2度の知事選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 07:00 UTC 版)
2002年12月、翌2003年に実施される山梨県知事選挙に立候補するため、衆議院議員を辞職。天野建知事の不出馬に伴う12年ぶりの新人候補による争いであり、当初は横内が優勢で選挙戦を展開したが、民主・自由2党の推薦を受けて立候補した山本栄彦前甲府市長が猛追。横内は自民党公認を得た上での出馬を望んだものの、当時自由民主党総務会長であった堀内光雄(山梨2区選出)および自民党山梨県連会長であった中島真人参議院議員が反発し、党公認を受けられなかった。開票85%の段階までは山本をリードしたが、甲府市の得票数で大敗したため終盤で逆転され、山本栄彦に8,969票差で敗北した。 詳細は「2003年山梨県知事選挙」を参照 知事選落選後、翌年の第20回参議院議員通常選挙に立候補する意向を表明したものの堀内や中島が再び反発し、自民県連からの公認が得られなかったことで山梨県選挙区からの出馬を断念。参議院比例区から立候補したが、この参院選では自民党は比例区で票数が伸び悩み、横内は当選に届かなかった。この時次期山梨県知事選不出馬を条件にしたため政治生命の危機に立たされることになった。 しかしこの間少数与党であった民主党主体の山本県政に対し自民党所属議員が多数であった山梨県議会が反発したことや山梨県立博物館完成や中部横断自動車道の早期着工など公約していた事業を急いだあまり県の借金が1兆円を突破したことで元々支持率の低かった山本知事への信頼が失墜、さらに山本知事の協力者であった輿石の支持母体である山梨県教職員組合の政治資金規正法違反の発覚や天野前知事の死去、郵政国会における堀内の下野やそれに関連して自民党本部自民党県連が対立したことで中島が県連会長を辞任するなど県政の混乱が発生する。これに対し前回の山梨県知事選に出馬した井上幸彦元警視総監が横内に次期知事選の出馬を促し、同郷の保坂武や赤池誠章、小野次郎、長崎幸太郎といった83会のメンバーもこれに同調したことから不出馬を翻意し知事選への出馬を表明する。横内は「ほっとけない運動」を展開して山本県政の批判と財政再建をアピールし、2007年前回一定の票を集めた井上の支援も功を成し、投開票の結果47,428票差で山本を破り山梨県知事に当選した。 詳細は「2007年山梨県知事選挙」を参照
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