1985年-1991年:OS/2の消長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 04:21 UTC 版)
「マイクロソフトの歴史」の記事における「1985年-1991年:OS/2の消長」の解説
1985年、マイクロソフトの最初の国際生産施設がアイルランドに設立された。同年11月20日、マイクロソフトはMicrosoft Windowsの最初のバージョンを発売した。当初、これはMS-DOSオペレーティングシステムのグラフィックを拡張したものであった。8月、マイクロソフトとIBMはOS/2と呼ばれる新しいオペレーティングシステムの開発で提携を結んだ。OS/2は、IBMの独占するIBM PS/2と呼ばれる新しいハードウェアとともに発売された。1986年2月16日、マイクロソフトはワシントン州レドモンドに移転した。およそ1ヶ月後の3月13日、マイクロソフトは株式を公開し、一株あたり21.00米ドルで6100万米ドルの資金を集めた。その日の終わりには、株は28.00米ドルにまで上昇していた。1987年、マイクロソフトはOS/2の最初のバージョンをOEMにリリースした。 一方、マイクロソフトは優れたオフィス製品を発表し始めた。Microsoft Worksには、ワードプロセッサ、表計算、データベースなどのオフィスアプリケーションに見られる機能が統合された。Worksは、Macintosh向けのアプリケーションとして1986年の末に発売された。Worksは後に、Microsoft WordやMicrosoft Bookshelf(1987年に発表された辞書ソフトウェアで、マイクロソフト初のCD-ROM製品)などの他製品とともに発売されることになった。後に、1989年8月8日、マイクロソフトは最も大きな成功を収めたオフィス製品であるMicrosoft Officeを発表した。Worksと異なり、OfficeはMicrosoft WordやMicrosoft Excelなどの、個別のアプリケーションの集合であった。WordやOfficeはほとんどマイクロソフト内部で開発されていたが、他社製品に自社のブランドをつけて販売するという戦略も行われた。例えば、1988年1月13日に発売された企業向け関係データベース管理システム (RDBMS) であるMicrosoft SQL Serverは、Sybaseからライセンスされた技術に基礎を置いていた。 1990年5月22日、マイクロソフトはWindows 3.0を発売した。これは、合理化されたユーザインタフェース、80386プロセッサ向けの改良されたプロテクトモードなどの新機能を誇り、2週間の間に10万本を売り上げた。1991年5月16日に社員向けに書かれた内部メモの中でビル・ゲイツは、OS/2との提携は終わった、これからはWindowsおよびWindows NTカーネルに力を注ぐ、と発表した。一部の人々、特にWindowsを軽視してOS/2に対して資源を割いていた人々はこれに驚き、騙されたとしてマイクロソフトを告訴した。このOS/2からの転換は、この業界においてしばしば「the head-fake」と呼ばれることがある。翌年にはOS/2の人気は落ち込み、Windowsは急速に人気プラットフォームへと成長した。1991年という年はまた、計算機科学の研究組織であるマイクロソフトリサーチが設立され、法人・個人の両方に人気を得た開発製品Microsoft Visual Basicが発表された年でもあった。
※この「1985年-1991年:OS/2の消長」の解説は、「マイクロソフトの歴史」の解説の一部です。
「1985年-1991年:OS/2の消長」を含む「マイクロソフトの歴史」の記事については、「マイクロソフトの歴史」の概要を参照ください。
- 1985年-1991年:OS/2の消長のページへのリンク