共和党予備選
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「1860年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「共和党予備選」の解説
共和党の候補者 エドワード・ベイツ、元ミズーリ州選出アメリカ合衆国下院議員 サイモン・キャメロン、ペンシルベニア州選出アメリカ合衆国上院議員 サーモン・チェイス、オハイオ州知事 エイブラハム・リンカーン、元イリノイ州選出アメリカ合衆国下院議員 ウィリアム・スワード、ニューヨーク州選出アメリカ合衆国上院議員 共和党の党員大会は5月半ばに開催されたが、これは民主党がチャールストンでの党員大会を延期せざるを得なかった時より後のことだった。民主党の混乱と、北部諸州では圧倒的に勝利できる見込みの中で共和党は自信を持ってシカゴでの党員大会に臨んだ。ニューヨーク州のウィリアム・スワードが有力候補と考えられており、イリノイ州のエイブラハム・リンカーン、オハイオ州のサーモン・チェイスおよびミズーリ州のエドワード・ベイツがそれに続いていた。 しかし、大会が幕を開けると、スワード、チェイスおよびベイツはそれぞれ共和党の派閥を疎んじてきたことが分かってきた。スワードは党の中でも急進派に近すぎると考えられ、その中央寄りの動きが逆に急進派を疎遠にしていた。元民主党員のチェイスは1840年代遅くに民主党と結託した元ホイッグ党員を疎遠にしており、ペンシルベニア州が要求する関税に反対し、さらに重要なことは出身州のオハイオ州代議員から反対を受けていた。ベイツは、新しい領土における奴隷制の拡張やあらゆる市民の平等な憲法に保障される権利の問題について、その採った姿勢が境界州や南部の保守派の支持者から疎遠にされていた。党内のドイツ系アメリカ人は、ベイツが過去にノウ・ナッシングと行動を共にしていたので、ベイツに反対した。 西部の諸州を制することが重要であり、リンカーンは明らかに中道である人物として、その行った討論や演説から国民の評判も良かったので、5月16日の3回目の投票で共和党の指名を勝ち取った。 メイン州選出アメリカ合衆国上院議員ハンニバル・ハムリンが、ミズーリ州出身のカシウス・M・クレイを破って副大統領候補に指名された。 党の綱領には、はっきりと奴隷制のこれ以上の拡張を拒むこと、および産業を保護する関税を課することが公約とされていた。また西部の農地を開拓者に無償で開放するホームステッド法の制定を公約に含めた。これらの公約はどれも南部では特に不評であった。
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