2つの失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:32 UTC 版)
立川町ではこの悪風を逆手にとり町おこしに活用すべく、山形大学農学部教授の羽根田栄四郎の発案により、清川だしで風力発電を行い温室栽培に活用する構想を進めることとなった。田澤一二町長や山形大学の教授らを中心に「立川町風エネルギー実用化実験事業」を開始、1979年に当時最も信頼性の高かった1kWの山田式小型風車を設置し、翌1980年(昭和55年)から1985年(昭和60年)にかけての5年間で、町単独事業として温室ハウスによる農業利用試験を行った。しかし山田式風車は設置の翌年に強風に耐えられず羽根が破損して吹き飛ばされるなど、終始不調に終わった。一方同じ頃、オイルショックによる教訓から科学技術庁でも新エネルギーの開発構想(サンシャイン計画)があった。風力発電はメインの研究ではなかったが将来の可能性を探る総合研究の対象となり、同庁と新エネルギー総合開発機構(NEDO)による全国10か所の風力発電のモデル事業地のひとつとして立川町が選定された。この実験事業は山形県の県花にちなみ「コミュニティ・エネルギー・プロジェクトべにばな計画」と名付けられ、1981年(昭和56年)からの5年間に住友精密工業製の5kW風力発電機2基を豚舎の暖房に用いる試験などに取り組んだ。だがこの住友製風車も1986年冬に発生した地吹雪に吹き飛ばされてしまった。両事業とも修繕を繰り返しつつ継続されたものの、変化に富んだ自然環境に対応しきれず機器トラブルが続発するなど稼働率が年間の3分の1に留まったことで実用化には至らず、事業終了後は観光用程度にしか利用できなかった。これらの失敗により、全国的にも日本の風は風力発電には適さないとの評価が定着してしまった。
※この「2つの失敗」の解説は、「立川町の風力発電」の解説の一部です。
「2つの失敗」を含む「立川町の風力発電」の記事については、「立川町の風力発電」の概要を参照ください。
- 2つの失敗のページへのリンク