2007年山梨県知事選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/29 02:56 UTC 版)
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2007年山梨県知事選挙(2007ねんやまなしけんちじせんきょ)は、2007年(平成19年)に実施された、山梨県知事を選出する選挙について記述する。
概要
現職知事の任期満了に伴い実施された選挙で、2007年(平成19年)1月4日に告示され、1月21日に投開票が行われた。
前回の選挙で初当選を果たした現職の山本栄彦に対し、8,969票差で敗れ当初は出馬しない意向であった横内正明が翻意し再度挑むことになり、実質この2人の一騎撃ちとなった。
前回では民主党や堀内光雄をはじめとする県内選出の自民党国会議員や山梨県議会議員の多くから支持を受け当選した山本であったが、政策の問題における県政の混乱が発生したことに加え、堀内が一時期党籍を追われたことや支援団体である山梨県教職員組合の政治資金規正法違反の影響から今回は民主党の県連からの支援に留まるなど苦戦を強いられることになった。一方で前回争っていた井上幸彦や山本の政策を検証していた検証機関ふるさと山梨を考える会、さらに保坂武や県連所属の83会のメンバーなど複数の自民党国会議員などから支持・支援を受けた横内は山本の政策を見直し独自の政策を強調した「ほっとけない運動」を展開し有利に選挙を進めていった。
そして投開票の結果、横内が山本を破り前回の雪辱を果たした。
立候補者
この選挙に立候補した者は以下の4名である。上述の通り事実上山本と横内による争いとなった。
候補者 | 年齢 | 党派 | 新旧 | 推薦・支持党派 | 前職・経歴 |
---|---|---|---|---|---|
横内正明 | 64 | 無所属 | 新人 | 財団法人土地総合研究所理事 衆議院議員(3期) | |
山本栄彦 | 71 | 無所属 | 現職 | 山梨県知事(1期) 甲府市長(3期) | |
石原秀文 | 63 | 日本共産党 | 新人 | 日本共産党 | 甲府共立病院医師 |
金子望 | 61 | 無所属 | 新人 | 竹中英太郎記念館主宰 電通社員 |
選挙結果
順位 | 候補者名 | 党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 供託金 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当選 | 1 | 横内正明 | 無所属 | 新 | 235,383 | 51.08% | ---- | |
2 | 山本栄彦 | 無所属 | 現 | 187,955 | 40.78% | 79.85% | ||
3 | 石原秀文 | 共産 | 新 | 24,203 | 5.25% | 10.28% | 没収 | |
4 | 金子望 | 無所属 | 新 | 13,315 | 2.89% | 5.66% | 没収 |
前回は開票率が90%台になるまで当確が出なかったほどの接戦であったが、今回は開票数分で当確が出るなど結果47,428票の大差で横内の勝利に終わった。市町村別に見ると前回山本の勝利に貢献した甲府市(前回約2万票差)と笛吹市(同約9千票差)でそれぞれ2千票しか差がつかなかったこと、また富士吉田市や山梨市など前回山本に票が入った所でも今回形勢が逆転するなど山本にとって苦しい状況であったことが改めて浮き彫りとなった。
一方で横内は地元韮崎市をはじめ南アルプス市や甲斐市、北杜市など票が見込める地域で着実に地盤を固めたほか、上記自治体で切り崩しを行うなど有利に選挙戦を展開していった。
出典
- ^ 山梨県知事選挙 投票状況 - 山梨県選挙管理委員会(2011年11月30日閲覧)
- ^ 山梨県知事選挙 得票表 - 山梨県選挙管理委員会(2011年11月30日閲覧)
2007年山梨県知事選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 00:04 UTC 版)
「山本栄彦」の記事における「2007年山梨県知事選挙」の解説
この状況で次の山梨県知事選挙の時期が迫り、2期目を目指し始動した山本であったが、この頃前の選挙に出馬した井上幸彦とその支援者有志により山本県政を検証する組織「ふるさと山梨を考える会」が発足。建設費120億円、維持費年5億円をかけながら有料入場者が低迷している山梨県立博物館や30年間の維持管理を含め230億円にものぼる山梨県立図書館、新直轄区間化により320億円の県民負担が新たに発生した中部横断自動車道など主に財政面について問題視し、これらについて山本に回答を迫った。これに対し山本は回答を行ったが「考える会」は明確な回答がなかったと判断し、次回県知事選挙は出馬しない意向を見せていた横内正明に出馬を要請する。横内は最初否定的態度をとったが、井上をはじめとする「考える会」の説得に加え前回も横内を支援した保坂武や赤池誠章・小野次郎・長崎幸太郎といった「83会」の国会議員も相次いで横内を支持したことから翻意して出馬を表明。前回同様実質横内との一騎撃ちとなった。 急遽出馬した横内に比べ準備期間に余裕があった山本であるが、前回の選挙で一定の票を得ていた井上が横内についたことから苦戦が予想され(横内が33%、井上が26%の得票率を得ており、合算すると59%と山本を大きく引き離す)、さらに前回公認を受けた民主党からは上述の山教組の件を理由に党本部としての公認を見送られ、前知事の天野は2005年に逝去、堀内や中島といった自民党国会議員も郵政国会による対立や混乱により影響力を失ってしまうなど、頼みの支援が限られたことも山本にとってマイナスとなっている。 県知事選挙の前哨戦と囁かれた2006年11月の韮崎市長選挙で山本が支援した現職の小野修一が横内の弟である横内公明に敗れ、焦りの色が見え始めた山本は選挙戦で1期4年における実績を強調する一方で不出馬の態度を翻意した横内を批判したが、横内の「ほっとけない運動」により実績の諸問題が露呈し、横内批判もこれまでの甲州選挙よりマニフェストを重視するようになった有権者からは敬遠された。山本は新たな政策を提言するも態度を二転三転させるなど陣営が混乱するうちに投票日を迎える。開票の結果選挙期間中の切り崩しにより187,955票と前回より2万票以上を上積みしたが井上票がついた横内との差を埋められるに至らず、47,428票差をつけられて落選。とりわけ前回当選の要因となった地元・甲府市ではわずか1,685票しか差がつかず、さらに前回は山本が優勢であった富士吉田市や山梨市などでも形勢が逆転。逆に前回横内が有利であった市町村のうち今回山本が有利であった所は当時の町長・小沢介三が鞍替えで支持を表明した南巨摩郡南部町のみであった。 山梨県の公選知事は天野久以降3期以上続いていたが、山本は初代公選知事の吉江勝保以来1期のみで県政を終了する知事となった。 詳細は「2007年山梨県知事選挙」を参照
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