FLTSATの導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:00 UTC 版)
「海上自衛隊のC4Iシステム」の記事における「FLTSATの導入」の解説
海自の衛星通信の利用という点では、1977年の第19次南極地域観測隊の派遣に際して、砕氷艦「ふじ」がインマルサット通信装置を搭載して音声およびテレタイプ通信に利用したのが端緒となる。また昭和54年(1979年)度で練習艦「かとり」も同じくインマルサットの器材を搭載して遠航で使用したほか、後には護衛隊群の旗艦にも搭載されて、主として国外派遣訓練で使用された。しかし1980年からの環太平洋合同演習(RIMPAC)参加経験を通じて、衛星通信機能の不備が円滑な作戦遂行を制約していると報告されていたものの、自衛隊自身の衛星通信システムの保有・運用については、1969年5月9日の衆議院 本会議(第61回国会)で採択された「我が国における宇宙の開発及び利用の基本に関する決議」に反するというのが、この時点での政府見解であった。 1982年秋、民社党の塚本三郎書記長は東京新聞の記者からの情報提供を受け、硫黄島航空基地の自衛官が家族との電話もできない状態で勤務していることを知って同地を視察したのち、翌1983年2月の衆議院予算委員会(第98回国会)において、NTTの衛星「さくら2号」による衛星電話を同地に設置できないかを質問した。これに対し、科学技術庁の担当局長が上記の政府見解を踏襲して「防衛庁は使えない」旨の答弁をしたところ、塚本書記長は厳しく反論し、最終的には、当時の中曽根首相が「この件は十分検討する」として収集を図った。この結果、昭和59年(1984年)度予算に硫黄島衛星通信回線が盛り込まれて1985年3月に開通したほか、同年2月6日の衆議院予算委員会において、政府は「平和目的と自衛隊による衛星利用についての統一見解」を明らかにし、自衛隊の衛星通信利用への道が開かれた。 まずアメリカ海軍の衛星通信システム(FLTSAT)の導入が図られることになり、昭和60年(1985年)度予算で放送受信用器材3セットが、61年度では同5セット及び送受信用器材8セットの導入が承認されたほか、1985年9月に閣議決定された61中防では「海上自衛隊の衛星通信機能の整備」が盛り込まれた。この時点では具体的な計画はなく、さしあたり、上記のFLTSATの使用を拡大することを検討して、UHF仕様で計画を進めていたものの、アメリカ側の反応は芳しくなかった。
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