FCM1A (戦車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 20:45 UTC 版)
FCM1A(シャール 1A(FCM Char 1A)とも)は、第一次世界大戦中にフランスで開発された重戦車である。
|
|
- ^ 本文中にあるように、機関銃自体は合計5丁を搭載している
- ^ “CCAA”(Comité Consultatif de l'Artillerie d'Assaut)の略号が用いられている書籍等もある
- ^ “Estienne”の日本語におけるカタカナ表記については「エスティエンヌ」と「エティエンヌ」の二通りがあるが、当項では前者で表記する。
- ^ Ministre de l'Armement et des fabrications de guerre.(英語版):軍備及び戦争生産担当大臣、日本語では「軍需大臣」等とも訳される。
- ^ シュナイダー、サン・シャモン共に機動性が低く、超壕性能の不足から前進を阻まれる例が続出し、主砲の射角が限定されていることによる使い勝手の悪さ、また装甲防御力の不足も顕著だった。
これらの問題はエスティエンヌに自身の理想とする「全周旋回砲塔を備えた軽量級戦車」の必要性を改めて実感させることになった。 - ^ Sous-secrétaire d'Etat des inventions intéressant la défense nationale.(英語版)、直訳すると“国防に関する発明(を担当する)国務次官”となるが、ここではこのように訳した。
- ^ マークVIII型戦車はイギリスとアメリカが各種コンポーネントを分担して生産し、最終組立工場をフランス国内に建設して現地で完成したものを各国軍に配備する計画であったが、英仏の工業生産力は既に自国向けのもので手一杯であり、パリの南に計画された工場の建設は予定よりも大幅に遅れた上、イギリスからの部品の供給も遅延し、生産態勢が整った1918年秋には戦争が集結したため、戦争中にはほとんど生産されなかった。
- ^ 砲口初速は原型の300 m/秒に対して240 m/秒に低下している。
- ^ これは左右独立制動式(スキッドステア式)の操舵装置の根本的な欠陥で、同様の操向装置を用いたイギリスの菱型戦車でもこの問題に悩まされている。
- ^ この形式は建設機械に多く用いられる方法で、接地圧を低くできるために重量のある車両に向いていたが、表面の凹凸が少ないために地面に噛み込む力が弱く、また横滑りを起こしやすいという欠点があった。
なお、この形式の履帯は、以後、本車の発展型であるFCM 2C(シャール2C)から第二次世界大戦中に開発、戦後に生産されたフランス最後の重戦車であるARL-44に至るまでのフランス製重戦車ほぼ全てに踏襲されている。 - ^ 試験時には前方銃手が搭乗しない6名編成とされていることが多かった。
- ^ 2C重戦車については戦後進駐したソビエト軍により1948年までクンマースドルフで確認されているとされるが、これについては確たる公式の記録はない。
[続きの解説]
「FCM1A (戦車)」の続きの解説一覧
- 1 FCM1A (戦車)とは
- 2 FCM1A (戦車)の概要
- 3 運用
- 4 外部リンク
- FCM1A (戦車)のページへのリンク