2007年州知事選挙
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「スティーブ・ベッシャー」の記事における「2007年州知事選挙」の解説
2006年12月18日、ベッシャーは2007年州知事選挙に出馬すると発表した。副知事候補としてはハザードの医師であり州上院議員でもあるダニエル・モンジアルドを指名した。ベッシャーは知事の職に「品位」を取り戻すと公約した。これは現職のアーニー・フレッチャーが、その政権の雇用慣習について、民主党員検事総長のグレグ・スタンボから受けた捜査がやっと決着したばかりであり、それにも関わらず再選を求めることに対する非難だった。当時他に出馬宣言した民主党員は州財務官のジョナサン・ミラーと、ハーランの建築業者オーティス・ヘンスリー・ジュニアであり、ヘンスリーは限定的な運動しか行わなかった。候補者受付の期限近くになって、候補者にはルイビルの百万長者実業家ブルース・ランスフォード、元副知事のスティーブ・ヘンリー、ケンタッキー州下院議長ジョディ・リチャーズ、永遠の候補者ゲイトウッド・ガルブレイスが顔を揃えた。 初期の世論調査では、ベッシャーとヘンリーが知名度で先行しており、どちらもフレッチャーと共和党の予備選挙対抗馬アン・ノーサップの後を追っていた。選挙戦の初期、ベッシャーは州内でカジノのギャンブルを拡大させるための憲法修正を支持することで他の候補者との差別化を図ろうとした。それによって増税しなくても新たに5億ドルの歳入を州が得られると主張した。政治評論家は、この戦略が、1987年州知事予備選挙でウォレス・ウィルキンソンの使った戦術に極めて似ていると言った。ウィルキンソンは州営宝くじを新たな財源と提唱して、ベッシャーその他の候補者を破っていた。当初ヘンスリーを除く民主党の候補者は全てカジノのための憲法修正を支持していたが、ベッシャーがそれを選挙戦の中心議題に据えたので、他の候補者からの支持は萎み始めた。リチャーズははっきりとその姿勢を変え、憲法修正に反対した。他にも数人の候補者が、ベッシャーは通過が保証されていない提案を入れた綱領を詠いすぎていると非難した。 2007年4月、ベッシャーは元知事ブレレトン・ジョーンズからの支持を得た。投票日の2週間前、候補者のジョナサン・ミラーが撤退し、ベッシャー支持に回った。ミラーは世論調査では常に下位にあり、秋の選挙戦で民主党の指名候補に選ばれないのを避けるためにベッシャーを支持したことを示していた。ミラーは後にそのコメントがランスフォードを標的にしたものであると認めていた。ランスフォードは2003年州知事民主党予備選挙で撤退し、本選挙では民主党のベン・チャンドラーを支持する代わりにアーニー・フレッチャーを支持していた。また、違法な医療請求と不適切な選挙資金という告発にあっていたヘンリーを標的にもしていた。このような支持に鼓舞されてベッシャーは先頭を走り予備選挙に勝利した。総投票数に対しては40.9%を確保し、2位だったランスフォードとの決選投票を避けられるギリギリのところだった。 現職知事フレッチャーが共和党予備選挙を立ち上がったので、ベッシャーは即座にフレッチャーに対する捜査を選挙戦の主要問題にすることにさせた。フレッチャーはベッシャーのカジノ拡大計画に対する反論を強化することで応じた。2007年6月、フレッチャーは以前には州民にカジノ・ギャンブル憲法修正に住民投票を実施させると言っていたことを撤回した。選挙参謀は記者達に「州民は11月の本選挙でこの問題に判断する機会を与えられる。それを住民投票に付するのは冗長である。」と語っていた。フレッチャーがカジノ・ギャンブルの問題を選挙戦の中心議題としようとした選択は実効が薄かった。この問題について数ヶ月論戦を展開したあと、サーベイUSAの世論調査では、フレッチャーがベッシャーに対して6ポイント回復しただけであり、まだ16ポイントの差をつけられているとしていた。さらに世論調査では、先の雇用問題捜査で言われたことに関してフレッチャーが倫理に沿わずに行動したと考える有権者が半数以上あり、81%はカジノ・ギャンブル憲法修正について住民投票に問うべきと考えていることを示していた。選挙戦の後半、州内主要新聞8紙がベッシャー有利を報道した。最終的にベッシャーが619,567 票を得て当選し、フレッチャーは 435,856 票に留まった。
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