2代目・コスモAP/コスモL(1975年 - 1981年)
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「マツダ・コスモ」の記事における「2代目・コスモAP/コスモL(1975年 - 1981年)」の解説
1981年に登場した、3代目コスモは4代目ルーチェと姉妹車になった。ボディバリエーションは3種類を揃えたが、それぞれの登場時期は複雑で、まずは9月1日に2ドア・ハードトップが先行発売され、1ヵ月後の10月1日に4ドア・ハードトップ、2週間後の10月16日に4ドア・サルーン(セダン)とロータリーエンジン搭載車がそれぞれ時期をずらして発表された。空力に配慮されたデザインが特徴であり、ハードトップは4灯式のリトラクタブル・ヘッドライトを持つ。中でも2ドアのCd値は当時としては世界トップクラスの0.32を記録していた。エンジンは当初、従来型と同じMA型4気筒2,000ccレシプロエンジン(EGIおよびキャブレター仕様)のみが先行発売されたが、2,200ccディーゼルエンジン(サルーンのみ)、12A型ロータリーエンジン(573cc×2)も10月16日の4ドア・サルーンと同時に追加された。 12A型ロータリーエンジンは新たに6PI(シックス ピー アイ)と名付けられた、6ポート・インダクションを採用、これは従来1ローターあたりプライマリーポート、セカンダリーポートと吸気ポートを2つ(2段階)設けていたものを、新たにセカンダリーポートをメインポートと排圧で開閉する補助ポートとに分割し、1ローター毎3ポート(3段階)、2ローターで計6ポートとしていた。これにより回転数や負荷に見合った吸気タイミングの最適化を図り、燃費や出力の向上を謳っていた。 1982年9月、12A型ロータリー・ターボ車を発売(ルーチェとともに世界初)。「全域・全速ターボ」と名付けられたこのエンジンは、1982年当時の国産車の中ではトップクラスの性能を誇り、1980年代に行われる高性能戦争へ先鞭をつけた。 インテリアでは、デジタルながら面積変化で情報を伝えるスピードメーター、サテライトスイッチの影響が見られるメーターナセル両端に配したエアコン、灯火類、ワイパーなどのスイッチ、カセットテープ(コンパクトカセット)を見せるデザインの正立型トランスポートを採用したカーオーディオ(三菱電機と共同開発)、シートバックの中折れ機構などに特徴がある。 自動車ジャーナリストの三本和彦は、1982年9月にコスモ・ロータリー・ターボを自動車ジャーナリスト3人で茨城県筑波郡谷田部町(現・つくば市)の日本自動車研究所において、谷田部24時間耐久テストを行った。高速耐久トライアルとしては2000GTによるものが有名であるが、6時間時点での2000GTの新国際記録210.42km/hを上回っている(最終的に2000GTは、72時間で平均206.02km/h)。 1983年10月、マイナーチェンジ。個性的なデザインからかルーチェともども販売が芳しくなく、4ドア・ハードトップのフロントマスクを一般的な固定式ヘッドライトへと変更した。同時に4ドア系に13B型ロータリー・スーパーインジェクション車を設定する。なお、2ドア・ハードトップは従来のリトラクタブル・ヘッドライトを継承した。 1984年9月、2ドア・ハードトップをマイナーチェンジ。「GT」以外の改良を行い、4ドア同様の固定式ヘッドライトに替えられる。 1985年5月、モデル末期のグレード整理とテコ入れとして、レシプロエンジン車に「ジェンティール」シリーズを投入。 1986年9月、ルーチェがモデルチェンジされるとともにコスモは4ドア・サルーンを廃止し、2/4ドアハードトップのみに整理。1990年4月のユーノスコスモ登場まで継続生産する。 1988年10月、ボディーカラー一部差し替え 1990年4月、ユーノスコスモの登場により、3代目の生産終了。 4ドアハードトップ2000 EGI XG-Xリア 4ドア ロータリーターボリミテッドリア 3代目コスモ12A型ターボエンジン 3代目コスモ ダッシュボード 3代目コスモ 中折れシート
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