1995年の侵攻
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1995年9月20日、アメリカ陸軍予備軍(英語版)の第478民事大隊が、外国の島に侵攻することを想定した訓練を行うことが報告された。その内容は、キーウェストに上陸して、島民が外国人であるかのように業務を行うというものだった。しかし、この訓練についてキーウェスト市の関係者に対する478大隊からの連絡はなかった。 ワードロウ市長は、これは1982年の「分離独立」以来の宣伝のチャンスと考えた。そして、市民を動員し、スクーナー「ウエスタン・ユニオン(英語版)」を出し、水風船、コンクフリッター、キューバパンで沿岸警備隊のカッターを攻撃した。沿岸警備隊は消火ホースで応戦し、すぐに戦闘は終了した。キーウェスト市は、市に相談せずにこの演習を手配したことを国防総省に抗議した。翌日、478大隊の大隊長は「コンク共和国の主権に挑戦したり、侮辱したりするつもりは全くなかった」と謝罪し、9月22日に降伏式を行った。 1995年・1996年のアメリカ合衆国政府閉鎖(英語版)の際、キーウェストのドライ・トートゥガス国立公園にあるジェファーソン砦(英語版)も閉鎖されたが、コンク共和国は抗議の意味を込めて、ジェファーソン砦にコンク海軍・民間・消防の船団を出動させ、砦を再開させた。この行動をコンク共和国は「全面侵攻」(full scale invasion)と呼んだ。政府閉鎖中もスミソニアン協会が個人の寄付によって博物館を開館し続けているという取り組みに倣って、キーウェストでも国立公園を維持するための寄付を募ったが(公園が閉鎖されると、観光客に依存した地元経済にダメージを与えるため)、寄付は集まらなかった。 関係者が砦の中に入ろうとしたとき、警告を受けた。翌年、裁判でこの違反行為が争われたが、すぐに裁判は取り下げられた。
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