2つの大戦への貢献と続く差別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:08 UTC 版)
「アフリカ系アメリカ人公民権運動」の記事における「2つの大戦への貢献と続く差別」の解説
1917年よりアメリカも連合国の1国として参戦した第一次世界大戦では、陸軍では黒人のみで編成された「黒人部隊」が存在した。海軍でも多くの黒人兵士が軍隊内の人種差別の中で下級兵士として参戦し、アメリカはもちろんのことイギリスや日本、フランス、イタリアなどの連合国の勝利に大きく貢献した。しかし体制に大きな変化はなかった。 その後アメリカが「自由で平等な民主主義の橋頭保」を自称して、1941年12月より連合国の1国として日本やナチス・ドイツ、イタリアなどの枢軸国に参戦した第二次世界大戦においても、黒人兵士が戦線で戦う場合は「黒人部隊」としての参戦しかできなかった上に、海軍航空隊および海兵隊航空隊から黒人は排除されていた。さらに陸海軍においても黒人が佐官以上の階級に任命されることは殆どなかった。ある陸軍の将官が「黒んぼを通常の軍務に就かせたとたんに、全体のレベルが大幅に低下する」と公言した ように、アメリカ軍内には制度的差別だけでなく、根拠のない人種差別的感情も蔓延していた。 これは銃後のアメリカ国内も同様で、「アメリカが戦争に勝っても人種差別が解消されない」、「有色人種国で、かつ第一次世界大戦後に行われたパリ講和会議で人種差別の解消を訴えた日本が勝利したら黒人の待遇が改善する」と考える多くの黒人に対する戦意高揚活動を行い、黒人向けに黒人将兵による活躍を描いたプロパガンダ映画を製作する傍ら、軍当局は他のプロパガンダ映画において黒人兵士や士官を映さないように指示するなど、政府や軍による差別的な扱いは続いた。 その上に、第二次世界大戦におけるアメリカの同盟国で、連合国の1国であったものの、「白豪主義」と呼ばれるように伝統的に白人至上主義傾向が根強いオーストラリアは、当初アメリカ軍の黒人兵の自国への上陸を拒否するなど、黒人兵はアメリカ軍内のみならず一部の人種差別的な同盟国からも差別的な待遇を受けることとなった。 この様な状況下にあったものの、第二次世界大戦にアメリカが参戦する直前の1941年8月には、アフリカ系アメリカ人最初の将官として、ベンジャミン・デービス・シニア(英語版)陸軍准将が任命された ほか、多数の黒人兵が第二次世界大戦に参戦し、ヨーロッパ戦線を中心にドイツやイタリアなどの枢軸国軍との戦闘で多数の犠牲を出し、連合国軍の勝利に大きな貢献をした。 大戦後期には、陸軍航空隊で黒人の戦闘機パイロットを中心とした332部隊が登場し、ドイツ空軍との戦いの中でウェンデル・O・プリューイット(英語版)大尉やロスコー・C・ブラウン(英語版)大尉、チャールズ・マクギー(英語版)大尉やリー・アーチャー(英語版)中尉など、複数のエース・パイロットを生むなど大活躍した。さらに第二次世界大戦終結後には、日本やドイツ、イタリアなどの占領任務にも多くの黒人兵士が参加した。
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