20世紀末~現在のチャムの人口
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「チャム族」の記事における「20世紀末~現在のチャムの人口」の解説
1999年のベトナム社会主義共和国人口住居センサス(民族別人口統計)によれば、チャムの人口は約10万人であった。宗教別人口統計に基づくその内訳は、南中部(ビンディン省、フーイエン省)にフロイが約1万人、中部南端(ニントゥアン省・ビントゥアン省)にバチャムが約4万人、バニーが約3.5万人、イスラーム(シャーフィイー)が約5000人、南部のタイニン省・ホーチミンシティーとアンザン省にシャーフィイー集団が約1万人(トータルで約1.5万人、この中にはチャム語を話さないチャヴァクーを含む)であった。このころ、カンボジア国内には、正確な統計はないものの、ムスリム(チャム、ムラユ、チャヴァクーを合わせて)約20万人が暮らしているといわれていた。 20年後、2019年のベトナム人口住居センサス(民族別人口統計、pp.43–44)によれば、チャムの人口は約18万人である。宗教別人口統計(p.211)から推測したその内訳は、フロイが約2万人、バチャムが約7万人、バニーが約6万人、イスラーム(シャーフィイー)が約3万人である。国内移動・就労の自由が大幅に緩和されたことから、若者を中心に、地方に住民票を置いたまま、ホーチミンシティーとその衛星都市で暮らす者が増え、地方在住のチャムは実質的に人口減少をおこしているが、センサスにはそのことが反映されていないと考えられる。カンボジア政府は民族別人口統計を公表していないが、2013年の カンボジア王国インターセンサル人口調査最終報告 は宗教別人口比率を公表している。それによれば、2008年から2013年までの5年間で、国内のムスリム人口の比率は、総人口の伸びに反比例して極端に低下しており(2008年:1.9%→2013年:1.1%)、人口比率から推測したカンボジア・チャムの人口は、同時期のベトナムとほぼ同じ約16万人であり、2020年現在もベトナムとほぼ同じ約18万人と推測される。この人口減少も、南タイやマレーシアなど海外での就労の機会が増えたことから、若者を中心に国外で暮らす者が増えたためと考えられる。 ベトナム・カンボジア両国において、チャヴァクーを除くチャムは、学校や職場などの公的な空間では公用語であるオーストロアジア系のベトナム語やクメール語を話し、村落ではオーストロネシア系チャム語支のチャム語を使用する。文字として、ベトナム式ローマ字(クオックグー文字)、クメール文字のほか、アカンシャハ、フルフジャウィーなどいくつかの書体のチャム文字(インド文字及びアラビア文字)を使用する。アラビア語表記に使用する文字はアカンジャヴァーといい、フルフジャウィーとは峻別される。呪文などに使用する文字はアカンリッと呼ばれ、古ジャワ文字や、現代クメール文字のムール体に非常に近い。チャム語支にはチャムとフロイのほかジャライ、エデ、ラグライ、チュルーなどの山地民族が含まれ、チャム語支の話者人口は総勢100万人近い。このほか、チャムとのクレオールだったベト族のキンキュウ人、クメール語の方言を話すシャーフィイー法学派のチャヴァクー(ジャワクル)や、宋代に中国海南島に移住した回族(烏占人、いまはハナフィー法学派に属する)も広義のチャムである(en:Utsulの項目を参照)。前マレーシア連邦首相アブドラ・バダウィは近代に海南島から彼南島(プラウ・ペナン)に移った海南チャム(en:Abdullah Ahmad Badawiによると父方の曾祖母=父方の祖父の母)の後裔である。南タイ(パタニ県周辺)及び北マレーシア(クランタン州周辺)に、19世紀以降に移住したチャムが、1975年以降にベトナム・カンボジアから渡来したチャム難民の子孫や、2000年以降に主にカンボジアから渡来したチャム労働者たちと混ざり合って生活している。
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