共和党の指名大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 09:55 UTC 版)
「1899年ケンタッキー州知事選挙」の記事における「共和党の指名大会」の解説
共和党の知事候補になる可能性があるものは当初少なかった。1896年の大統領選挙で、ケンタッキー州では民主党候補のウィリアム・ジェニングス・ブライアンが18,000票差で制しており、1899年州知事選の場合も民主党が勝利する確かな前兆と見ていたからだった。4年間のブラッドリー政権に対して避けられない民主党からの攻撃に備えるだけでは興味が持てないという者もいた。さらにゴーベル選挙法のマシーンに敗北する見込みで尻込みする者もいた。しかし、党の指導者達は音楽ホールの大会で演じられた民主党の深い分裂に勇気づけられていた。現職州検事総長のウィリアム・S・テイラーが先ず出馬を表明し、間もなく州選出アメリカ合衆国上院議員のウィリアム・デボーからの支持を確保できた。その後、ホプキンス郡のクリフトン・J・プラット判事と現職州監査官サム・H・ストーンが出馬した。プラットはブラッドリー知事の推薦であり、ストーンは「レキシントン・ヘラルド」紙編集員サム・J・ロバーツが支持した。テイラーはゴーベルと同様に、熟練した政治組織者だった。郡代議員の間に強力な政治マシーンを作り上げることができ、指名は有力に思われた。 共和党の指名大会は7月12日にレキシントンで開催された。ブラッドリーは、党が真剣に候補者のことを検討しなかったことに怒り、出席しなかった。党内の黒人指導者はブラッドリーに従って独自の指名大会を開催すると脅した。これはテイラーが州の西部を代表していたので、いわゆる党内の「ユリの白人」派を代表すると考えられていたからだった。テイラーは、黒人指導者の1人を恒久的な大会秘書官とし、もし知事に当選した場合には黒人指導者を入閣させると約束することで、党を1つに纏めようとした。またブラッドリーの甥であるエドウィン・P・モローを州務長官に指名すると約束することで、ブラッドリーを党大会に戻って来させようともした。ブラッドリーはこの申し出を断った。監査官のストーンはテイラーの優れた組織を前にし、党が1つに纏まることを望むと宣言し、テイラーを全会一致で候補者に選ぶ提案を行った。プラット判事もこれに続いた。その他の指名対象者としては、ジョン・マーシャルを副知事候補に、ケイレブ・パワーズを州務長官に、プラット判事を検事総長に候補指名した。
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