201系の投入とは? わかりやすく解説

201系の投入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:25 UTC 版)

京阪神緩行線」の記事における「201系の投入」の解説

103系統一後、車種入れ替えがなかった京阪神緩行線に、13年ぶりの新車として関西初のスカイブルー201系1982年12月高槻新製配置され、翌1983年1月21日には訓練運転を開始して2月21日から営業運転開始3月までに10編成投入された。201系の投入は1981年中央線快速試作車1979年登場)、1982年中央・総武線各駅停車次いで3路線目だった。 103系のときと違い、素早い新車投入であったが、これには片町線関西本線101系早期置き換えと、他線に比べて低い両線の冷房化率の向上という背景があった。関西本線101系は、前年8月台風10号王寺駅構内留置線冠水したことにより101系大量に廃車されたため、首都圏から廃車予定車の101系をかき集めて運行していたことから、これらの置き換えは緊急の課題となっていたものである。 この中での201系の投入は、上記2点だけでなく、京阪神緩行線特性に必ずしも合致していない103系[独自研究?]を転出させることでスピードアップを図るという、一石三鳥効果狙ったのだった実際201系優れた高速性能乗り心地をもち、また、乗客からも一目新車とわかるブラックフェイス明る内装好評持って迎えられただけでなく、並行私鉄比べて遜色のない車両であったことから、新快速117系同様、防戦一方国鉄カウンターアタックシンボルとなった201系第2次投入1983年6月から9月にかけて実施され、6編成明石電車区配属され103系捻出し片町関西本線101系置き換えた。 201系の投入ピッチ早く1983年12月から1984年3月にかけて第3次投入分として7編成明石配属され同年11月からは、窓の2段上昇化やナンバー転写表記化など、より一層コストダウン図った軽装車」を9編成投入高槻電車区明石電車区合わせて32本・224両の201系出揃った。これによって関西本線各駅停車103系への統一片町線電化区間の非冷房101系置き換え余剰T車を活用した7両統一を実施した。 この時点201系割合過半数達したことから、1985年3月14日ダイヤ改正201系性能生かしたダイヤを組むことになった朝夕ラッシュ時には運転区間加古川駅草津駅まで延長した日中時間帯1時間に1本が加古川駅発着運行されるとともに分割運行解消され高槻駅 - 大阪駅 - 西明石駅・加古川駅間直通運転吹田駅 - 大阪駅 - 甲子園口駅間を往復する区間転に再編されたが、京都駅 - 高槻駅間は快速を各駅に停車させて、この区間緩行電車各駅停車)の運転を廃止した現行のダイヤでもわかるように、201系であれば加古川駅 - 京都駅間を直通運行しても性能問題はないが、そうするだけの編成数はなく、当時の状況では車両増備もままならなかったことから、既存車両だけで対応するには区間短縮もやむを得なかった。国鉄末期合理化の波はこれにとどまらず1986年3月3日ダイヤ改正の際に、1線区1電車区方針によって高槻配置201系全編成が明石電車区転属し、運用合理化図った

※この「201系の投入」の解説は、「京阪神緩行線」の解説の一部です。
「201系の投入」を含む「京阪神緩行線」の記事については、「京阪神緩行線」の概要を参照ください。

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