FREEDOMMUNE(2011年-)
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「DOMMUNE」の記事における「FREEDOMMUNE(2011年-)」の解説
DOMMUNEの開局以前から、フェスティバルは企画されていた。宇川は映像や大学の講義を通じて川崎市とつながりがあり、東扇島東公園を使って何か開催しないかという提案を2007年に受けていた。その後、東日本大震災によって方針を変更し、「東日本大震災復興支援イベント FREEDOMMUNE 0<ZERO> 2011」が企画された。開催日は2011年8月19日、会場は東扇島東公園となった。義捐金を集めることを目的としてスポンサーを募り、入場料は0円とした。当日は会場からのライブ配信を予定し、参加アーティストは日本40組、国外10組近くとなった。しかし、当日の悪天候で大雨洪水警報が解除されず、イベントは中止となった。「被災地支援を試みて、被災の擬似体験を突きつけられた」と宇川は語った。中止の決断後には雨が止み、湿度も低くて涼しくなり、「かなりいい夜」となった。 以後は会場を千葉県の幕張メッセに移し、2012年8月11日に「FREEDOMMUNE 0<ZERO> A NEW ZERO」が開催された。ヘッドライナーは夏目漱石で、蔵書や直筆原稿、写真、脳などが展示された。2013年7月13日に「FREEDOMMUNE 0<ZERO> ONE THOUSAND 2013」が開催され、出演アーティストは91組、来場者は15000人、配信はYouTubeで行われ世界各地から1380000以上のビューがあった。ヘッドライナーはCRASSのペニー・リンボー(英語版)と瀬戸内寂聴が務め、寂聴による法話もライブ配信された。寂聴が死去した2021年には、11月25日の追悼番組として約1時間の法話を全編配信した。
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