共和党への鞍替えとそれ以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 04:38 UTC 版)
「ストロム・サーモンド」の記事における「共和党への鞍替えとそれ以降」の解説
1964年公民権法が北部の民主党員と共和党員の大半の賛成を得て可決されると、サーモンドはこのプログラムを強力に推進しようとするジョンソン民主党政権に反発し、共和党へ移籍した。既に1952年にサーモンドには、民主党員でありながら大統領選挙で共和党候補、ドワイト・アイゼンハウアー元帥を支持した過去がある。彼は同じく1964年の公民権法に反対した右派のバリー・ゴールドウォーター上院議員を強力に支持した。しかしながら、共和党に鞍替えした頃から、サーモンドは公民権問題に対するスタンスをやや軟化させた。彼は、南部出身の議員でアフリカ系のスタッフを雇った最初の議員であった。 サーモンドは「堅固な南部」と呼ばれ、民主党による事実上の一党支配が行われていた南部諸州で共和党が勢力を拡大するのに大きな貢献をした。リチャード・ニクソン大統領は伝統的な価値観の擁護を従来より強く打ち出し、保守的白人の多い南部の有権者に訴えかけ、人種差別を主張することなく南部へ勢力を拡大する南部戦略を打ち出した。サーモンドはこれを側面から支援した。1968年の大統領選挙では1948年にサーモンド自身が訴えたのとほぼ同様の主張を行うジョージ・ウォレスアラバマ州知事を批判し、ニクソンを全面的に支援、ニクソンが南部の一部の州で勝利するのに貢献した。 サーモンドは上院の長老であり、上院では上院仮議長の重職を1981年から1987年、1995年から2001年にかけて務めた。
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