1985年 - 1992年 「はっきりいってライオンズびいきです!!」
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「文化放送ライオンズナイター」の記事における「1985年 - 1992年 「はっきりいってライオンズびいきです!!」」の解説
1985年(昭和60年)以降はバラエティ番組を改め、一般的なナイター中継と同様の放送体制となったが、「はっきりいってライオンズびいきです!!」をキャッチコピーにアメリカンスタイルと呼ばれるライオンズ一辺倒の応援実況・解説を行う過激な放送で、日本のラジオ野球中継放送に革命を起こし、広く知られるようになる(特に、戸谷真人の過激な実況は語り草となった)。ライオンズ応援というスタンスはそのまま継続し、現在に至っている。その独自の放送スタイルは、後に各地方毎の地元球団応援の中継放送を次々生み出すという影響ももたらした。戸谷によれば、これは当時ディレクターを務めた門口伯康の発案で、「巨人一辺倒をひっくり返そうよ、数字取るよりも、メジャーリーグ中継みたいに、監督の批判もしちゃうような面白い中継を日本でも目指そうよ」という理由から始まったものだという。この西武びいきのスタイルには相手チームからの大反発もあったものの、パ・リーグの試合を伝える貴重な存在として次第に認知され始めていく。 ライオンズ応援企画では、かつては「Vのシナリオ」(歌:ばんばひろふみ・梶原茂)という曲をホームランを打った時や投手が登板した時に流したり、相手投手をKOした際に流すノックアウトテーマ、ライオンズが勝利した時に流すファンファーレもあった。1991年5月に、ライオンズナイターのエンディングテーマ「明日」とライオンズ応援ソング「新Vのシナリオ」(歌:シネマストリートキッズ)がシングル8cmCDとして発売された。「新Vのシナリオ」は森祇晶監督当時のライオンズ黄金時代の選手が背番号順に歌われている。 1985年以降、文化放送はライオンズ主催試合のラジオ優先放送権(春期および秋期のライオンズのキャンプ取材したものの放送を含む)を取得およびラジオ放送権管理をしている。ライオンズ主催試合はNRNが放送権を独占しているヤクルト主催試合と異なり、ニッポン放送など他社でも中継をされてはいるが、文化放送の許諾を受けなければ放送はできない。このため、文化放送以外の在京局のナイター中継番組では、主に全国中継における本番カード雨天中止時の予備カードで、ライオンズ主催試合については順位を下げられている。NHKのラジオ中継では、本番カードとしてライオンズ主催試合を2018年までは文化放送と並列放送することがあった。
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