WCWへ移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:44 UTC 版)
かつて在籍していた頃とは違い副社長エリック・ビショフとヘビー級のベテラン選手たちが権力を独占するWCWでは、クリス・ジェリコ、レイ・ミステリオ、ウルティモ・ドラゴン、チャボ・ジュニアといったクルーザー級の選手たちとの名勝負を連発するも、トップグループのポジションが与えられることはなかった。デビュー初期はダークマッチにおいてアレックス・ライトらと対戦していた。1995年のスターケードにおいてWCW対新日本プロレスが行われた際、エディは大谷晋二郎と対戦し敗北している。1996年にはWCW・US王座をめぐりコナンやリック・フレアーと抗争している。96年の晩年にはDDPとの抗争に入った。1997年にはスコット・ノートンやジェリコ、マレンコとのUS王座の巡る抗争を展開する。王座を失った後にクリス・ジェリコのWCWクルーザー級王座に目を付け、抗争する。王座を獲得するとレイ・ミステリオ・ジュニアとの抗争が始まり、マスクまで賭けた試合に発展する。この時期、同王座をウルティモ・ドラゴンに奪われている。その後、甥のチャボ・ゲレロとのスキットなどがあったが、中堅的立ち位置は相変わらずだった。nWoの大ブームが下火になった頃、エディはメキシコ系レスラーで結成されたLWo(ラティーノ・ワールド・オーダー)を結成して活動を開始、同時に睡眠薬の過剰摂取などもこの時期から始まった。だが、薬の過剰摂取が原因で1999年にエディが起こした交通事故により、LWoのストーリーは打ち切られた。事故の6か月後には復帰をするが、今度は鎮痛剤の摂取が始まる。WCWには2000年まで在籍したが、内部の腐敗や扱いに耐え切れず、移籍を決意する。
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