1987年愛知県議会議員選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 23:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動1987年愛知県議会議員選挙は、1987年4月12日に執行された愛知県議会の議員を改選するための一般選挙。第11回統一地方選挙の一つとして実施された。
概要
県議会議員の任期4年が満了したことに伴って行われた。この選挙から以下のように選挙区と定数が変わった。全体を合わせて定数は1つ増え「107」となった。
- 「名古屋市瑞穂区選挙区」(定数3) → 定数2に減った。
- 「名古屋市熱田区選挙区」(定数2) → 定数1に減った。
- 「名古屋市天白区選挙区」(定数1) → 定数2に増えた。
- 「小牧市選挙区」(定数1) → 定数2に増えた。
- 「愛知郡選挙区」(定数1) → 定数2に増えた。
59選挙区107議席に対し178人が立候補した。そのうち8選挙区で8人が無投票当選となった[1]。投票率は54.10%で、1983年の前回選の投票率(55.88%)を1.78ポイント下回り、過去最低を記録した[2]。
基礎データ
- 選挙事由:任期満了
- 告示日:1987年4月3日
- 投票日:1987年4月12日
- 議員定数:107人
- 選挙区:59選挙区(うち8選挙区で無投票)
- 候補者数:178人(うち8人が無投票当選)
選挙結果
党派 | 計 | 新旧別 | 無投票 当選 |
||
---|---|---|---|---|---|
現職 | 元職 | 新人 | |||
自由民主党 | 59 | 51 | 0 | 8 | (7) |
民社党 | 17 | 10 | 1 | 6 | |
日本社会党 | 14 | 7 | 0 | 7 | (1) |
公明党 | 7 | 6 | 0 | 1 | |
日本共産党 | 3 | 1 | 1 | 1 | |
無所属 | 7 | 3 | 0 | 4 | |
107 | 78 | 2 | 27 | (8) |
当選者
無投票となった選挙区
年表
脚注
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1987年愛知県議会議員選挙
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「柴田紘一」の記事における「1987年愛知県議会議員選挙」の解説
1985年(昭和60年)4月、前述の衆院選で逮捕された中根薫県議が上告棄却を受けて辞職。市議の柴田、市議の青山秋男、元衆議院議員秘書の内田康宏らは同年秋頃から空いた議席を狙い運動を開始する。1986年(昭和61年)、柴田の事務所が百々西町に建てられた。 現職の柴田尚道に加え、柴田紘一、青山、内田の3新人が公認争いを演じ、結局調整できなかった自民党岡崎市支部は県連に一任。県連は定数いっぱいの4人を公認することで問題に決着をつけた。 1987年(昭和62年)3月、共産党現職の田中定雄が病にたおれる。党西三地区委員会は田中の後継として急遽、市議の八田広子の擁立を決定。この頃、社会党も女性候補擁立に急いでいたが、不首尾に終わった。 同年4月3日、県議選が告示される。前年に初当選した衆議院議員の杉浦正健は表向き4候補を推薦したものの、自派の柴田尚道と柴田紘一を主に応援した。尚道は自民党市議27人のうち14人を味方につけるが、折悪しく選挙期間中に病気になる。4月12日投開票。1位小見山徹之助(民社党)、2位八田広子(共産党)、3位内田康宏、4位柴田紘一。次点の柴田尚道を594票差でかわし、初当選を果たした。青山は最下位で落選した。 同年4月15日までに柴田の陣営の幹部ら3人が公選法違反で逮捕される。容疑では同年2月上旬、選対事務局長ら2人が選対企画担当に投票と票のとりまとめを頼み、現金数十万円を渡したとされた。連座制を規定する公職選挙法251条の2は「公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者」を対象としているが、事件当時は法改正される前であり「公職の候補者」とのみ記されていた。また、この言葉を字義どおりに解釈する最高裁判所昭和35年2月23日判決があったため、柴田は起訴を免れた。 1999年(平成11年)の県議選で4選。同年5月24日、副議長に就任。
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