1985年-1991年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 17:50 UTC 版)
「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」の記事における「1985年-1991年」の解説
1985年、『半分人間(原題:"Halber Mensch")』をリリース。曲の構成がより明確になり、断片的な言葉の叫びから詩的なメロディーまでもを行き来するブリクサの歌詞とヴォーカルが特徴的であった。 この年には初来日を果たしている。この際、主催者は公演会場を探す為に全国紙で『廃墟求む』という広告を出し、ニュースで取り上げられるなど話題を呼んだ。諸事情により、結局公演は後楽園ホールと大映京都撮影所で行われた。 1986年からはカナダのバンクーバーを皮切りに3度目の北米ツアーを行う。バンクーバーでのライブは、ゲーテ・インスティトゥート(ドイツ文化センター)後援のもと、万博(EXPO’86)の公式演目として行われた。テスト・デパートメント(英語版)やスキニー・パピーの出演も計画されていたが、一部の演奏は適わなかった。一方、日本では石井聰亙監督による映画『半分人間 アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン ("Halber Mensch")』が公開された。この1時間のドキュメント映画は1985年に来日した際に収録された廃工場でのライブ、舞踏家集団「白虎社」のパフォーマンスから構成されており、1985年の日本ツアーの様子が一部収められている。 続く2枚のアルバム、『上向地震波上五(原題:"Fünf auf der nach oben offenen Richterskala")』(1987年)と 『嘘の館(原題:"Haus der Lüge")』(1989年)はアメリカと日本で好セールスを収めた。特に『嘘の館』は、ロック色やメロディを強調した路線への転換期とも言える作品となった。1989年には2度目の来日。浅草公園六区の浅草常盤座で行われた。 1991年、ハイナー・ミュラーの戯曲『ハムレットマシーン』のサウンドトラックを制作する。これまでパンク/インダストリアルスタイルで身を固めていたブリクサがコンサートにスーツ姿で登場するなど、バンドのイメージにも変化が見られた。 7月に3度目の来日もはたしている。同年には、2枚組の大作『"Strategies Against Architecture II"(対建築物戦略II)』を発表した。
※この「1985年-1991年」の解説は、「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」の解説の一部です。
「1985年-1991年」を含む「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」の記事については、「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」の概要を参照ください。
1985年 - 1991年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/07 13:44 UTC 版)
「ハート・ファウンデーション」の記事における「1985年 - 1991年」の解説
1985年、WWFでブレット・ハートとその義兄であるジム・ナイドハートによって結成される。マネージャーはジミー・ハートが務めた(同姓だが、彼はハート・ファミリーとの血縁関係は無い。なお、ジミー・ハートは1983年頃、テネシー州メンフィスのCWAでナイドハートのマネージャーを担当していた)。 当初はヒールのチームとして、ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)やキラー・ビーズ(ジム・ブランゼル&ブライアン・ブレアー)と抗争を繰り広げた。その後、悪徳レフェリーのダニー・デービスとも結託、1987年1月26日にはWWF世界タッグ王座をブリティッシュ・ブルドッグスから奪取する。同王座は同年10月26日にストライク・フォース(ティト・サンタナ&リック・マーテル)に敗れるまで保持した。 王座陥落後の1988年からはベビーフェイスに転向し、ジミー・ハートやデービスとも決別。以降はWWFを代表するタッグチームとしてタッグ戦線の中心で活躍し、1990年8月27日のサマースラムにてデモリッション(スマッシュ&クラッシュ)を破り、再びWWF世界タッグ王座を獲得した。王座戴冠後はジミー・ハートがマネージャーを務めるナスティ・ボーイズ(ブライアン・ノッブス&ジェリー・サッグス)と抗争、1991年3月24日のレッスルマニア7で防衛戦を行うが、ジミーの干渉により王座を失う。これを機にハート・ファウンデーションは解散、ブレットはシングルプレイヤーに転向し、ナイドハートはオーエン・ハートとの新チーム "ニュー・ファウンデーション" を経て1992年にWCWへ移籍した。
※この「1985年 - 1991年」の解説は、「ハート・ファウンデーション」の解説の一部です。
「1985年 - 1991年」を含む「ハート・ファウンデーション」の記事については、「ハート・ファウンデーション」の概要を参照ください。
- 1985年-1991年のページへのリンク