1987年民主党予備選挙
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「ウォレス・ウィルキンソン」の記事における「1987年民主党予備選挙」の解説
1985年4月、ウィルキンソンは1987年知事選挙に先立って選挙委員会を結成した。ウィルキンソンは州内で比較的知名度が低かったので、最初に出馬表明した候補者となった。この予備選挙には、元州知事であるジョン・Y・ブラウン・ジュニアとジュリアン・キャロルの2人、現職副知事のスティーブ・ベッシャー(後に2007年と2011年の州知事選挙で2期連続当選した)、マーサ・レイン・コリンズ州知事の閣僚であるグラディ・スタンボを合わせ、5人が出馬した。この選挙戦初期ではブラウンが有力候補であり、ウィルキンソンは最下位候補だった。ウィルキンソンは私財で選挙戦を運営し、選挙参謀のダニー・ブリスコーが選挙コンサルタントを雇って、州の浮動票が大規模に集中する地域を攻めるよう提案した。ウィルキンソンは何人か面接した後にジェイムズ・カービルという当時は無名の政治コンサルタントを雇った。カービルは後にビル・クリントンの1992年大統領選挙を取り仕切って成功させた。 予備選挙で第二位を走っていると見なされたベッシャーは、その選挙運動の多くを使ってブラウンを攻撃し、ブラウンは時間と資源の多くを使ってベッシャーの攻撃に反応した。一方ウィルキンソンは政治の消息通として対抗馬全てを攻撃し、一方で貧乏の中から財政的成功者として立ち上がった自分を宣伝した。現職知事マーサ・レイン・コリンズがトヨタ自動車組立工場を誘致するために提案した包括インセンティブを、ケンタッキー州を「国際的笑い者」にした州の「大きな過ちと恐ろしい取引」だと言った。またブラウンとベッシャーは税を上げるであろうと主張し、自分は高い税金への代案として州営宝くじを提案して、州の金庫に年間7,000万ドルを入れると言った。この提案は州北部で特に人気を上げた。そこの住人は隣接するオハイオ州に行って、州営宝くじを買うことが日常化していた。ウィルキンソンはまた教育全体の改革を提案し、ケンタッキー州の子供達は「学習が問題ではなく、学校に問題があるのだ」と語った。過去2期州知事を務めたA・B・"ハッピー"・チャンドラーがウィルキンソンの支持を表明してさらに選挙戦に拍車をつけた。 4月下旬、世論調査ではブラウンがまだ20%のリードを保っていた。しかし、ベッシャーが世論調査で落ち始めていたので、ウィルキンソンは上昇傾向にあった。メモリアルデイ(5月の最終月曜日)週末までに、2位に上昇していた。ブラウンは投票日の1週間前までほとんどウィルキンソンを無視していたが、ウィルキンソンが州営宝くじで上げると言っていた金額を問題にする広告を打つようになった。開票の結果、ウィルキンソンが総投票数の36%を獲得し、26%のブラウン、18%のベッシャー、12%のスタンボ、6%のキャロルを破って公認指名を勝ち取った。この予備選挙戦全体で、ウィルキンソンは記録破りの400万ドルを使っていた。ケンタッキー州の歴史家トマス・D・クラークは、ウィルキンソンが選挙戦で惜しみなく金を使ったことで、議会が選挙費用改革法を採用することになったと言っている。
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