2010年上院選
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2008年9月に世界的金融危機(リーマン・ショック)が発生したことをきっかけに、ケンタッキー州から全国的に広がった反税運動のティーパーティー運動(茶会)で政治活動に取り組み始める。ボストン茶会事件の記念日である2009年12月26日、ケンタッキー州選出の連邦上院議員ジム・バニングの引退により空席となった議席の獲得を目指して次期上院選に出馬することを宣言した。 共和党予備選ではケンタッキー州国務長官トレイ・グレイソンと対決することとなった。対抗馬のグレイソンはミッチ・マコーネルやルドルフ・ジュリアーニ、ディック・チェイニーやリック・サントラムなど共和党の著名人から支持を受け、ポールは当初苦戦を強いられていた。しかし、草の根キャンペーンで選挙戦を進め、保守派に強い影響力があるフォーカス・オン・ザ・ ファミリーのジェームス・ドブソンや、フォーブス誌のスティーブ・フォーブス、サラ・ペイリンらの支持を得て逆転勝利し、共和党の指名を勝ち取った。その後の本選挙では人工妊娠中絶に関する連邦上での禁止、減税や小さな政府などの保守的な方針を主張し、民主党の大統領バラク・オバマを批判した。 2010年11月2日、民主党候補のケンタッキー州司法長官ジャック・コンウェイ(英語版)に勝利し、連邦上院議員に初当選する。茶会から支持を受けた他候補の当選同様、ポールの勝利は「大きな勝利」と評された。
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2010年上院選
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2010年11月に行われた中間選挙で、デミントは早くから再選を期す考えを明らかにし、同年6月8日に実施された共和党予備選では83%の得票で圧勝・後任を獲得した。同年の中間選挙をめぐっては共和・民主両党で激しい現職・多選・高齢批判が渦巻いたが、デミントは保守運動・ティーパーティー運動に早い段階で理解を示し、共闘してきた経緯があるため圧勝につながった。同年11月の本選挙で民主党候補の2倍以上の得票を獲得して圧勝、2017年1月までの任期がスタートした。
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