1995年から2002年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:51 UTC 版)
「北朝鮮核問題の年表」の記事における「1995年から2002年まで」の解説
1996年9月15日-9月18日:北朝鮮の武装工作員がサンオ型潜水艦を用いて密入国し、韓国へ浸透攻撃。(江陵浸透事件)。 1997年2月:稼働している工場は屑鉄の山を産みだしている軍需工場だけで5年以内の北朝鮮崩壊目前であったため、「主体思想の代父」と呼ばれた北朝鮮幹部黄長燁朝鮮労働党秘書が韓国に亡命し、「私が望むのは北朝鮮の人民を一日も早く飢餓から救い、祖国の平和的統一を成し遂げることだ」として北朝鮮の民主化運動支援開始。北朝鮮の核開発に失望していた金泳三大統領は歓迎した。しかし、数ヶ月後の北朝鮮支援を主張する太陽政策論者の金大中大統領への政権交代による韓国政府の約束違反で「招かれざる客」として入れ替わるように冷遇され、盧武鉉政権発足後の2003年には韓国政府機関から呼びつけや追い出しなど苦難を受ける。「悲運の亡命者」となって、北朝鮮の融和を主張する韓国政府によって訪米を禁止されて北朝鮮から命を狙われ続け、北朝鮮の崩壊を最も望む国は韓国だと信じていたが、韓国は北朝鮮の崩壊を防ぐための金正日政権を支援する国だったと回顧 12月18日:大統領選挙に北朝鮮への融和主張する金大中当選。 1998年4月:金大中大統領は「南北経済協力活性化措置」を発表。韓国企業に対北朝鮮事業を積極的に奨励。 6月22日:韓国海軍が韓国江原道束草で漁網に引っかかった北朝鮮のユーゴ型潜水艇の中から秘密文書や機器などを処分後に工作員に射殺された乗組員5名と、その後自決と見られる工作員4名の計9体の遺体発見。 1999年6月15日:第1延坪海戦。 2000年6月9~12日:韓国の金大中政権が現代グループを通じて4億5000万ドル(約450億円)を北朝鮮へ違法送金。6月11日に現代商船が調達した2億ドルは金正日の海外秘密資金口座である中国銀行のマカオ支店の「DAESUNG BANK-2」名義の口座、他には東北アジア銀行のシンガポール口座などへと送金。朝鮮労働党39号室も関わっていたことが後の韓国における2003年の対北不法送金事件の捜査で発覚。金大中大統領もメディアのインタビューで関与を認めた。対北送金の特別検察は首脳会談との関連と送金違法性のために、関連者に執行猶予を含む有罪判決。後に関係者に恩赦 6月13~15日:韓国政府が5億ドル(約530億円)を北朝鮮に供与したことで初の南北首脳会談開催。韓国の金大中大統領は金正日総書記による南北首脳会談で南北共同宣言を発表し、陸路での金剛山観光や開城工業団地の稼働など韓国からの経済協力事業が次々と開始される。 2001年:金大中政権が3000億ウォンの追加対北送金のために国家機関と6つの都市銀行を動員。金正恩はスイスから帰国し、3月に「毎日のように馬に乗り、ローラーブレードもし、バスケットもし、夏にはジェットスキーをし、プールで遊んだりもするが、一般の人民はどのように暮らしているのか」と発言。後の執権後の北朝鮮国内の現実とかけ離れた指示をしていることから専門家から北朝鮮の庶民のことを知らないことの裏付けと指摘。
※この「1995年から2002年まで」の解説は、「北朝鮮核問題の年表」の解説の一部です。
「1995年から2002年まで」を含む「北朝鮮核問題の年表」の記事については、「北朝鮮核問題の年表」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から1995年から2002年までを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から1995年から2002年までを検索
- 1995年から2002年までのページへのリンク