20世紀末以降の探査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 01:41 UTC 版)
日本 1990年、日本の工学実験探査機ひてんが月を訪れ、月の軌道に到達した3番目の国になった。ひてんは孫衛星のはごろもを月軌道に投入したが、トランスミッターが故障し、以降の科学的な探査はほとんどできなかった。2007年9月、日本は「月の起源と進化に関する科学的なデータを収集し、将来の月探査に向けた技術を開発すること」を目的に月周回衛星かぐやを打ち上げた。かぐやは1年8か月にわたって月周回軌道で観測を続け、2009年6月11日に月面に衝突した。 米国、欧州 アメリカ航空宇宙局は、1994年に探査機クレメンタインを打ち上げた。クレメンタインは月周回軌道で2か月間観測を行った後、小惑星の観測に向かおうとしたところで故障した。1998年にはルナ・プロスペクターを打ち上げた。ルナ・プロスペクターは1年半にわたって月周回軌道で観測を続けた後、月面に衝突した。 欧州宇宙機関は2003年9月27日に、小型で安価な月周回探査機スマート1を打ち上げた。スマート1の当初の目的は月表面の三次元X線画像、赤外線画像を撮ることだった。スマート1は2004年11月15日に月周回軌道に入り、2006年9月3日まで観測を続けて、衝突時の噴煙を観測するため、意図的に月面に衝突した。 中国 中華人民共和国は、資源の採取、特に地球のエネルギー源になりうるヘリウム3の採取の可能性を研究する嫦娥計画を開始し、2007年10月24日に月周回衛星嫦娥1号を打ち上げた。嫦娥1号は1年以上にわたって月周回軌道で観測を続け、2009年3月に月面に衝突したとされる。2010年10月1日には嫦娥2号を打ち上げた。そして2013年12月1日に嫦娥3号を打ち上げ、同月14日に月面に軟着陸、月面探査機(無人月面車の「玉兎号」)を切り離したことを発表した。 嫦娥4号の計画概要は2016年1月に公開された。地球と月のラグランジュ点に中継衛星を配置し、月の裏側に嫦娥4号と玉兔2号を軟着陸させる、というものである。嫦娥4号は2018年12月8日に打ち上げられ、2019年1月3日、月の裏側・東経177.6度、南緯45.5度に着地したことで、人類史上初の月の裏側への着陸となった(これで計画の第一段階がまず成功)。植物や植物の種、ミバエの卵やイースト菌といった生物が搭載され、実験が行われている。 嫦娥5号は2020年11月に打ち上げられ、12月06日に中国初の、月軌道上でのドッキングに成功、12月17日に帰還機は地球に着陸し、合計1731gのサンプルが確認され、中国初のサンプルリターンに成功した。 インド インド宇宙研究機関は、2008年10月22日に無人の月周回衛星チャンドラヤーン1号を打ち上げた。当初は月の軌道を2年間周回し、月の三次元地図を作ることや月面の化学地図、鉱物地図を作ることを目的としていた。この探査機は2008年11月14日15時4分(GST)に月に到着し、インドは月に到着した4番目の国になった。不幸なことに、2009年7月にチャンドラヤーン1号の姿勢制御用スターセンサが故障した上、8月には本体が過熱したために通信が途絶し、わずか10か月で早期にミッションを終了した。
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