019年12月25日の自身のプロデュース興行を最後に、頚椎と腰椎の椎間板ヘルニアの治療のため長期欠場に入った。 2020年6月10日の新木場1stRING大会で復帰。 2021年5月、自身を追ったドキュメンタリー映画「狂猿」が公開。
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