Children of Bodomとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Children of Bodomの意味・解説 

チルドレン・オブ・ボドム

(Children of Bodom から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 14:01 UTC 版)

チルドレン・オブ・ボドム
ドイツ・ハンブルク公演(2017年8月)
基本情報
別名 インアースド(1993年 - 1997年)
出身地  フィンランド ウーシマー州 エスポー
ジャンル
活動期間 1993年 - 2020年
レーベル
公式サイト Children Of Bodom - Official Website
旧メンバー
ロゴ

チルドレン・オブ・ボドムChildren of Bodom)は、フィンランド出身のメロディックデスメタルバンド[2]。通称チルボドCOB[7]

アレキシのギターとヤンネのキーボード速弾きを中心にしたリフソロが上に載るスピード感のあるクラシカルなメロディックデスメタルを信条としており、そのサウンドはアレキシのデスヴォイスを除けばオーセンティックなヘヴィメタルに近い。

バンド名は、1960年にエスポー近くのボドム湖で実際に起こったボドム湖殺人事件に由来する[8]

略歴

創設者ライホ(Vo/G)&ラーチカイネン(Ds) 2002年

1993年春に、フィンランドの都市・エスポーで、前身バンドであるインアースド(Inearthed)が学校の友人同士で結成される。中心メンバーは、アレキシ・ライホ (Vo/G)とヤスカ・ラーチカイネン (Dr)であった。その2人以外の初期メンバーは、流動的であったが、サムリ・ミエッティネン (B)、ヤニ・ピリショキ (G)が加入し4人体制で一応安定する。その後、1994年に1stデモテープ『Implosion of Heaven』を作成している。続いて、1995年に2ndデモテープ『Ubiguitous Absence of Remission』、1996年には3rdデモテープ『Shining』をリリースしている。また、このデモのリリースの間にメンバーチェンジが起こっており、1994年にヤニ・ピリショキが脱退、1995年には、サムリ・ミエッティネンも脱退した。同年に、アレクザンダー・クオファラ (G)、ヘンカ・ブラックスミス (B)が加入している[9]。また、それに加えて、ヤニ・ピリショキがキーボーディストとして復帰している。

3rdデモテープがきっかけとなり、ヨーロッパの小さなレーベルと契約する。そして、1stアルバムを制作するも、完成直後にスパインファーム・レコードから契約の申し出があり、所属レーベルとの契約を破棄するためにインアースドは解散する[9]。解散後、チルドレン・オブ・ボドム (Children of Bodom)が結成され、スパインファーム・レコードと契約する[9]。形式上、解散・結成の形をとっていたが、実質的にはバンド名変更であった[注釈 1]。解散・再結成と前後して、ヤニ・ピリショキが解雇され、ヤスカ・ラーチカイネンの学友のヤンネ・ウィルマン (Key)が加入する。加入当初はアルバム作成時のみ参加のセッションメンバーとしての加入であったが、すぐに正式メンバーとして加入することとなった[9]。そして、同年に1stアルバム『Something Wild』でデビューした。同アルバムは、フィンランドのアルバムチャートで、最高20位を記録した[10]。また、1998年のシングル「Children of Bodom」は、フィンランドのシングルチャートで8週連続1位を獲得した[11]

1999年に、2ndアルバム『Hatebreeder』をリリース。同年7月には、川崎クラブチッタと大阪で行われたスウェーデンのメロディックデスメタルバンドイン・フレイムスのライブのサポートバンドとして、日本でライブを行っている。クラブチッタ公演の模様は、ライブ・アルバムTokyo Warhearts - Live In Japan 1999』として音源化されている。

2000年には、3rdアルバム『Follow The Reaper』をリリース。2001年には、ダーク・トランキュリティと共に再来日している。

2003年、4thアルバム『Hate Crew Deathroll』をリリースする。同アルバムで、フィンランドのアルバムチャートで初の1位を獲得[12]。同年2月にはハルフォードのオープニングアクトとして来日した。しかし同年7月、アレクザンダー・クオファラがツアーに対する疲れにより脱退したことが発表される[13]。その後、元ストーン、ワルタリのギタリストで、アレキシと共にシナジーに在籍しているローペ・ラトヴァラをサポートに迎えツアーを継続する。このサポート加入は、ローペ・ラトヴァラから参加の話が持ちかけられたことがきっかけであった[9]。当初、アレキシは「2つのバンドでギタリストが同じ」ということに疑問を持っていたことを話していたが、ミュージシャンとしてだけでなく人間的な面でもバンドに合っているということで、セッション参加から1年ほどが経過した2004年にローペが正式なメンバーになる。

イタリア・ミラノ公演 (2006年1月)

2005年に、5thアルバム『Are You Dead Yet?』、2008年に、6thアルバム『Blooddrunk』をリリースする。また、2006年2009年には日本のヘヴィメタル・フェスティバル、「LOUD PARK」に出演した。

2011年に、7thアルバム『Relentless, Reckless Forever』をリリース。同年6月には、アモルフィスとのカップリングで来日。渋谷大阪名古屋横浜でライブを行った。

2012年に、ワールドワイドでは初のリリースとなるベスト・アルバム『Holiday at Lake Bodom: 15 Years of Wasted Youth』をリリースした。また、同年6月には、15年間所属したスパインファーム・レコードからニュークリア・ブラストに移籍した[注釈 2]。更に、10月には日本でのリリース契約をアヴァロン・レーベルと結んだことを発表した[注釈 3][14]。また、同年10月27日に行われたLOUD PARK 12に出演。

2013年、8thアルバム『Halo of Blood』をリリース。

2015年5月29日、ローペ・ラトヴァラの脱退が発表された[15]。後になってラトヴァラが語ったところによると、この脱退はバンド側からの解雇であり、次作のアルバムセッションを開始する日に通告されたとのこと[16]。後任については当初は決まっておらず、脱退発表翌日のライブではヤンネの弟アンティ・ウィルマンが仮のセカンドギタリストとしてプレイした[17]。10月、9thアルバム『I Worship Chaos』をリリース。

2016年1月19日、ノーサー(2012年解散)、ネイルダウンのギタリストであるダニエル・フレイベリの加入が発表された[18]。ダニエルは2月から行われるワールド・ツアーから参加した[18]

2019年3月に10thアルバム『Hexed』をリリース。

2019年11月1日、同年12月15日のヘルシンキでのライブを最後にヘンカ・ブラックスミス、ヤスカ・ラーチカイネン、ヤンネ・ウィルマンがバンドを脱退すると発表した[19]。発表の中で、脱退する3名は、生活の方向性を変えると書かれている[19]。ただし、12月末に発表された3名連名の声明では、3名がミュージシャンを引退するようなことはなく、今後もミュージシャンであり続けるとも述べている[20]。併せてここ数年、チルドレン・オブ・ボドムの活動において、各メンバーが共通の目標を共有することが難しく、音楽とは関係が無いものの責任を伴う重要な決定を行うことが出来なかったとも述べている[20]。また、バンドに残るアレキシとダニエルは、今後の計画についても発表するとしている[19]。この発表の後、フィンランドの音楽誌「サウンディ」(Soundi)に掲載された記事よれば、元々3人の脱退は以前から決まっていたものの、2020年までツアーを行う予定であったとのこと[21][22]。しかし、2019年10月に行われたロシアツアー中にバンドメンバー間でトラブルが発生し、一時は即時脱退という状態になった[21][22]。しかしながら、結局2019年12月をもって3名が脱退することに落ち着いた[21][22]。また、チルドレン・オブ・ボドム (Children of Bodom)の名称に関する権利は、AA・アンド・セウィラ・コンサルティング (AA & Sewira Consulting Oy)が2019年10月1日から5年間の独占使用権を獲得しており、同社を経営するヘンカ・ブラックスミス、ヤスカ・ラーチカイネン、ヤンネ・ウィルマン、つまり今回脱退する3名の許可が無ければ使用できないことになっている[21][22]。アレキシ・ライホは、同誌の記事の中で、チルドレン・オブ・ボドムの名前を使い続けず、別の名前を用いて活動を継続することを示唆している[21][22]。ただし、その際にもチルドレン・オブ・ボドムと関連性のあるような名前にするとも述べている[21][22]。脱退した3名の声明によれば、元々アレキシ・ライホは、この会社の経営者に名を連ねていたが、会社の株式を売却してしまったため、バンド名の使用に関する権利を失っており、その売却についても合意の下行われたとのことである[20]

2020年3月、アレキシ・ライホとダニエル・フレイベリは、新バンドとしてボドム・アフター・ミッドナイト (Bodom After Midnight) を結成することを発表した[23]。バンドメンバーは、アレキシ・ライホ (Vo, G)、ダニエル・フレイベリ (G)、ミトヤ・トイヴォネン(B、元サンタ・クルス)、ワルッテリ・ヴァユリュネン(Ds、パラダイス・ロスト)の4名[23]。これに加えて、ラウリ・サロマー (Key)がライヴセッションとして参加する[23]。また、新バンドは6月下旬のトゥスカ・フェスティバルにて初ライヴステージに立つことも発表された[23]。その後、アルバムの制作に入るとされる[23]。なお、正式に解散の発表は為されていないものの、チルドレン・オブ・ボドムに残った2名が新バンドで活動することや、ボドム・アフター・ミッドナイトの結成報道の中で、チルドレン・オブ・ボドムの活動終了プロセスは予定通りに進んだと述べられており[23]、後継となるこの新バンド結成をもってチルドレン・オブ・ボドムの活動が全て終了したと考えられる。

2021年1月4日、公式ウェブサイトやレコード会社のSNSアカウントにて、バンドの中心人物であるアレキシ・ライホが12月末にヘルシンキにある自宅で亡くなった事が公表された[24]。死因は明かされていないが、長年健康問題を抱えていたという[24]。享年41[24]

備考

  • 各アルバムには鎌を持った死神が描かれており、名前は“Roy the Reaper”である[25]
  • 2015年現在、ギターおよびベースを担当する、アレキシ・ライホ、ヘンカ・ブラックスミスの2名共、ESPとエンドーズ契約している。
  • アレキシ・ライホとローペ・ラトヴァラは、キンバリー・ゴスのプロジェクトであるシナジー(SINERGY)のメンバーでもある。
  • キンバリーは過去にチルドレン・オブ・ボドムの一部の楽曲の作詞も行っていた。
  • キンバリーはアレキシの元妻。
  • 日本では、1stアルバムから3rdアルバムまでをトイズファクトリー、4thアルバムから7thアルバムはユニバーサルミュージック、8thアルバム、9thアルバムはアヴァロン・レーベル、10thアルバムはケイオスレインズからリリースを行っている。
  • 現在では、メロディックデスメタルを代表するバンドの一つとなっているが、初期の日本盤のでは、『様式美ブラックメタル』とされていた[注釈 4]
  • アレキシの腕にはキンバリー・ゴスの頭文字(KG)が彫ってある。ちなみにそのタトゥーはアレキシの初めてのタトゥーである。
  • アレキシとキンバリーは同じタトゥー、AK47を彫っている。ちなみにAはAlexi、KはKimberlyの意味で、アサルトライフル銃のAK-47とかけている。

メンバー

最終ラインナップ

旧メンバー

タイムライン

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

EP

  • 2004年 トラッシュド、ロスト&ストラングアウト - Trashed, Lost & Strungout

ライブ・アルバム

ベスト・アルバム

コンピレーション・アルバム

  • 2009年 スケルトンズ・イン・ザ・クローゼット - Skeletons In The Closet

映像作品

  • 2006年 カオス・リドゥン・イヤーズ〜ストックホルム・ノックアウト・ライヴ - Chaos Ridden Years - Stockholm Knockout Live

来日公演

単独公演

  • Japan Tour 1999(1999年)
  • Japan Tour 2001(2001年)
  • Hate Crew Deathroll Tour(2003年)
  • Are You Dead Yet? Tour(2005年)
  • Japan Tour 2006(2006年)
    • 4月23日 川崎 クラブチッタ
    • 4月24日 大阪 なんばHATCH
    • 4月25日 東京 LIQUIDROOM
  • Japan Tour 2008(2008年)
  • The Ugly World Tour 2011(2011年)
  • Halo of Blood World Tour(2013年)
    • 9月1日 広島 広島クラブクアトロ
    • 9月3日 大阪 なんばHATCH
    • 9月5日 名古屋 名古屋ダイアモンドホール
    • 9月6日・7日 東京 SHIBUYA-AX
  • Live in Japan 2016 (2016年)
    • 10月11日 大阪 なんばHATCH

フェス

注釈

  1. ^ インアースド結成から、その解散・チルドレン・オブ・ボドム結成までの経緯に関して、トイズファクトリーからリリースされた日本盤のライナーノーツ(『Something Wild』、『Hatebreeder』)では、インアースド解散・チルドレン・オブ・ボドム結成の時期(ライナーノーツでは1994年頃とされている)や、メンバーの在籍時期が、インアースドのデモテープのリリース歴や、バンドメンバーのインタビューなどとの矛盾する点が多く、間違いである可能性が高い。
  2. ^ スパインファーム在籍時にも、地域によってはニュークリア・ブラストからアルバムがリリースされたことがある。
  3. ^ 所属レーベルであるニュークリア・ブラストは日本盤のリリースについて日本コロムビアと契約しているが、なぜか日本コロムビアではなくアヴァロン・レーベルと個別に契約することにとなった。
  4. ^ ライナーノーツでは、メロディックデスメタルないし様式美デスメタルのような表現が用いられている。

参照元

  1. ^ MacKinnon, James (2019年2月13日). “Every Children Of Bodom album ranked from worst to best by Alexi Laiho”. Kerrang!. Wasted Talent Ltd. 2025年3月25日閲覧。
  2. ^ a b Hadusek, Jon (2019年11月1日). “Children of Bodom are parting ways with three longtime band members”. Consequence.net. Consequence Holdings. 2025年3月25日閲覧。
  3. ^ 信太卓実「ヒゲダンにも影響与えたメロデスバンド Children Of Bodom ジャンルの壁を越えて挑んだ、アレキシ・ライホの音楽的功績」『Real Sound』blueprint、2021年1月11日。2025年3月25日閲覧
  4. ^ Ewing, Jerry (2006年11月22日). “Children Of Bodom: Metal Detector”. Metal Hammer. Future. 2025年3月25日閲覧。
  5. ^ Children of Bodom Enter Studio, Begin Recording New Album”. Guitar World. NewBay Media. 2025年3月25日閲覧。
  6. ^ Brown, Andy; Spracklen, Karl; Kahn-Harris, Keith et al., eds (2017). Global Metal Music and Culture: Current Directions in Metal Studies. London: Routledge. p. 220. ISBN 9781138062597 
  7. ^ Heaney, Gregory. Children of Bodom | Biography & History - オールミュージック. 2021年6月27日閲覧。
  8. ^ チルドレン・オブ・ボドム、10th『ヘックスド』が2019年3月8日に世界同時発売」『BARKS』ジャパンミュージックネットワーク、2018年12月9日。2025年3月25日閲覧
  9. ^ a b c d e 『Chaos Ridden Years』収録のドキュメンタリーにおけるメンバーのインタビューより。
  10. ^ http://finnishcharts.com/showitem.asp?interpret=Children+Of+Bodom&titel=Something+Wild&cat=a 2013年7月14日閲覧。
  11. ^ finnishcharts.com - Children Of Bodom - Children Of Bodom - 2014年4月17日閲覧
  12. ^ http://finnishcharts.com/showitem.asp?interpret=Children+Of+Bodom&titel=Hate+Crew+Deathroll&cat=a 2013年7月14日閲覧。
  13. ^ Children of Bodom's Laiho: 'We Ain't Ready To Fucking Die Yet!' - Blabbermouth.net - 2014年8月21日閲覧
  14. ^ Children Of Bodom Hate Crew Official Website - News” (2012年10月3日). 2012年10月6日閲覧。
  15. ^ チルドレン・オブ・ボドムからギタリストのローペ・ラトヴァラが脱退”. amass (2015年5月29日). 2015年5月29日閲覧。
  16. ^ Ex-CHILDREN OF BODOM Guitarist ROOPE LATVALA Says He Was 'Stabbed In The Back' By His Former Bandmates”. BLABBERMOUTH.NET (2017年7月3日). 2020年3月23日閲覧。
  17. ^ Children Of Bodom salakeikalla – uusi kitaristi tulessa”. Soundi (2015年5月30日). 2015年6月7日閲覧。
  18. ^ a b CHILDREN OF BODOM、新ギタリストとしてDaniel Freyberg(NAILDOWN/NORTHER)の加入を発表!”. 激ロック (2016年1月20日). 2016年1月20日閲覧。
  19. ^ a b c A Chapter Called Children Of Bodom”. Children of Bodom Official Website (2019年11月1日). 2019年11月10日閲覧。
  20. ^ a b c Clearing things up”. Children of Bodom Official Website (2019年12月23日). 2020年1月4日閲覧。
  21. ^ a b c d e f Alexi Laiho menetti käyttöoikeuden Children of Bodom -nimeen: ”Pitäkää se nimi, jos haluatte”” (フィンランド語). Soundi (2019年11月4日). 2019年12月16日閲覧。
  22. ^ a b c d e f アレキシ・ライホ “チルドレン・オブ・ボドム”を使えず別名義で活動へ”. amass (2019年11月19日). 2019年12月16日閲覧。
  23. ^ a b c d e f Former CHILDREN OF BODOM Frontman ALEXI LAIHO Launches New Band, BODOM AFTER MIDNIGHT”. BLABBERMOUTH.NET (2020年3月16日). 2020年3月17日閲覧。
  24. ^ a b c Amy Woodyatt (2020年1月4日). “Alexi Laiho, front man for Finnish metal band Children of Bodom, dies suddenly at 41” (English). CNN Entertainment. CNN. https://edition.cnn.com/2021/01/04/entertainment/alexi-laiho-children-of-bodom-death-intl-scli/index.html 2020年1月6日閲覧。 
  25. ^ http://www.metalstorm.net/bands/trivia.php?band_id=72&bandname=Children+Of+Bodom

関連項目

外部リンク


「Children of Bodom」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Children of Bodomのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Children of Bodomのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチルドレン・オブ・ボドム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS